ソウル(鍾路区)

この店はソウル特別市のトンデムンに位置した韓食専門店です。韓国式保養スープ料理をご用意しております。代表的なメニューはソルロンタンです。


江原道(橫城郡 )

横城韓牛祭りは全国でも最大クラスの規模と名声を兼ね備えた祭りで、横城韓牛を広く知ってもらうことを目的に毎年開催されます。横城の豊かな自然にマッチした多彩なイベントや体験プログラムが実施されており、韓国での素敵な思い出作りに最適です。


京畿道(楊平郡) , 楊平

楊平郡は京畿道の東の端に位置しています。東は江原道の洪川郡、横城郡、原州市、南西は驪州郡、広州市、 北西は南楊州市、加平郡に接しています。郡の中央部の北に位置する龍門山を中心に、山岳地帯をなしています。主な山には道一峰、白雲峰などがあり、この他に北の郡境には通方山、小理山、南の郡境には婆娑山、牛頭山などがあります。北漢江は北西市域を南西に、南漢江は南西地域を北西に流れ、両水里付近で合流、漢江の本流へとつながっています。郡の面積は京畿道内の市郡のうちでも、広いほうです。龍門山一帯は1971年5月20日、国民観光地として指定され、1983年から管理されています。龍門寺、龍門寺のイチョウの木、正智国師浮屠及び碑、龍門山地邱戦跡碑など文化遺産が多くあります。龍門寺は秋には天然記念物第30号のイチョウの木の紅葉を見ることができ、四季を通して観光客の絶えない観光地です。* 龍門寺のイチョウの木この木は現在韓国に生存している、イチョウの木の中で最も大きく古いものとして、龍門寺の大雄殿の前に立っています。樹齢は推定約1,100年、高さ60メートル、幹の胴回りは12.3メートルで、アジアでは最も大きなイチョウの木です。言い伝えによると、新羅時代の最後の王である敬順王が、先生の大鏡大師に会いにきたときに植えられたものと言われています。またこれ以外の言い伝えに、敬順王の息子であった麻衣王子が国の滅びる悲しみを抱え、金剛山に行く途中で植えたもの、新羅時代の高僧である義湘大師が使っていた杖をさしておいたところ、根が生え大きくなったものとも言われています。多くの戦乱により、寺院は何回もの被害を受けました。特に丁末義兵が起こったとき、日本軍が義兵の本拠地だと言い、寺院を燃やしてしまいましたが、このイチョウの木だけは燃えずに残ったことから天王木とも呼ばれました。また、朝鮮時代の世宗王のときには、正3品という官職をもらった木でもあります。また、この木にはもう一つの伝説があります。昔、ある人がこの木を切ろうとノコギリをあてたところ、ノコギリから血がながれ、晴れていた空は曇り、雷が鳴り始めたため切るのを止めたと言います。また、国にとって大きな出来事が起こるときには音が鳴ったと言われており、朝鮮時代第26代王の高宗が崩御したとき大きな枝が一本落ち、1945年に日本の支配から解放された後に韓国戦争のときには、この木から不思議な音がしたと伝えられています。※ 見どころ – 龍門寺のイチョウの木、龍脚岩、マダン岩、将軍薬水、自然渓谷、龍門寺上院寺、正智国師浮屠及び碑、ウンピル岩、龍門山地邱戦跡碑


慶尚南道(陜川郡 )

慶尚南道陜川郡伽倻面緇仁里の海印寺境内にある4棟の蔵経板庫に保管されている大蔵経板は国宝第32号に指定されています。8万以上の木板に八万四千の煩悩にあたる法文が刻まれており、八万大蔵経ともいわれています。民衆の心を集め、仏様の力でモンゴル軍を退けようという願いから、1237年(高宗24年)から16年間かけ作られました。また、世界で最古の大蔵経板として、八万大蔵経が保存されている海印寺蔵経板殿は2007年6月にユネスコ世界文化遺産に指定されており、その価値が認められています。


慶尚南道()

巨済島(コジェド)は秀麗な自然と歴史が調和した観光名所で、韓国で二番目に大きい島。長坪里から伸びた大橋をわたるとすぐの巨済島には南海の名所が集まっている所でもありますが、そのうち南海の金剛山と称される海金剛、夏には海水浴場として有名な鶴洞モンドル海岸、44,000余坪に3000種余りの樹木と地中海式の建物などが調和し韓国のパラダイスと呼ばれる外島海上農園などが人気です。壬辰倭乱(文禄の役1592)で初めて勝った玉浦海戦(1592.5.7~5.8)を記念して作られた玉浦大捷記念公園では忠武公(李舜臣)を称えるための祭礼行事が毎年開催されており、6・25(朝鮮)戦争国際連合軍側最大規模の捕虜収容所だった巨済島捕虜収容所も遺跡地として再現してあります。


ソウル(城東区) , ソウル東部

漢江、38日間の思い出作り! 2016漢江サマーフェスティバル「ハンガン・モンタン」が、約80のプログラムをご用意して皆様をお迎えします。キャンプや水上レジャー・スポーツ、音楽会、映画祭、ストリート・フェスティバル、自転車レース、紙船レース、ファイヤー・アート、伝統公演など、漢江事業本部と市民企画団が共同で企画したプログラムが2016年7月15日(金)~8月21日(日)までの38日間にわたって漢江一帯で開かれます。


忠清北道(提川市 )

舟論(ペロン)聖地は、迫害を避けて隠遁しながら甕器(オンギ)を焼いて生計を立てていたカトリック信者の村です。舟論という地名は村の位置する谷間の形が船の底ように見えることから付けられました。1801年の辛酉(シニュ)迫害のとき、ここで黄嗣永(ファン・サヨン)が当時の迫害状況や、信仰の自由と教会の再建を要請する白書を土窟の中に隠れて執筆しました。また、1855年から1866年までここに韓国初の近代式教育機関である舟論神学校がありました。1861年に逝去した韓国で2番目の司祭である崔良業(チェ・ヤンオプ)の墓や、1866年の丙寅(ピョンイン)迫害の殉教者である南鍾三(ナム・ジョンサム)の生家もあります。


光州広域市(西区)

1910年代に光州橋の下の川岸で開かれていた五日市(2と7のつく日に立つ市)が良洞市場の起こりです。日帝強占期であった1940年に市場が現在の位置に移転しました。1969年12月以前は市営市場として運営されていましたが、その後、民営市場に変わりました。1972年に市場の横に覆蓋商店街ができ、現在は現代的な施設にきれいに整備されています。 


釜山広域市(西区)

韓国戦争(朝鮮戦争)当時、臨時首都として国難克服の歴史的な現場を保存し、後世に残すことで民族史の暗鬱な時期を切り開き、祖国統一と反映の教育の場として活用されています。