江原道(高城郡)

天然の珊瑚と緑豊かな松林が絶妙にマッチした花津浦海岸東海岸で最北端にある海水浴場です。砂浜は1.7km、平均水深1~1.5m程度です。周辺には松林、透き通った湖、奇岩怪石など美しい景色が広がっていて花津浦湖や松林など自然が満喫できるところです。韓国戦争前には金日成の別荘が、戦後は李承晩大統領別荘などが建てられた場所でもあります。花津浦海岸は高城郡で試験的にオープンした海水浴場で、シャワー施設、給水施設、トイレなどの各便宜施設がちきんと整備されています。海水浴場の南側の海岸は、軍の施設がり民間人は立ち入りを制限されています。毎年、夏になると海岸で開催されるビールの試飲大会や海岸のど自慢大会など多くのイベントも行われます。


江原道(襄陽郡)

鰲山里(オサンリ)先史遺跡は江原道襄陽郡巽陽面鰲山里にある遺跡で、韓半島(朝鮮半島)で最も早い時期の新石器時代遺跡のひとつです。遺跡は東海岸から内陸方向へ約200メートル離れた「双湖」と呼ばれる湖畔の砂丘上にあります。1977年農耕地として使うために砂丘を掘って湖を埋め立てていた時に発見されました。1981年から6回にわたって発掘作業が行われ、14基の円形住居跡や大量の石器・土器などが出土しました。また出土遺物の放射性炭素年代測定をもとに分析した結果、B.C.6000年ごろの遺跡と確認され、韓国の新石器遺跡のうち最も古い遺跡として韓国新石器文化の起源解明および東アジアの文化的関係を把握するための重要な遺跡との評価を受け、史跡394号に指定されました。 「鰲山里先史遺跡博物館」の内部展示室では実物大の先史遺跡ジオラマ模型を活用し、先史人の暮らしが再現されている他、嶺東エリアの先史文化遺物が展示されています。遺跡展示室は導入部、開館、鰲山里先史物語、鰲山里発掘遺物物語、南大川物語、まとめの6つに分けて観覧できるようになっており、まとめ部分では土器の欠片合わせ体験を通じて先史時代文化を体験できるようになっています。


江原道(三陟市)

江原道の大耳里洞窟地帯にある幻仙窟(ファンソングル)は、韓国最大規模の石灰岩洞窟です。総延長およそ6.5km、内部には多様な石筍と鍾乳石、10数個の大小さまざまな池と6つの滝があります。とりわけ夢の宮殿、兎の杵、万里の長城、美女像など神秘的な鍾乳石と、断崖に掛けられた橋である地獄橋は幻想的。内部の気温は夏は12-14度、冬は8-9度ぐらいに保たれており、美しい鍾乳石の形は洞窟の生成と成長の過程を見せてくれます。チケット売り場から入り口までは30-40分ほど歩き、内部を見て廻るのには1時間以上かかります。海抜820mの山の中腹にあり、チケット売り場から入り口までは坂道となっているためお年寄りや幼児には多少困難かもしれません。


江原道(鉄原郡)

鉄原郡北方にあるこの白馬高地は韓国戦争(朝鮮戦争)当時、最も激しい戦場となった場所です。1952年10月6日空軍からの対空戦で10日間にわたる大血戦が繰り広げられた白馬高地戦闘は相互の砲弾落下30万発が炸裂し高地の所有者が24回も変わりました。この先頭で空軍は約14,000名あまりの死傷者を出したと言われています。砂埃と死体が入り乱れ悪臭が鼻を突き、砲撃などのせいで山が本来の姿を失ってしまいましたが、その姿がまるで白馬が寝そべっているように見えることから白馬高地と呼ばれるようになりました。


江原道(平昌郡)

蓬坪(ポンピョン)の市場である蓬坪場(ポンピョンジャン)は毎月2と7がつく日に開かれる五日市として名が知られ、韓国の小説家・李孝石(イ・ヒョソク)の『そばの花が咲く頃』の舞台にもなったところです。主人公ホ・センウォンが立ち寄ったチュンジュ屋の跡や粉挽きをする水車小屋、そして晩夏のそばの花など小説に登場する場面ひとつひとつが時代を超えていまでも感じられる場所です。 最近ではそばの故郷にふさわしく全て地元産のそば粉と手作りの技法で、昔ながらの甘辛のタレ・ヤンニョムジャンを混ぜて食べるそば・メミルマッククス、そば粉でつくったチジミやお焼き、そば粉をゼリー状に固めて作ったメミルムク、そば蒸しパン、そばスンデ、そばチョンゴル、そばナムルビビンバなどさまざまなそば料理が新たに作られ、訪れた人々から好評を得ています。  


江原道(麟蹄郡) , 束草・雪岳山

雪山、雪峰山などの名前でも呼ばれる雪岳山は、早くから降り積もった雪が長く残っていて、岩石が雪のように白い色のため雪岳と呼ばれています。「雪岳山国立公園(ソラクサングンニプコンウォン)」は、1965年11月に雪岳山一帯が天然記念物保護区域に指定されました。その後1973年12月に公園保護区域に、1982年8月に国連教育科学文化機関(UNESCO)によって生物圏保存地域に設定されました。公園は江原道束草市、麟蹄郡、高城郡、襄陽郡など4市郡にまたがっていて、最高峰である大青峰を中心に東を外雪岳、西を内雪嶽といい、また北内雪岳・南内雪岳に分けられます。北内雪岳は麟蹄川から流れ込む北川と百潭川地域の谷から成っています。内雪岳は谷が絶え間なく続きます。内雪岳で一番景色が優れており、雪岳山のすべての水流が集まってくる百潭川渓谷に沿って上がると百潭寺に出ます。上流には伽倻洞渓谷・水簾洞渓谷があり、永矢庵、万景台を通って雪岳洞に至る馬等嶺(1327m)があります。水簾洞渓谷に沿って上がると臥竜滝・双滝などがあり、さらに上がると標高1224m地点にある鳳頂庵に着きます。大青峰に上ると一帯の山嶺が眺められ、ここから眺める日の出は見る人の心を洗います。南内雪岳は玉女湯辺りから寒渓嶺に至る谷一帯を指します。将帥台の北側にある大勝滝は内雪岳でいちばん景色がよい所で、高さは88mに達します。その外に竜垈里、南谷に十二仙女湯と玉湯滝、竜湯滝などがあります。


江原道(鉄原郡)

鉄の三角地(チョレ サムガクジ)は金化、平康、鉄原を結ぶ地域。この地域は韓国戦争当時の激戦地で多くの死傷者が出たところで、韓国戦争以外にも白馬高地戦闘、五聖山戦闘などがこの三角地帯で起きました。1953年の休戦以後は一般人の出入りが統制されていましたが、韓国戦争の惨状を見せる生きた教育の場として1989年11月から公開されています。北韓(北朝鮮)軍が南侵のための中部戦線の本拠地にしたこの場所は、韓国軍が攻撃するには不利で、敵が防御するには良いという地形的特色を持っています。戦跡地には「鉄馬は走りたい」という看板と汽車の残骸、労働党社、第2トンネルがあります。地域住民の強制募金と労働力動員で作られた地上3階のソ連式建物である労働党社では反共活動をした多くの人々が拷問され虐殺されました。党社裏側に設置された防空壕では現在も遺骨と実弾、針金などが見つかっています。またソウル北方108km地点では北韓(北朝鮮)の南侵用第2トンネルが見つかっています。ここは安保の教育場の役割とともに、渡り鳥の渡来地としても知られています。


江原道(旌善郡)

画岩洞窟(ファアムドングル)は、江原道地方記念物第33号に指定されており、1922年から1945年まで金を掘っていた泉布鉱山で、年間純金22904グラムを生産する国内5位の金鉱だった場所です。金鉱掘進する途中で発見された天然の鍾乳洞や金鉱坑道を利用し、「金と大自然の出会い」というテーマで開発した国内唯一のテーマ型洞窟です。天然の鍾乳洞は2800平方メートル規模で、観覧道は1803メートル、全体の観覧区間は5つの広場と41のゾーンからなっており、観覧所要時間は1時間30分程度。画岩洞窟は単に見て楽しむ観光地ではなく、鍾乳石の成長している洞窟生体観察や金の採取・精錬過程など洞窟体験の教育現場として脚光を浴びており、幼稚園児から小・中・高生などの修学旅行の場所ともなっています。画岩洞窟入口までは国内初のモノレールに乗って移動することができ、かすかに流れる旋善アリランを聴きながら窓の外の景色も楽しめます。


江原道(東海市)

東海市にある泉谷天然洞窟は全長1,400メートルの石灰岩水平洞窟で生成時期は4~5億年前と推定されて、国内で唯一市内中心部に位置する洞窟です。太古の神秘がそのまま残り学術的価値も高いと言われています。吹きだす鐘乳石、石筍、石柱など20種余りが2次生成物で構成されていて地球科学に対する自然学習場に最適な条件を備えています。また宇宙の誕生と洞窟の生成過程など洞窟の生態系全般に関する理解を深め、学習効果を高めるために展示館と映像室が併設されています。


江原道(江陵市)

江原道江陵市にあるVVホテルは、ブラックとホワイトのモダンで上品なデザインとビジネス客や観光客のためのクオリティ高いサービスを提供するホテルです。ドアを開けて部屋に入ると、だだっ広い空間が旅の疲れを癒してくれます。また、天然黄土の床やヨーロッパ式の騒音二重遮断ドアなど、宿泊客を考えた細かい気配りが感じられます。周辺の観光地には、正東津や江陵ソルヒャン樹木園、船橋莊、小金剛、鏡浦台、烏竹軒などがあります。