慶尚南道(南海郡 )

遠く広がる美しい南海と、空へ向けてそびえ立つ扁柏の森に囲まれた南海扁柏自然休養林は、家族連れの利用客が多く、生い茂る扁柏林の中で森林浴を楽しむことができます。扁柏の森は、強いフィトンチッドにより蚊やハエなどの害虫がいないのが特徴です。休養林の入口から1時間ほどの所にある展望台からは、閑麗海上国立公園の島々と錦山が調和する美しい風景が堪能できます。


慶尚南道(巨濟市 )

1973年10月に巨済島の玉浦湾で起工し、81年に総合竣工した大宇造船海洋は、各種の船舶や海洋プラント、掘削船、浮遊式原油生産設備、潜水艦、駆逐艦などを建造する海洋専門企業です。 130万坪の広い敷地に世界最大の100万トン級のドックや900トンのゴライアスクレーンなどの最適な設備を整え、技術開発を重ねながら高技術船舶建造に卓越した能力を発揮しています。 IT技術を基盤として体系化された船舶建造技術や高難度海洋プラットホーム建造能力、大型プラントプロジェクト管理能力、戦闘潜水艦と駆逐艦を建造する高い技術力を持っており、様々な種類の海洋製品を最上の品質で造り出しています。


慶尚南道(居昌郡 )

韓国最高の野外演劇祭であるこの祭りは、居昌の観光地である捜勝台(ススンデ)を舞台に、韓国国内や海外のトップレベルの演劇団体を招聘し、様々なテーマの公演が行われます。ほとんどの公演は夜間に上演されますが、日中は韓国唯一の水上舞台であるムジゲ(虹)劇場で、渓谷での公演が観覧可能です。


慶尚南道(金海市 )

金首露(キム・スロ)王の王妃、許黃玉(ホ・ファンオク)の墓、首露王妃陵 金海市亀山洞にある伽倻時代の陵墓で駕洛国の始祖金首露の王妃である許黃玉の王妃陵(国家史跡第74号)です。大型の円形土墳で陵墓の前面には長大石を積み、周囲には広範囲にわたり低い石垣を積んでいます。1647年の修築時に造った陵墓の前の石には「駕洛国首露王妃 普州太后許氏陵」と刻まれています。 境内には崇報斎、外三門、内三門、紅一門があり、平地にある墓とは違い丘に位置しています。墓の前にはインドから持ってきたと伝えられる婆娑石塔があります。1446年に首露王陵と共に保護区域が広げられ、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に盗掘されたという記録が残っています。現在の碑石などは1641年の再整備の際に設置されました。 首露王妃である許黃玉とは 首露王妃の名前は許黃玉といい、首露王即位7年(西暦48年)に船に乗って駕洛国に来て王妃になり、西暦189年に亡くなったと言われています。現在の陵墓は1641年に修築され今の姿になりました。王妃が亡くなる直前に2人の息子に許氏を名乗らせたことから金海の許氏の始祖となりました。  


慶尚南道(統営市 )

全面積390,131平方メートル、海抜108メートル、幅400メートル、長さ1.9キロの統営市閑山面にある小さな島で14軒の民家と住民83人が住んでいます。10万本のツバキをはじめ、様々な植物が植えられているのが長蛇島の自慢です。島が横に長い形をして蚕に似ているので蚕糸島、また蛇の形に似ていることからも長蛇島と呼ばれています。冬にはツバキ、夏にはアジサイの花が咲き、季節の美しさを肌で感じられるところです。開発は最小限にとどめ、自然美を最大限に活かすとことをモットーとしており、公園のなかには、彫刻などの芸術品があちらこちらに置かれ、自然と調和しています。また、春には1,000席ほどの野外ステージで公演が行われ、文化と自然が共存する新たな概念を生み出しています。


慶尚南道(昌原市 )

長福山公園は、馬山と鎮海の間にある長福路の端に位置する鎮海の関門の役割をしている公園です。目の前がぱっと開けており、鎮海の市街地はもちろん、鎮海の海も一目で見渡すことができます。鎮海女子高校の入口から公園までへと続く1.5kmの散策道路と、長福山休憩所からクマジントンネルまでの1kmの散策路があり、公園周辺には大光寺、真興寺などのお寺があります。春になると青々とした松林と数万本の桜が調和をなし、絶景を織り成します。また、長福山の中腹部には鎮海パークランドがあります。