富川弓博物館
 
京畿道(富川市)
韓国の人々は、古代から弓を作り、弓の扱いに非常に長けていたとされています。古代から近代に至るまで繰り返されてきた数多くの戦争で、弓は重要な武器として重宝されてきました。富川弓博物館は、弓に込められた先祖の魂と知恵を未来に伝えることを目的に建設されました。 文化財としての価値と重要性が認められ、1971年重要無形文化財第47号に指定、弓師匠として保護されてきた国弓は、今日まで富川市素砂区深谷本洞を中心に5代にかけて160年以上その伝統が脈々と受け継がれてきました。 展示館には弓や弓矢、火車など国弓に関する各種品物や遺物が展示されています。韓国特有の弓に込められた先祖の魂と知恵を伺い知れる機会となります。

京畿道立ムルヒャンギ樹木園
 
京畿道(烏山市 )
烏山市にある「京畿道立ムルヒャンギ樹木園」は10万坪規模の樹木園で、16のテーマ公園と各種付帯施設、1,600種あまりの植物があります。家族、友達、恋人と一緒に気軽に散策するのにぴったりなムルヒャンギ樹木園は、ゆっくり見て回るのに2時間程所要します。駐車場からすぐ見えるトピアリー園や迷路園は、子どもたちに特に人気のテーマ公園です。この他にも松園、紅葉園、万景園、盆栽園、郷土芸術樹木園、湿地生態園、好湿性植物園、機能性植物園、ムグンファ園、昆虫生態園など全16のテーマ公園があります。ゆっくりテーマ公園を見て回りながら道を上っていくと、木で建てられた展望台が見えてきます。都心部にある樹木園であることから、展望台からはアパートや車が走る様子が遠くに見えます。目の前に広がる木々や花々と都会の風景という相反する風景が同時に楽しめるのもムルヒャンギ樹木園のまたひとつの楽しみのひとつです。※樹木園内には食堂やゴミ箱が設置されていません。環境のためにゴミは各自が持ち帰ることになっています。また、食堂はありませんが「森の中の休憩場」では持参したお弁当を食べることができます。

草島(麗水)(초도
 
全羅南道(麗水市 ) ,
草島(チョド)は麗水(ヨス)から南西に77km、巨文島(コムンド)から北に18kmの地点に位置しており、周辺には大小の島が浮かんでいます。島に草が多いことから草島という名が付きました。島全体が山地となっており、中央には上山峰(サンサンボン)という山があります。大洞(テドン)、鎮幕(チンマク)、ウィソンの3つの村があり、島の北西側には大洞海水浴場、南西側には汀江(チョンガン)海水浴場があります。上山峰から眺める日の出や、鎮幕からモク島の間にできる海割れは、草島の自慢の観光スポットです。麗水から草島まで毎日1便の旅客船が運航しています。

舒川 馬梁里ツバキの森
 
忠清南道(舒川郡 ) ,
舒川八景のひとつ「馬梁里ツバキの森」は、8,265平方メートルの敷地内に樹齢約500年のツバキ80本あまりが生い茂っています。その成り立ちには、いくつか言い伝えがあり、ひとつは約500年前、馬梁の水軍僉使(水軍の武官)が、海辺にある花を増やせば村が繁栄するだろうという夢のお告げを実行し、森ができたというもの。もうひとつは、漁に出た夫と子どもを海で失くした老婆が沖合いで天に昇る龍王を見て、龍王を敬い怒りをおさめなければならないと考え、夢のお告げによりツバキの種を得て、それを撒きツバキが生い茂ったとされるものです。 ここは、韓国では数少ないツバキの森であり、また、気候面においてツバキが生息できる北の限界線上に位置するという植物分布学的な価値もあります。さらに伝統的な豊漁祭や伝説もあることから文化的価値も高いとされ、1965年には天然記念物第169号に指定されました。 ツバキは、ツバキ科に属し、韓国を含め日本や中国などの暖かい地方に分布しています。韓国では南側の海岸や島でみられます。ツバキは普通、高さ7メートルくらいまで育つ暖温帯性常緑広葉樹ですが、ここのものは強い風を受けるため約2mしか伸びず、横に広がっています。また、森の西側は風が強いため、残っているツバキは数本で、東側に約70本が分布しています。花が咲く時期によって「チュンベク(春栢)、チュベク(秋栢)、トンベク(冬栢)」と呼ばれ、馬梁里のツバキは春に咲く「春栢」です。常緑性の高木で、厚く光沢のある濃い緑色の葉がたくさんついており、とてもきれいです。3月下旬ごろから花が咲きはじめ、緑の葉と紅い花のコントラストは美しく、5月初旬ごろまで訪れる人々の目を楽しませます。森の頂上には東屋「冬柏亭」があり、ここから、海に浮かぶオリョッ島や美しい夕日が一望でき、まるで水墨画のような世界が広がります。さらに、ここは地理的特性により日の出と日の入りがどちらも見られるとして人気のスポットとなっています。また、冬柏亭の近くには馬梁タンチプと呼ばれる豊漁祭祠堂があり、その昔から、毎年ここで大漁と安寧を祈願する祭祀が営まれています。    

金井山城
 
釜山広域市(金井区) ,
釜山の金井山(クムジョンサン:801.5m)の頂上に位置する金井山城(クムジョンサンソン)は、本来は東莱山城でしたが現在は金井山にあるということで金井山城と呼ばれています。金井山城 は長さ17,377km、城壁の高さ1.5m~3m 程で国内では最も規模が大きい山城。現在は約4kmの城壁だけが残っています。 築城年代は正確な記録がありませんが、 位置や規模からみて三国時代(高句麗、百済、新羅の3国が争っていた時代)に築城されたものと推測されています。現在の山城は肅宗(1703年)の時に作られたもので壬辰倭乱(1592-1598)の後日本の再侵入に備えて石を積み重ね始め1707年に建て直されたもの。1940年代には山城が荒廃しましたが、1971年、史跡第215号に指定された後、2年に渡り東、西、 南門を復元、現在も復元事業が進められています。山城には城門の上に建てた楼閣である門楼と遠くを見張るための楼閣である望楼があります。 金井山城は泉水がとても多く花崗岩地帶からは洞穴と大小の峰を見ることが出来ます。

月峰書院
 
光州広域市(光山区) ,
月峰書院(月峯書院/ウォルボンソウォン)は、1578年に金継輝を中心とした地方儒林(儒学者の仲間)が、学問と徳行に優れた性理学者・奇大升を追慕するため、光山郡飛鴉面山月里に「望川祠」を建て、位牌を祭ったのがはじまりです。その後、場所を移し、1654年には朝鮮第17代王・孝宗より「月峰」という名を賜りました。1671年には、宋時烈らの建議で近くの徳山祠に祭られていた朝鮮中期の文臣・朴祥と朴淳を月峰書院に移し、1673年には礼学の大家・金長生と金集が新たに祭られました。先賢を祭るとともに地方教育の一翼を担っていた月峰書院でしたが、1868年に興宣大院君の書院撤廃令により撤廃されます。その後、1938年になってようやく全羅南道の儒林によって「氷月堂」が再建されると、1972年に庫直舍、1978年に外三門と蔵板閣、1980年に祠宇、1981年に内三門が建立され、今の姿となりました。現在、氷月堂は光州広域市記念物第9号に指定されており、蔵板閣には『高峰集』の板木474枚が保管されています。      

漢灘江観光地
 
京畿道(漣川郡) ,
漢灘江一帯は、火山活動の影響で溶岩石が多い地域です。また、漢灘江一帯は景観が美しいことから以前から観光名所としても知られていました。漢灘江の下流エリアにある漢灘江国民観光地は、漣川郡全谷里の漢灘橋とサラン橋の間の川沿いに1.5kmに渡って作られました。北韓の平康方面から始まり、鉄原、抱川、漣川地域を流れる臨津江と合流する漢灘江は、特に渓谷が絶景で渓谷の左右の絶壁は珍しい形の岩からなっており、この他にも周囲のあちこちに景色の良い所が多いです。また、川上には孤石亭や蓴潭溪谷が、川下の遊園地の近くには各種行楽施設が並んでいます。漢灘江の氾濫により何度も地域のインフラ施設が破壊されてしまったことを契機に、漢灘江国民観光地は造成されました。漢灘江が見渡せる絶好のスポットに位置する漢灘江観光地には、オートキャンプ場や恐竜をテーマにした子どもキャラクター園、子ども交通ランド、水遊び場、生態池、サッカー場などの施設が整備された家族で訪れ休息できる休養地です。

潭陽リゾート温泉
 
全羅南道(潭陽郡 ) ,
潭陽(タミャン)リゾート温泉(オンチョン)は1,260個ものロッカーを備えています。男女共に様々な浴槽や露天風呂、チムジルバン、エステ、マッサージ室もあります。. こちらの温泉に含まれている成分は日ごろの疲れを癒してくれることで知られており、ストレスを解消、関節炎、美容にも非常に効果的です。

丹陽江 桟道(단양강 잔도)
 
忠清北道(丹陽郡 ) ,
全長1.12kmを誇る丹陽江(タニャンガン)桟道は、これまで行くことができなかった南漢江(ナマンガン)縁の岩壁に張り出すように設置された遊歩道で、トレッキングのロマンや爽快なスリルを全身で体験できます。 丹陽江桟道からは南漢江の風景を一望でき、海外の有名観光スポットによくある桟道の韓国版ともいうべき散策路です。 近くには苔トンネル、満天下スカイウォーク、垂楊介先史遺物展示館、垂楊介光のトンネルなどの見どころも多く、観光・地質・歴史を同時に体験できる観光エリアとなっています。