ソウル(江北区)

梧桐近隣公園はソウル特別市の江北区と城北区にかけて位置し、江北樊洞、彌阿洞の外、5つの洞と城北区にかかる大公園で緑豊かなところです。梧桐公園は区民体育館、人造芝球場、テニスコートなどを取り揃え、隣近に住んでいる住民たちに休息と運動場所として利用されています。


慶尚南道(河東郡 )

聖徳王21年(722年)に義湘大師の弟子である三法が創建した双磎寺(サンゲサ)は、全羅南道求礼邑から21km地点の、慶尚南道河東郡花開面花開里から雲樹里までの6km桜の木が並んでいる智異山の南の麓にあります。初期の名前は玉泉寺でしたが、その後、文聖王2年(840年)に真鑑国師 が再建した後、887年定康王が、禅寺の徳を仰いで双磎寺と改称しました。 今の建物は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに消失したものを再建したものです。双磎寺の春の桜は特に有名で、渓谷の澄んだ水と奇岩、古木が優れた景勝を作り出しています。境内の見所としては崔致遠の親筆である双磎石文、真鑑禅師大空塔碑(国宝47号)を過ぎ、北側500mほど行くと国師庵の庭に天然の楡の木、また東側に2kmほど行くと青鶴峰と白鶴峰のふたつの渓谷を有する高さ60m幅3mのプリル瀑布(智異山10景のひとつ)などの名所があります。また、 双磎寺はお茶とゆかりの深い場所で、新羅・興徳王3年(828年)金大廉が唐の国に使臣として行って帰国した際、初めてお茶の種を持ち込み、王令で智異山の南側、双磎寺一帯に植え、最初の栽培地と言われています。そのため、お茶の栽培地記念碑(道記念物第61号)もあります。


京畿道(竜仁市) , 龍仁

ベニキアホテルウィンは、龍仁市に位置する唯一のビジネス1級ホテルで、40の客室から構成されています。また、ホテル内にはコーヒーショップ、レストラン、小宴会場と大宴会場、ビジネスセンターがあります。ロイヤリティーを払わない純粋に韓国国内資本により運営されるホテルで、韓国国内はもちろん海外からも人気を得ているビジネスホテルです。


済州道(済州市 ) , 신제주

済州市内の中心に位置したYEHAゲストハウスは、国内外のバックパッカーたちのための低価格なドミトリー形式のゲストハウスで、単なる宿泊施設の概念を超え、旅行客同士のコミュニティー文化を作り、国内外の旅行客たちが交流できる場所です。客室は二段ベッドが置かれた4人、6人部屋ドミトリーと、ダブル・ツインベッドルームやファミリールームなど多様な形態の客室が用意されています。コミュニティーバーには、広くて清潔な共同キッチンと休憩空間が用意されているため、簡単な食事と共に旅行客同士の交流ができます。また、設置されているPCは自由に使用することができます。提供される無料サービスには、食パン、卵、コーヒーなどの簡単な朝食が提供されます。25カ国への国際電話および国内電話も無料で利用することができ、キッチンにある道具も自由に使用することができます。また、洗濯機も用意されており自由に使用することができます。


全羅北道(全州市 )

全州韓紙文化祭りは、千年の歴史を持つ全州韓紙の良さを広め、伝統韓紙工芸コンテストを通して全国から優秀な工芸職人を発掘し、全州韓紙工芸の発展に寄与する目的で行われます。多様なプログラムを企画しており、大人、子ども、外国人といったすべての人々が「韓紙」という媒体を通して楽しむことができるお祭りです。


ソウル(江西区) , ソウル西部

ホテルノスタルジアは金浦空港から5分、仁川空港から40分の場所にあります。様々な施設や、多彩で差別化されたイベントやプログラム、きめ細やかな個別サービスが自慢です。


ソウル(松坡区)

暖かい春風そよぐ春の日。ソウル市松坡区蚕室オリンピック公園の芝生広場ではアジア最大のジャズフェスティバルが開催されます。毎年5月に開かれるこのフェスティバルは、世界中の有名なアーティストらが多数出演するもので、音楽ファンにはたまらない各シーンが繰り広げられます。


大邱広域市(達西区)

韓国最大規模の「光」をテーマにした祭り「E-WORLDピョルピッ祭り」が大邱を代表するテーマパーク「E-WORLD」で開催します。テーマパーク内の乗り物やランドマークである83タワーの美しい展望と夜景を楽しむことができる異色の祭りです。花火やフォトゾーン、各種体験プログラムなども行われます。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

熙政堂は正面11間、側面5間、単層八作瓦屋根の建物です。朝鮮時代後期に国王が日ごろから住んでいた場所です。昌徳宮の寝室である大造殿のすぐ前にあり、大造殿と同じ高さの基壇の上に建てられました。本来は昌徳宮の創建の時に建てられましたが1917年の火災で焼失してしまい、1920年に再建されて現在に至ります。度重なる消失と再建により建物の規模と用途は変わり続けました。正面9間、側面3間は居間となり、左右の韓国式の応接間と様式の応接間に分けられ、その周りに付け足された部屋は通路や小部屋として使用され、風呂や仕切り部屋などが造られました。熙政堂の内部の意匠は西欧的で室内の道具なども異国的、部屋の内外に取り付けられた電灯などは、大韓帝国の末期になってつけられたものでが、本来は宮殿の建物の規範によって建てられた建物です。