ソウル(城北区) , 大学路・城北洞

城北(ソンブク)文化多様性祭りでは世界各国の様々な食べ物を通して民族、人種、国家を越えた世界文化が体験できます。


ソウル(松坡区) , 蚕室(ロッテワールド)

 オリンピック公園の全景を一目で見下ろせるハンミ写真美術館は、(株)ハンミ薬品が設立した国内最初の写真専門美術館として、ハンミ薬品の本社ビル20階に位置しています。  ハンミ写真美術館は、1年に約6-7回の企画招待展を主に行っており、展示事業を初めとして、作家の創作活動の支援作業、文化芸術教育事業等を行っています。 また、毎年、1年間活発な活動と力量のある作業により、写真界で目を見張る成長を遂げた写真作家及び、理論家1名にハンミ写真賞を授与しています。


忠清北道(提川市 )

義林池は韓国の代表的な水利施設の1つで、いつ出来たのかは不明ですが三国時代からあったと言われています。新羅真興王の時代に楽聖于勒が小川の水を防ぐため堤防を築いたと言われるが、それから700年後にこの土地を訪れた朴義林(パク・ウィリム)が新しく築いたとも言われています。朝鮮時代に鄭麟趾(チョン・インジ)が体察使としてこの地に来て1500人を動員して工事を行ったという記録が残っています。堤林は義林池の堤防の上に造成された松と柳の林です。樹齢が数百年の松や柳、モミ、イチョウ、桜の木などがあり美しい景観を演出しています。現在は堤川地方の景勝地であり、湖の周辺には1807年に建てられた暎湖亭と、1948年に建てられた鏡湖楼、そして樹齢数百年の松としだれ柳や30mの滝などがあり趣が感じられます。特に特産物として、産卵時期にはワカサギを味わうことができ、観光客に人気があります。


江原道(襄陽郡)

鰲山里(オサンリ)先史遺跡は江原道襄陽郡巽陽面鰲山里にある遺跡で、韓半島(朝鮮半島)で最も早い時期の新石器時代遺跡のひとつです。遺跡は東海岸から内陸方向へ約200メートル離れた「双湖」と呼ばれる湖畔の砂丘上にあります。1977年農耕地として使うために砂丘を掘って湖を埋め立てていた時に発見されました。1981年から6回にわたって発掘作業が行われ、14基の円形住居跡や大量の石器・土器などが出土しました。また出土遺物の放射性炭素年代測定をもとに分析した結果、B.C.6000年ごろの遺跡と確認され、韓国の新石器遺跡のうち最も古い遺跡として韓国新石器文化の起源解明および東アジアの文化的関係を把握するための重要な遺跡との評価を受け、史跡394号に指定されました。 「鰲山里先史遺跡博物館」の内部展示室では実物大の先史遺跡ジオラマ模型を活用し、先史人の暮らしが再現されている他、嶺東エリアの先史文化遺物が展示されています。遺跡展示室は導入部、開館、鰲山里先史物語、鰲山里発掘遺物物語、南大川物語、まとめの6つに分けて観覧できるようになっており、まとめ部分では土器の欠片合わせ体験を通じて先史時代文化を体験できるようになっています。


大田広域市(東区)

  自然生態と環境保全の重要性を教えてくれる大清湖自然生態館大田広域市東区秋洞にある大清湖周辺に生息する動・植物の自然生態と環境保全の重要性を伝えるために作られた展示館です。大清湖は、韓国で3番目に大きい湖で1980年に錦江本流にダムを作ったことでできた湖で、貯水面積72.8㎢、長さ80km、貯水量は15億tです。大清湖自然生態館は、地下1階、地上3階建ての規模で1階は映像館、イベントホール、収蔵庫から構成されており、映像館では大清湖周辺の魚類、鳥類、爬虫類、植物、陸上動物の自然生態に関する教育動画を上映しています。 自然生態館の展示室案内2階には郷土館と生態館があります。郷土館は、大清湖を作る際に水の底に沈んだ大田市東区地域の昔の生活の様子や歴史を知ることができる空間で、住民らが使用していた生活用品と民俗品などが展示されています。生態館では、大清湖周辺に生息する魚類、昆虫、植物に関する標本と立体映像資料が展示されており、実際に生きている生物も展示されています。3階には水質汚染の原因と防止対策、ゴミの再利用に関する多様な映像と情報検索、マジックビジョン、影遊びを通して大清湖の水質保全と自然の再利用の重要性を学ぶ環境教室として作られた環境館があり、大清湖を観賞できる展望台もあります。展示場の外には生態池、野生花壇、小さい動物園、きのこ体験場、昆虫飼育場、森の中の教室などがあり、子どもや学生たちの生態体験学習の場として活用されています。  


江原道(三陟市) , 三陟

江原道三陟市の竹西楼(チュクソル)は朝鮮時代前期につくられました。名前の由来については二つの説があります。ひとつはかつて楼閣の東側の竹林に竹蔵寺という寺があったためというものであり、もうひとつは有名な妓生であった竹竹仙女がいた家が楼閣の東側にあったためというものです。朝鮮時代には接待と饗宴の場として使われましたが、その建物は雄壮であり優美な自然景観が周囲を取り巻いていたので数多くの詩人と画家がここを訪ねました。断崖絶壁の上に建てられている竹西楼に登ると目の前を流れる五十川を見下ろすことができますが、このすばらしい展望を手に入れるために岩盤を基礎にした17本の柱で楼閣全体が支えられている点は注目されています。17本のうち9本は岩盤の上に8本は石楚の上に立てられていますが、柱の長さがそれぞれ違っており特徴といえましょう。入り口には樹齢350年の槐の木が横たわり、中に入ると木蓮や竹林が広がり夏に草木が香ります。


慶尚南道(昌原市 )

カゴパコブラン壁画村は、馬山の美しい街を再生させるための取り組みの1つで、慶南銀行が推進しました。倉洞から富林市場を過ぎ、城湖洞一帯に作られたカゴパコブランキル壁画村は、多種多様な壁画やユニークなフォトコーナーなどを楽しむことができます。


全羅北道(茂朱郡 )

雪の村と花の村を形成している家族ホテルは外装、内装全て自然の色彩でデザインされており、山岳地形に合ったアルプス風の特色を持っています。


慶尚南道(金海市 )

伽揶文化祭り(カヤムンファチュッチェ)は、6伽揶の盟主であった「金冠伽揶」をベースに、歴史と伝統を誇る金海市の歴史文化祭りとして国内外に広く知られています。 金首露王は、 西紀42年に生まれ、伽揶を建国し、48年にインドアユタ国の女王「ホ・ファンオク」と結婚しました。これは韓国の歴史上初の国際結婚となりました。伽揶は早くから土器と鉄器文化の発達を遂げ、中国やナクラン、日本など韓国に近い国々と貿易を行い、東北アジア国際交流の中心地として燦爛たる文化の花を開花させました。 悠久な歴史と独創的な文化が生きている伽揶文化のメッカ「金海」は、伽揶文化祭りから伽揶文化を世界的な文化遺産として保存・継勝・発展させま、高句麗・百済・新羅とともに第4の帝国伽揶が存在したことを証明しました。今年で33回目を迎える伽揶文化祭りは、「神秘で会う2千年伽揶文化」というテーマで、首露王の神話をより現実味があるように劇化した歴史ファンタジーミュージカル「第4の帝国」、雄大壮厳で派手に開催される「伽揶の行陣」、国内初の国際結婚となった首露王、ホ・ファンオクの結婚を称えるための「首露王婚礼舞台」、「ホ王后波路体験」、国際貿易の中心地であった伽揶時代の再現「波路文化」、騎馬文化ルートの「アジア国際公演芸術祭」、「インド文化体験」、「伽揶文化体験ZONE」など6分野40種余りの様々なプログラムで構成されています。


忠清北道(報恩郡 )

レイクヒルズホテル俗離山(ソンニサン)