ソウル(永登浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

「漢江ウォーターファイト祭り(ハンガンムルサウムチュッチェ)」では水風船や水鉄砲を使い、チームを分けて行う「水合戦」が楽しめる他、有名DJやヒップホップミュージシャンも参加するエレクトロニック&ヒップホップフェスティバルも開催され、暑さ・日常に疲れた人々に活力を与えます。


江原道(三陟市)

江原道の大耳里洞窟地帯にある幻仙窟(ファンソングル)は、韓国最大規模の石灰岩洞窟です。総延長およそ6.5km、内部には多様な石筍と鍾乳石、10数個の大小さまざまな池と6つの滝があります。とりわけ夢の宮殿、兎の杵、万里の長城、美女像など神秘的な鍾乳石と、断崖に掛けられた橋である地獄橋は幻想的。内部の気温は夏は12-14度、冬は8-9度ぐらいに保たれており、美しい鍾乳石の形は洞窟の生成と成長の過程を見せてくれます。チケット売り場から入り口までは30-40分ほど歩き、内部を見て廻るのには1時間以上かかります。海抜820mの山の中腹にあり、チケット売り場から入り口までは坂道となっているためお年寄りや幼児には多少困難かもしれません。


慶尚北道(蔚珍郡 )

金剛松は幹が真っ直ぐで葉に光沢があり、木の皮は赤色を帯びています。樹形と材質に優れ、松の中でも最高の松とされており「金剛松」または「剛松」、「黄腸木」、「春陽木」など、様々な名称で呼ばれています。 慶尚北道蔚珍郡西面召光里金の金剛松集団分布地は、肅宗の時代には王の棺を作るのに使う品質の良い松として管理されていました(黄腸封山)。1959年、育種林に指定された後、2001年には山林遺伝資源保護林に指定されるほど有名な松林で、金剛松美人松(樹齢520年の松)がある地域として特別に保存・管理されています。 金剛松林道探訪予約制 金剛松林道は山林庁が国費で造成した第1号の林道で、1区間・3区間は正常予約受付、2区間は団体探訪客のみ予約受付、4区間・5区間は現在試験的に予約受付・運営しています。探訪予約はインターネットを通じて先着順で受け付けています。


忠清北道(忠州市 )

韓国最大のコンクリート多目的ダムである忠州ダムは忠州市の宗民洞と東良面の槽東里をつなぐダムで南漢江を防いで水資源確保および洪水被害防止、電力生産を目的としています。忠州ダムには水展示館、記念塔、休息空間が用意され、ヘリコプーター着陸地、忠州湖の遊覧船に乗ることができる忠州船着場などもあります。高さ97.5メートル、長さ447メートル、貯水容量27億5千万平方メートル。


済州道(済州市 ) , 구 제주

15コースは翰林港の飛揚島(ビヤンド)島航船船着場を出発し、ピョンス浦口、農産物集荷場、ヘリン教会、納邑小学校、天然の森と呼ばれる金山公園入口、百日紅道(ペギルホンギル)入口、高内峰(コネボン)入口、高内峰 下の下加里の分かれ道を過ぎ、高内浦口(コネポグ)に至る19kmのコースです。海沿いの道や、田舎道、山道が調和し、済州の様々な魅力を感じることができます。また、距離が比較的長く、高くは無いが坂道があり、林の中も通ります。


京畿道(利川市)

京畿道利川市官庫洞に位置する「雪峯公園」は雪峯山と雪峯湖が一体となった場所であり、利川の代表的な公園施設となっています。湖沿いの散歩道を運動したり散歩する人が多く、世界陶磁器ビエンナーレや毎年開催される利川陶磁器祭、利川米文化祭の開催地でもあります。また、奇岩怪石や薬水の出る泉、雪峯山城に映月庵など、見て周るのにふさわしい遺跡も多く存在しています。


江原道(鉄原郡)

鉄原郡北方にあるこの白馬高地は韓国戦争(朝鮮戦争)当時、最も激しい戦場となった場所です。1952年10月6日空軍からの対空戦で10日間にわたる大血戦が繰り広げられた白馬高地戦闘は相互の砲弾落下30万発が炸裂し高地の所有者が24回も変わりました。この先頭で空軍は約14,000名あまりの死傷者を出したと言われています。砂埃と死体が入り乱れ悪臭が鼻を突き、砲撃などのせいで山が本来の姿を失ってしまいましたが、その姿がまるで白馬が寝そべっているように見えることから白馬高地と呼ばれるようになりました。


全羅北道(完州郡)

松広寺は全羅北道完州郡所陽面にある千年古寺です。大韓仏教曹渓宗松広寺は新羅景文王7年(867年)に九山禅門の開山祖である普照体澄禅寺が開創しました。元来の寺名は白蓮寺で、現在の一柱門が3km離れたところにありましたが、歴史の変遷により廃寺となったものを順天松広寺の普照国師知訥僧が復元後、現在の寺の殿閣は1600年代に普照国師の弟子達が大々的に仏寺の再建を推進したものです。特に丙子胡乱で昭顕世子と鳳林大君2人の太子を清の国に人質として送った仁祖大王が2人の太子が無事に帰還することと国乱の痛みをお釈迦様の加護で治癒しようと大々的に再建立した仁祖大王の護国寺です。このような歴史の痛みを治癒するための護国寺であることからか、大事があると大雄殿、羅漢殿、地蔵殿の仏像が多くの汗と涙を流すと言われています。特に大雄殿の仏像はKAL機爆破事件、12.12事件、郡山ヘリ沈没事件、江陵潜水艦沈没、そして1997年12月2日から13日まで膨大な量の汗と涙を流し、I.M.F寒波を予見したと言われています。全国でも有名な4つの道場の中で最大規模の地蔵殿に奉安されている地蔵菩薩増と四王像、羅漢殿の釈迦如来と500の羅漢像は、大雄殿と共に多くの人たちの参拝所となっており、また、傾斜の少ない平地に建てられた寺であるためお年寄りの方でも楽に上がることができ、大型バス30台が駐車することができる大型駐車場と食堂があります。春は松広寺の桜並木がとても美しいです。大雄殿、三世仏像、亞字形彫刻、四天王像など4点の宝物文化財と8点の有形文化財など歴史の息吹を感じることのできるお寺です。* 遺物1) 金剛門 全羅北道 有形文化財 第173号2) 木造三殿牌 全羅北道 有形文化財 第170号3)塑像三座像及び腹蔵仏像宝物 第1274 号4) 瞑府殿 塑彫地藏菩薩三尊相及び巻属上一括 全羅北道 有形文化財 第168号* 主要文化財1) 大雄殿(宝物第1243号)2) 塑彫 三世仏像(宝物第1274号)3) 十字閣 (宝物第244号)4) 四天王像 (宝物第1255号)


慶尚南道(金海市 )

伽揶文化祭り(カヤムンファチュッチェ)は、6伽揶の盟主であった「金冠伽揶」をベースに、歴史と伝統を誇る金海市の歴史文化祭りとして国内外に広く知られています。 金首露王は、 西紀42年に生まれ、伽揶を建国し、48年にインドアユタ国の女王「ホ・ファンオク」と結婚しました。これは韓国の歴史上初の国際結婚となりました。伽揶は早くから土器と鉄器文化の発達を遂げ、中国やナクラン、日本など韓国に近い国々と貿易を行い、東北アジア国際交流の中心地として燦爛たる文化の花を開花させました。 悠久な歴史と独創的な文化が生きている伽揶文化のメッカ「金海」は、伽揶文化祭りから伽揶文化を世界的な文化遺産として保存・継勝・発展させま、高句麗・百済・新羅とともに第4の帝国伽揶が存在したことを証明しました。今年で33回目を迎える伽揶文化祭りは、「神秘で会う2千年伽揶文化」というテーマで、首露王の神話をより現実味があるように劇化した歴史ファンタジーミュージカル「第4の帝国」、雄大壮厳で派手に開催される「伽揶の行陣」、国内初の国際結婚となった首露王、ホ・ファンオクの結婚を称えるための「首露王婚礼舞台」、「ホ王后波路体験」、国際貿易の中心地であった伽揶時代の再現「波路文化」、騎馬文化ルートの「アジア国際公演芸術祭」、「インド文化体験」、「伽揶文化体験ZONE」など6分野40種余りの様々なプログラムで構成されています。