慶尚南道(巨濟市 )

壬辰倭乱(1592年から1598年まで日本の侵略により起こった朝鮮と日本の戦争)の時に日本の侵略に真っ向勝負した李舜臣将軍(1545-1598)の勝利を記念するべく造られた公園です。李舜臣将軍は巨済島玉浦湾で日本の船50隻のうち26隻を撃沈しこの海戦(玉浦海戦)を勝利に導き、その後の戦いに大きな影響を与えました。玉浦海戦での勝利を記念し李舜臣将軍の愛国精神を継承しようと玉浦大捷記念公園(オッポデチョプ・キニョンコンウォン)が1996年6月に造成されました。公園には記念館、祀堂、記念塔、玉浦楼などがあります。記念館には壬辰倭乱当時の亀甲船の模型、当時の朝鮮の大砲や刀などの武器、李舜臣将軍の遺物などが展示されています。祀堂には李舜臣将軍の肖像画があり、高さ30メートルの記念塔とその隣にある玉浦楼に上がれば周辺の海岸は言うまでもなく巨大な大宇造船所の姿までを見ることができます。公園を海側に下っていくと赤と白の防波堤がありその先には大宇造船所がありますが、近年観光客が増加し安全上の配慮から現在防波堤への出入は禁止されています。


ソウル()

BTSデビュー10周年の特別な日を華やかにお祝いしませんか?今年はBTSが誕生してから10周年を迎える記念すべき年です。その記念すべき日を祝うために、我々は「BTSデビュー10周年記念観光週間」を6月12日から25日までの期間限定で開催します。 我々の誇るメインイベントは、6月17日に漢江公園で開催される「BTSデビュー10周年記念豪華花火祭り」です。それはただの花火ではありません。豪華ヨットから見上げる花火は、あなたに特別な体験をもたらすでしょう。 「漢江上のラグジュアリーヨット花火鑑賞ツアー」は、あなたを驚かせる特別なプランです。漢江を行き来する豪華ヨットの上から、空を埋め尽くす花火の大輪を見上げ、BTSの楽曲と共に一生の思い出を刻むことができます。そして、ヨット上でのスナックと飲み物もお楽しみいただけます。 この機会を逃すことなく、BTSデビュー10周年を最高の瞬間と共に記念しましょう。'漢江上のラグジュアリーヨット花火鑑賞ツアー'で一緒に特別な時間を過ごしませんか? 日時: 2023年6月17日(土) 場所: 漢江市民公園 BTSと共に花火の美しさを体験し、永遠に忘れられない一日を過ごすことができるこの特別なツアーを、ぜひお見逃しなく!   BTS、ソウルで10周年記念!スペシャルナイトツアー ※集合時間は厳守していただきますようお願い申し上げます。集合時間から30分後にツアーは出発いたします。遅延した場合の途中参加や返金は受け付けておりません。     住所: ソウル特別市 瑞草区 盤浦洞 19-11(서울특별시 서초구 반포동 19-11)   高速バスターミナル駅(地下鉄3·9号線) 8-1出口前に集合 19:00  高速バスターミナル駅(地下鉄3·9号線) 8-1出口前に集合(※時間は厳守してください)            ヨットマリーナへ移動            ヨットに搭乗(※ヨット搭乗時間:約90分)            超豪華ヨットから「BTSデビュー10周年」花火祭りを楽しむ! 21:30  ヨットマリーナに到着 22:00  高速バスターミナル駅にて解散(※漢江公園でも解散可能) *Includes: ヨット搭乗料、ガイド、軽食(サンドイッチ、スナック、ドリンク)、Nソウルタワー展望台入場券 *Excludes: その他の費用および個人消費、保険   Notice ※集合時間は厳守していただきますようお願い申し上げます。集合時間から30分後にツアーは出発いたします。遅延した場合の途中参加や返金は受け付けておりません。 ※ツアーへの参加には必ずパスポートの持参が必要です。 ※所要時間は交通状況により変動する場合がありますのでご了承ください。 ※Nソウルタワー展望台の入場券は6月30日まで有効です。 ※スタッフやガイドの安全指示には必ず従ってください。 ※当ツアーでは提供していない要素による事故等に対しては一切の責任を負いかねます。 ※主催者側の都合により花火祭りが中止になった場合、ツアー代金は返金させていただきます。それ以外の費用については、ツアー催行会社および当社は一切の責任を負いかねます。 ※ツアー当日の天候悪化やその他の事情により花火祭りが中止になった場合、ツアー代金の返金や割引等は一切ございません。 ※Cancellation policy: non-refundable   ​ ※Emergency contact number: +82-10-6787-1516  



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ソウル(龍山区) , 梨泰院・龍山

ソウル特別市龍山区漢南洞にあるソウル中央聖院は1969年5月、パク・チョンヒ大統領の特別配慮で韓国政府が約5,000㎡にもおよぶ聖院の建設用の敷地を寄与し、サウジアラビアを始めとしたイスラム国家が聖院およびイスラムセンター建設費用を全額支援することで1974年10月に着工、1976年5月21日に開院した韓国で最初のイスラム寺院です。漢江と南山の中間地点にある中央聖院は1階に「韓国のイスラム中央会」事務室と会議室、2階に男性礼拝室(427㎡)、3階に女性礼拝室が設置されています。付属の建物であるイスラムセンターは本来、建坪1,362㎡の2階建ての建物として建設されましたが1990年7月20日にサウジアラビアの「イスラム開発銀行」からの増築費用3億5,000万ウォンの支援により、1991年11月に建て増し工事が行われて3階建ての建物となり、現在では子ども達の教育のための施設とイスラム文化研究所および学生会など傘下団体の事務室があります。


京畿道(広州郡) , 南楊州

八堂湖は京畿道広州市退村面と南終面にまたがる人工湖で1973年八堂ダム完工以後、約2億5千万トンの水を貯水しています。八堂湖にはソウル・京畿地域の水道水の供給場があり、湖畔周辺一帯の湖の絶景と八堂ダムが広州の観光名所となっています。特に八堂湖に沿いの道路はドライブコースとして人気で、八堂展望台からは八堂湖が一望できます。


全羅南道(海南郡 )

頭輪山(トゥリュンサン)は南道にある名山で大芚山とも呼ばれています。高さは703mで大小8つの霊峰から成っています。寺院や遺跡が多く、自然環境が素晴しく、暖帯性常緑広葉樹や温帯性落葉広葉樹が森を形成し、植物分布学上重要な価値を持っています。 大興寺入口から頂上までは約2~3時間かかり、反対側の入口にある頭輪山ケーブルカーを利用すると、頂上のすぐ下まで行くことができます。頭輪山の頂上からは多島海と平野が広がっています。ケーブルカーの長さは1,500mで、片道10分程度かかります。


京畿道(水原市) , 水原

ミスタートイレットこと沈載徳(シム・ジェドク)氏は世界トイレ協会の創立を記念し、30年以上住んでいた家を取り壊して便器型の家を建て、解憂斎(ヘウジェ)と名づけました。解憂斎とは「懸念を解く空間」という意味で、寺院のトイレを意味する解憂所(ヘウソ)に由来します。2007年3月に工事を始め、同年11月1日に完工し、便器型の家「解憂斎」は2007年にギネスブック韓国記録院から「もっとも大きなトイレ造形物」という記録を認められ、国内外のマスコミから注目されました。沈載徳氏が亡くなった後、彼の意思により遺族が2009年7月に水原市に寄贈し、改修が行われました。水原市トイレ文化展示館「解憂斎」は2010年10月30日にオープンしました。


慶尚北道(安東市 )

陶山書院(トサンソウォン)は1574年宰相だった李滉(イファン)の学問と徳行を追慕する弟子達と儒学者達が中心になり建てられた儒学学校です。建築物の構成の面で見ると大きく陶山書堂と陶山書院に区分されます。1951年、李滉はこの地に移り住んだ後、弟子の育成のための学校である学校陶山書堂を直接設計して作りました。このとき、学生たちの寄宿舎として隴雲精舍と奴婢たちの住居である下庫直舍も一緒に作りました。1570年に李滉が亡くなると、2年後の1572年には位牌を尚徳祠(宝物第211号)に祀ることが決まりました。弟子たちは祠堂に李滉の位牌を安置して祭祀を行った後に典教堂(宝物第210号)と東西斎を建て書院として完成させました。書院が完成すると宣祖が陶山書院に扁額をくだしました。


慶尚南道(巨濟市 )

外島海上観光農園(ウェド・ヘサン・クサングサンノンウォン)は、青い南海の海と周辺の景色が美しい閑麗海上国立公園内にある海上植物公園。巨済島(コジェド)から距離にして4kmにあり、クジョラ港から内島を過ぎ、遊覧船で20分で着く距離です。1969年に釣りの最中、風浪を避けようとこの島にたどり着いたイ・チャンホ氏が島を買い、30年の間夫人とともに心をこめて作り上げた農園で、約44,000坪の天然椿林や亜熱帯植物のサボテン、椰子など南国ムードでいっぱいです。12のビーナス像があるビーナスガーデンや、簡単な飲み物を飲みながら涼しげな海と暖かな日差しを楽しむことができるパラダイスラウンジ、また世界各地から集められたさまざまな種類の珍しい花々と椿の花が美しい花卉団地や韓国伝統遊戯彫刻がある遊戯彫刻公園など美しい自然が満喫できる場所となっています。


済州道(済州市 )

モンゴルの侵入時祖国を守ろうと決起した三別抄(高麗の高宗時代に崔瑀が創始した夜別抄の左右部隊(左別抄・右別抄)および神義軍の総称)が最後まで抗戦したところで、展示館と記念碑、土城が残っています。また周辺にはキム・トンジョン将軍が飛び降りた足跡から湧き出てきた水と言われている「長寿水」がありますが、現在飲用水として飲むことは出来ません。三別抄は高麗軍の精鋭部隊として高麗元宗11年(1270)2月、高麗朝廷がモンゴル軍と講和を結ぶとすぐにこれに反対し、最後まで反蒙抗争を継続しましたが、全羅道珍島で敗れるとすぐにここ済州島に渡ってきてハンパドゥ城を築いてモンゴル軍と2年余り抗争を続けます。しかし元宗14年(1273)4月、モンゴル勢力により敗北。三別抄独自の武力は外勢の侵略から祖国を守護しようとする護国忠実な気持ちの現れとして今日の韓国国民に多くの教訓を与えています。