釜山広域市(海雲台区)

海雲台タルマジ温泉祭りは海雲台海水浴場で開かれる正月テボルム(小正月)民俗祭りです。正月テボルムの前日から多くの市民が集まり、タルチプと呼ばれる松の木で作られたものに願い事や厄払いの紙を付けてタルチプを燃やします。


釜山広域市(海雲台区)

世界的に有名な休養地、釜山の海雲台。「ウィゲストハウス」はそんなロマンと思い出の都市、海雲台に位置しており、訪れた人がわが家でくつろいでいるような心地よさが感じられる。釜山で唯一の別荘型ゲストハウスで、全客室にきれいで快適なバスルームとサービス施設を完備している。海雲台(ヘウンデ)海水浴場が近くにあり、美しい海と広々とした浜辺が満喫できる。周辺観光地の「ヌリマル」、「冬栢島」、「月見道」などは歩いてツアーも可能だ。また海雲台市場が近くにあり、美味しい食べ物もたくさんある。


釜山広域市(中区)

金剛製靴は、韓国を代表するファッションブランドで、靴だけでなくスポーツシューズ、カジュアルシューズ、ファッションアクセサリーなどで事業を拡大しています。 金剛製靴釜山店は光復洞の中心部にあり、ショッピングの後の周辺観光地へのアクセスも抜群で、そのため多くの観光客が訪れています。 顧客年齢層は20~40代が主で、主にスリッポン、ローファーなどの男性シューズや、フラット、コンフォートなどの女性シューズが人気です。価格は10~20万ウォン代で、最近ではスニーカーなどのカジュアルシューズも多く販売されています。 また、4階には顧客相談室や休憩所もあります。


釜山広域市(南区)

釜山国際マジックフェスティバルは「マジック」をテーマにした韓国国内100万人にマジックマニアの夢のお祭りで、韓国国内で唯一の世界最大規模のマジックフェスティバルです。海雲台海水浴場では100万人の人々が観覧する開幕式、本イベントの華麗なマジックカラーショー、釜山国際マジック大会、マジックの講義、グローバルキッズマジックショー、マジックドラマなど、韓国国内では無かった新しい総合マジックフェスティバルです。


釜山広域市(南区)

2005年に「釜山国際浜辺舞踊祭」としてスタートし、2008年「釜山国際舞踊祭」として生まれ変わったお祭りで、文化体育観光部や釜山広域市といった政府機関と各国の在韓大使館および海外政府機関との緊密な連携・協力によって進められているお祭りです。2009年からはAK21(Arts Korea)国際振付師育成公演に重点を置き、毎年、斬新な振付公演を行う振付師大会を行うことで若い振付師にチャンスを与えています。


釜山広域市(金井区)

釜山の金井山(クムジョンサン:801.5m)の頂上に位置する金井山城(クムジョンサンソン)は、本来は東莱山城でしたが現在は金井山にあるということで金井山城と呼ばれています。金井山城 は長さ17,377km、城壁の高さ1.5m~3m 程で国内では最も規模が大きい山城。現在は約4kmの城壁だけが残っています。 築城年代は正確な記録がありませんが、 位置や規模からみて三国時代(高句麗、百済、新羅の3国が争っていた時代)に築城されたものと推測されています。現在の山城は肅宗(1703年)の時に作られたもので壬辰倭乱(1592-1598)の後日本の再侵入に備えて石を積み重ね始め1707年に建て直されたもの。1940年代には山城が荒廃しましたが、1971年、史跡第215号に指定された後、2年に渡り東、西、 南門を復元、現在も復元事業が進められています。山城には城門の上に建てた楼閣である門楼と遠くを見張るための楼閣である望楼があります。 金井山城は泉水がとても多く花崗岩地帶からは洞穴と大小の峰を見ることが出来ます。


釜山広域市(蓮堤区)

2004年から開催されているアジアソングフェスティバルは、アジア10カ国から集まった15の豪華アーティスト達が出演するアジアを代表する音楽祭です。アジアの文化共同体形成と大衆文化交流を通した友好の場を作ることを目的に開催されています。イベントには国内外から多くの観客が集まると共に、日本のフジテレビなどを通して全世界約30カ国で放送されるため、開催都市の都市ブランド力向上にも大きく貢献しています。 -歴代開催都市 ・2004年:ソウル ・2005年:釜山 ・2006年:光州 ・2007~2010年:ソウル ・2011年:大邱 ・2012年:麗水 ・2013年:ソウル アジアソングフェスティバルの収益金は全額、気象異変や自然災害、経済難などで苦しんでいるアジアの人々を助ける目的で使用され、「アジア唯一の国際慈善音楽祭」として全てのアジアの人々を音楽でひとつにする役割を担っています。


釜山広域市(東莱区)

東莱邑城址(トンネウプソンジ)は、東将台(トンジャンデ)がある忠烈祠(チュンニョルサ)の裏山から馬安山(マアンサン)を通り、西将台がある東莱郷校の裏山までの丘陵地や現在の東莱(トンネ)市街地中心の平坦な地域を一部含む典型的な平山城の形式で築城した城郭址です。東莱邑城は山城や平地の利点の双方を持つ、代表的な邑城でした。 高麗時代末期から朝鮮時代初期に築き上げられたものとみられる東莱邑城は、1592(宣祖25)年の壬辰倭乱(日本でいう「文禄・慶長の役」)の際、この地域を治める東莱府使・宋象賢(ソン・サンヒョン)公をはじめとする軍・官・民あらゆる人々が渾然一体となり倭軍に立ち向かい、壮烈な戦いが繰り広げられた壬辰倭乱初期最大の激戦地でした。 壬辰倭乱以降放置されていた東莱邑城でしたが、1731(英祖7)年、東莱府使の鄭彦燮(チョン・オンソプ)が国の要である東莱の重要性を鑑み、壬辰倭乱当時の邑城よりもさらに大規模な邑城を築きました。この時築城した邑城が現在までその痕跡を残している東莱邑城です。 東莱邑城には東門、西門、南門、北門、人生門、そして暗門があり、それぞれの門には門楼もあります。 東門には志喜楼(チヒル)、西門には心成楼(シムソンヌ)、南門には無憂楼(ムウル)、暗門には隠一楼(ウニルル)と言われる楼閣があります。 また重要な門楼であった南門には翼城(イクソン)を設け、前面に洗兵門(セビョンムン)、後方に朱鳥門(チュジョムン)を置く二重構造となっているほか、西門・暗門・北門には敵からの攻撃から守るため城門の前方に半円形の城郭を設けた甕城(ウンソン)の形式となっていました。ほかにも東莱邑城には、城内の高台に設けた建物で将帥が敵の動きを監視したり兵を指揮する為の指揮台・将台(チャンデ)、望楼(マンヌ)及び15の堡楼(ポル)などもありました。 日帝強占期(1910~1945年)になると、市街地計画という名目で西門から南門にいたる平地にあった城郭が撤去されたほか、南門から東門に至る城郭のあった場所にも民家が建てられ、結果、馬安山を中心とする山地にのみ城郭の姿がわずかに残るだけとなりました。 2000年代以降、東莱邑城内の敷地で行われた様々な工事の際の発掘調査により、壬辰倭乱当時の城郭の痕跡(朝鮮時代前期の邑城)や壬辰倭乱以降築かれた平地に築城された城郭の痕跡、そして朝鮮時代末期に修築された城郭を確認することができました。 これら発掘調査により、東莱邑城全体の正確な範囲、規模などが分かり、東莱邑城研究に多大な貢献をもたらしました。 釜山広域市では現存する城跡を中心に、毀損あるいは放置されたままとなっている城郭については発掘調査とともに補修・復元を今度とも推進する予定です。 <出典:釜山文化観光>


釜山広域市(水営区)

釜山広安里にあるホテルキャッスルビーチは、海と広安大橋が一目で見渡せる風景が美しいホテルです。また、親切なサービスと高級な施設を備えた洋食レストランと、日本食レストラン(刺身屋)、カラオケ、韓食レストラン、コーヒーショップがあり、快適で高級な客室は、我が家のようにくつろげます。


釜山広域市(機張郡)

「フックシル」は、「韓国の伝統文化」をコンセプトにしており、チョルピョン(餅)、チャプチェ、チヂミ、シッケ、蒸し物などの料理を黄土壁藁葺きの家、土窟、瓦屋根の家、石片屋根の家といった伝統家屋で味わうことができます。 伝統民俗工芸品などを展示している建物だけでなく、フックシルの各所には高麗・朝鮮時代の陶磁器などの骨董品、60年~70年代の品々約2000点が展示されており、おいしい料理とともに昔の趣を感じることができる他、庭木や野花も見ものです。