全羅南道(麗水市 )

夜の帳が下りると、およそ50パターンの光できらびやかな姿に変身する斜張橋・突山大橋(トルサンテギョ)は、麗水(ヨス)の市街地の目の前の海に浮かぶ突山島(トルサンド)と市内中心部の陸地を結ぶ、地元・突山を象徴する連陸橋(離島架橋)です。 麗水の港と突山島の間に浮かぶ小島で国内唯一の水中の城と呼ばれる将軍島(チャングンド)は、その昔、倭寇の侵略に備え、1497年、全羅左道(チョルラチャド=現在の全羅南道[チョルラナムド])の水軍のトップ・節度使に任命された李良(イ・ヤン)が波の強いこの島に石を積み城郭を築きました。 倭敵、盗賊は強固な城郭が築かれたこの島に敢えて手を出すことがなかったことから、将軍島と呼ばれるようになりました。 突山島と将軍島の間は干満の差が激しい大潮の時期には、歩いて対岸に渡ることができ、現在はあまり多く残っていませんが、人が加工したと思われる痕跡が大きな石に残っており、古の将軍島の姿を思い描くことができます。 いまでは、美しい光があふれ、麗水港(ヨスハン)の海原とあいまり異国情緒あふれる光景となっており、数多くの観光客が訪れる場所となっています。 突山島の高台となった突山公園から眺める突山大橋や将軍島の夜景は、光のページェントと美しい海原があいまり最高の景色となっています。 およそ1万5000人の住民が住む突山島(トルサンド)は、麗水市内と目と鼻の先ほどの距離にありますが、海に阻まれた島という地理的条件のため、長らく日常の生活や通学には毎日船を使わざるを得ない不便さがありました。 このような状況を解消するため、突山島と陸地を結ぶ橋を建設することに至り、1980年に橋の建設工事を開始、1984年12月15日に突山大橋が完成しました。 1984年の竣工時に行われた突山大橋竣工記念式は、現職の大統領まで参加する大きな行事となりました。 突山大橋の完成とともに、突山島側の橋の近くには突山公園が造られ、突山島にあるムスルモク海水浴場、冬柏(トンベク)海水浴場をはじめ、日の出・参拝の名所で落ち着いた雰囲気のある寺・向日庵(ヒャンイルアム)などもあり、麗水を代表する観光コースとなっています。 道路が陸地とつながり、地元・突山地域で栽培される農産物の流通も活発となり、突山名物のからし菜・突山カッは、からし菜キムチ・カッキムチの代名詞にもなっています。 突山大橋には2000年10月、八つのプログラムで繰り広げられるおよそ50パターンの色とりどりの光の演出が可能なライトアップ施設を設置、訪れる人々にきれいな夜景をプレゼントしています。


慶尚北道(安東市 )

晩休亭(マニュジョン)は朝鮮時代の文臣・宝白堂(ポベクタン)金係行(キム・ゲヘン)公の亭子(東屋)で、1500(燕山君6)年に建立されました。 現在の建物は重修したため建立当初の姿からは変わってしまっていますが、重修後の朝鮮時代後期の様式を彷彿とさせる造りとなっています。 金係行は朝鮮時代初期の文臣としてさまざまな官職を歴任した人物でした。しかし、朝鮮時代第10代の王・燕山君(ヨンサングン=在位1494~1506年)の暴政に嫌気が差し、官職を捨て故郷へと落郷しました。故郷に帰ると、ソルモッの池(現在の慶尚北道安東市豊山面素山2里にある素山池=ソサンジ)の畔に小さな亭子を一度建てましたが、真横に道があったことから、より静かな場所を求め、この亭子を現在の場所に建てたといいます。 安東市吉安面(キランミョン)にある黙渓書院(モッケソウォン)の川向こうの山あいの、滝のある雄壮な渓谷の谷澗水が盤石の上を流れる絶景の場所に、この晩休亭が南東の方向に向いて建てられています。 * 朝鮮時代の品位が感じられる晩休亭の構造 * 晩休亭の構造を見てみると、 軒先の垂木が一段のみとなっている入母屋屋根となっており、屋根左右の軒先の曲線が鋭く反り返り、亭子の趣をより一層感じられる構造となっています。 晩休亭の建物の大きさは正面3間、側面2間となっています。 正面は柱と柱の間の3間すべて開放することができ、建物正面の風景を楽しめるような作りの高殿の板の間がある亭子となっています。また楼閣の周囲の三方は縁側となっており鷄子閣欄干という欄干を配しています。建物の後は板の間となっており、周囲の縁側を通じて正面の板の間とつながる構造となっています。 また後壁にある戸の下の部分には穹板(クンパン)という板がやや高めにはめられているのもこの建物の特徴です。 亭子の左右にある部屋はオンドル部屋となっており、部屋の正面部分の戸は一般的な両開きの戸が取り付けられていますが、部屋の後ろ側の方の戸は格子模様の三分割の上開きの戸が取り付けてあります。 建物正面をすべて開放できるようにし周囲を縁側にする亭子の構造は稀で、他には同じ安東・吉安面にある薬渓亭(ヤッケジョン)が似た構造となっている程度です。 柱には蓮の蕾の装飾を施した二翼工様式の牛の舌のような形をした飾り板が突出し、この様式から朝鮮時代後期に取り付けられたものと思われますが、朝鮮時代末期の派手な様式とは異なり品位を保つ作りとなっています。 柱貫の上部には蓮の花を施した華盤を設け、趣向を凝らした造りとなっています。 屋根の部分は5本の桁を渡して作った五梁家(オリャンガ)造りとなっており、大梁の上に束柱を立て、棟と梁を乗せ、その上に梯形(台形)の束板を取り付けています。 [文化財情報] 分類:楼(亭)閣 指定:慶尚北道文化財資料第173号 指定日:1986年12月11日 時代:朝鮮時代


忠清北道(永同郡 )

深川(シムチョン)駅はKORAIL京釜線(キョンブソン)にある駅で、1905年1月1日に開業しました。 1920年には駅舎が新築されましたが、時代の流れは馬車から汽車へとシフトし、これに伴い鉄道も輸送力増強のため、深川駅付近の区間も複線化工事を実施、1934年に駅舎が移転し新築されたのが現在の深川駅の駅舎です。 深川駅駅舎は建築面積148.86平方メートルの一文字型の木造平屋の建物となっています。 切妻屋根の正面の待合室入口は、正面であることを強調した造りで、建物の線路側の出入口には雨よけの屋根を取り付け、立体感を引き立てた造りとなっています。 深川駅は地元・忠清北道(チュンチョンプクド)を代表する鉄道駅で、ソウルと釜山(プサン)を結ぶ京釜線(キョンブソン)の駅舎の中でも建築当時の原型を留めている駅舎の一つに数えられています。 駅の後ろには小高い山があり、正面には錦江(クムガン)が流れ、景色が大変素晴らしいところです。 近くには錦江の川縁にある陽山八景(ヤンサンパルギョン)があるほか、蘭渓(ナンゲ)国楽博物館、蘭渓国楽器制作村、蘭渓祠堂など国楽に関連する施設も数多くあります。  


済州道(済州市 )

子どものような心を持つ大人という意味のキダルト。そのキダルト文化を代表するフィギュアを収集・展示する「フィギュアミュージアム済州」に皆様をご招待します。 年齢を問わず楽しく観覧できるアートフィギュアの世界、目が離せない幻想的なフィギュアがいっぱいの「フィギュアミュージアム済州」では、アクションフィギュア、 ムービースタチュー、実物大の大型映画キャラクターフィギュアやアップサイクリング・ヒーリングアート作品に至るまで、貴重で精巧なハイクォリティーの様々なフィギュアが展示されています。 あらゆる世代に共感していただけるよう、映画・ゲーム・アニメーションキャラクターなどジャンルを問わず数多くのフィギュアに触れられるよう工夫がなされています。 特に済州島という地理的制約などにより、これまでなかなか触れることができなかった最高のキャラクター産業と目される「フィギュア」を、済州に住む人々をはじめ、国内外の観光客の皆様にもお楽しみいただける済州島を代表する文化スペースとなるよう設立されたのが、このフィギュアミュージアム済州です。


仁川(甕津郡)

豆粒ほどの砂利が海辺を覆っていることから、韓国語で豆をコン、石をトルということから、豆のような石が覆いつくす海岸いうことで、コンドル海岸と呼ばれています。このコンドル海岸は天然記念物第392号に指定され、保護されている海辺です。 海岸の総延長は800m、水辺からの幅は30mほどで、豆粒のような砂利はここ白翎島(ペンニョンド)の地質の大半を占める珪岩が割れ波に洗われることにより、石が擦れてこのような玉砂利が広がる海岸になりました。 透き通ったきれいな海水が海辺に打ち寄せる波の音を聞きながら、皮膚炎にも効能があるという天日で熱くなった砂利の上で横になる砂利チムジルも体験できます。 海岸は波打ち際あたりの傾斜が急なため、突然深くなるところもあるため注意が必要です。また潮が引いた干潮の時間帯になると海岸の先の絶壁にある深くえぐれた場所が姿を現します。


大田広域市(西区)

平松(ピョンソン)青少年文化センターは1990年、平松・李南容(イ・ナミョン)先生が生涯かけて貯めた30億ウォンを青少年会館建設のため、大田広域市に寄付したことから始まりました。一生をかけて貯めた私財を青少年のため寄贈した平松先生の業績は輝かしいものがあり、平松青少年文化センターを通じて平松先生の精神が今もなお語り継がれています。


全羅南道(麗水市 )

麗水(ヨス)旧港海洋公園は、2001年から麗水港湾庁が麗水旧港の海岸を整備し、市民の憩いの場として造成した公園です。 将軍島(チャングンド)や突山(トルサン)大橋、南海島(ナメド)や小さな島々が大変よく見え、すぐそばにはハメル灯台もあるほか、園内には大型公演場、釣り場、憩いの場などもあります。  熱帯地域を思わせるワシントンヤシや照明の灯りが園内を素晴らしい風景に作り上げ、また夜になるときらびやかにライトアップされた突山大橋の夜景が公園から美しく見え、数多くの人々が訪れる海洋公園となっています。 麗水旧港海洋公園の防波堤の突端には、朝鮮事情をヨーロッパに最初に紹介したオランダ人の船乗り・ハメルを称え建てたハメル灯台という観光スポットがあります。 ハメルは1653年、済州島(チェジュド)に漂流し、その後1663年7月麗水の全羅左水営に送られ雑役に従事し抑留生活を送りましたが、1666年になりようやく日本へ脱出しました。 現在のハメル灯台の位置が、まさにハメルが朝鮮を発った場所にほかなりません。 2005年3月、国際ロータリークラブ創立100周年を記念し、麗水地域のロータリークラブ関係者によりこのハメル灯台が建てられました。


京畿道(利川市)

利川の名所、沙器幕陶芸村と新屯陶芸村の近くにある、こじんまりとした韓屋スタイルの伝統家屋の建物、それが「昔の米飯屋」という意味の「イェンナル・サルパッチプ」です。韓国を代表するブランド米の利川米と様々な穀類を混ぜて炊き上げた栄養ご飯(ヨンヤンパプ)、25種類のおかず、そして大豆の香り漂う味噌鍋(テンジャン・チゲ)と魚の煮付け(センソン・チョリム)を一度に味わえる「米飯定食(サルパプ・チョンシク)」。韓屋の趣と韓食の味が絶妙にマッチした、利川市を代表するお店です。


全羅北道(南原市 )

南原場(ナモンジャン)/南原公設市場は、朝鮮時代から1970年まで五日市が立つ場所として知られ、特に牛の取引が行われる牛市場(ウシジャン)は韓国の三大牛市場の一つに数えられるほどでした。 地元・南原(ナモン)発展の一環として、南原の景勝地・広寒楼苑(クァンハルルウォン)の拡張を行い、これとともに1970年12月、現在の位置に移転、常設市場も開設し、同時に既存の五日市も行われる市場となりました。 市場では地元・南原で有名な料理、伝統スンデクッパや鮎の刺身、ドジョウ汁、山菜韓定食などを味わえ、また地元の特産物・智異山(チリサン)薬草、南原木器などもあり、韓国南西部を代表する市場となっています。


忠清南道(公州市 )

中洞(チュンドン)聖堂は、公州(コンジュ)地域で初めてのカトリックの聖堂として1897年建てられ、初代神父にはフランス人宣教師ギナンが赴任しました。 その後、1921年第5代主任神父として赴任した崔鍾哲(チェ・ジョンチョル)神父が新たな聖堂の建立を計画、1937年現在の聖堂の建物を造り上げました。 その後も新しい建物を建築、1981年には「天使の家」という講堂を、1989年には新しい司祭館と修女院(修道院)を完成させました。1997年には設立百周年を記念し、聖堂の建物を大々的に修復しました。翌年の1998年、中洞聖堂は忠清南道記念物第142号に指定されました。 中洞聖堂は伝統の木造建築から現代建築へと切り替わる時期のゴシック様式の建造物として高く評価されている建物です。本堂を上から見るとラテン十字の形をした構造となっており、外観は赤煉瓦の外壁となっています。中央玄関の屋根には高い鐘塔があり、玄関入口や窓の上部には先が少しとがったアーチ型の装飾がなされています。 近くにはクッコゲ文化の通りや忠南歴史博物館など数多くの観光スポットもあり、日帰り観光におすすめのコースです。