光州広域市(東区)

光州(クァンジュ)広域市東区(トング)所台洞(ソテドン)の通称・ペゴプンタリの橋を渡ると、素朴な赤い煉瓦の 鞠尹(クギュン)美術館が見えてきます。 さらに地元・光州の名山・無等山(ムドゥンサン)の方へ足を進めると、彫刻公園やギャラリーがある禹済吉(ウ・ジェキル)美術館があります。 そして証心寺(チュンチムサ)へ上っていく道すがらに、生涯無等山を愛した毅斎(ウィジェ)許百錬(ホ・ペンニョン)とその作品を称える毅斎美術館が、無等山の姿や精神を反映するかのように自然の中にありのままの姿で建っています。 雲林洞(ウルリムドン)アートバレー・雲林美術館通りはこのように自宅への帰路につく路地のような温かさですべての人々を出迎えてくれます。 <出典:光州文化観光>  


慶尚北道(金泉市 )

慶尚北道、金泉に2010年6月19日にオープンした東洋最大規模の化石博物館である「インドン化石博物館」は、室内外の展示室に隕石、花、果物、動物、木、貝などの化石だけでなく、今まで見ることすらできなかった最大化石やさまざまな化石、柱状節理(主に溶岩が固まってできた化石で断面が長い六角形または三角形で長い柱の形をしているもの)他にも水中生態館、モンゴル体験館、貴重な寿石や庭園石など多様な見どころがあります。 化石は、インドネシア、マレーシア、中国、ブラジルなどを始め世界各国で発掘されたもので、その中に600トンにおよぶ柱状節理や長さ55mの木の化石が展示され、地域の観光名所となることが期待されています。 この「インドン化石博物館」は、野外展示場もあり化石を単純に目で楽しむだけでなく、実際に触って体験できるようになっています。またすべての建築物は、木材を使用しているため自然にやさしく観覧客が気軽に過ごせるように配慮され、池をはさんだ庭園の横にはお茶を飲みながら話ができるスペースが用意され、さらに良い環境になっています。


京畿道(坡州市 )

スカイウォーク「明日の奇跡の音」は韓国分断の歴史的シンボルで臨津江(イムジンガン)に架かっていた京義線の複線の鉄橋「トッケタリ」の片側を復元し作ったものです。6・25戦争(韓国戦争・1950-1953)時の爆撃によって鉄橋は破壊されましたが、片一方は後に道路橋として改修され捕虜交換の際や板門店へ繋がる橋として利用された「自由の橋」(現在は再び鉄道の鉄橋として利用)、そしてもう一方の破壊された鉄橋の残った5つの鉄橋の橋脚を基礎に長さ105m、幅5mの戦争前の鉄橋の一部を再現しました。2層構造で過去と現在、未来のエリアに分けて構成されています。民間人統制線(民統線)内に位置していますが、特段の許可なしに出入りすることができる唯一の施設です。


仁川(甕津郡)

「トゥメ・カルグクス」は土俗飲食店指定店で、韓国最北端の島「白翎島」にあります。白翎島は北韓の陸地と約10㎞しか離れておらず、仁川から船に4時間半以上揺られないとつくことができない離れ小島です。このような地理的条件から誕生した料理が「キムチと牡蠣入り餅(チャンジトク)」です。熟成したキムチと白翎島で獲れた牡蠣やムール貝を混ぜて具を作り、そば粉で作った皮で包んで蒸して作ったこの餅には、離れ小島白翎島の哀歓が込められています。


京畿道(坡州市 )

坡州(パジュ)プロバンスで冬の祭りの名所として知られる美しく幻想的な「星の光祭り」を開催します。期間は2017年11月25日からおよそ2年間長期にわたって開催される予定です。 ロマンチックなクリスマスや年末の雰囲気を一足早く感じられ、艶やかなLEDのイルミネーションでプロバンス村を照らす夜景は来場者に大変人気があります。 特に今回の坡州プロバンス星の光祭りは、大型スクリーンを設置して華麗な映像美を演出、海の上を泳ぐかのような大きなクジラの模型やハートトンネル、数多くのフォトゾーンなどがあり、素敵な星の光の饗宴を体験できます。


慶尚北道(高霊郡 )

ケシル村営農法人・徳洞宅(トクトンテク)は、芝の庭や気品ある韓屋が調和をなし、風情ある雰囲気を醸し出す韓屋宿泊施設です。 敷地入口にある大きな木造の大門を開き、敷地へ足を踏み入れると、青々とした芝生が広がり、その後ろには「一」の字型をした韓屋が建っています。客室は全2室で、梅室は2名様から3名様、竹室は3名様から5名様までお泊りいただけます。淡いトーンの韓紙の壁紙で仕上げた客室にはテレビや冷蔵庫、エアコン、インターネット、洗面用具などを完備し、くつろいでお泊りいただけます。 竹室には炊事用品も用意しており、料理も可能で、広々とした中庭ではバーベキューもお楽しみいただけます。 徳洞宅があるケシル村は朝鮮時代前期の文臣であり学者であった金宗直(キム・ジョンジク)先生の子孫が集まり形成した善山金氏(ソンサン・キムシ)の集姓村です。村内には民俗資料62号に指定され朝鮮時代に起きた士林の四大惨禍のひとつで戌午士禍(1498年)のとき災いを被った金宗直先生の宗宅(本家)や文化財資料第111号の道淵斎(トヨンジェ)などがあります。 近隣には大伽倻博物館にある金宗直先生記念室には有形文化財第209号の佔畢斎文籍遺品が展示されています。花が咲く美しい谷ということで開花室とも呼ばれるこの地ですが、その背後に花が満開となる花開山(ファゲサン)や350年前からあるという竹林、そして蝶が羽を休める形に似ていることから名付けられた蝶舞峰(チョンムボン)などが村の周囲を温かく包み込んでいます。村の八割以上の人々が伝統韓屋を保存・維持しており、韓屋の瓦屋根の曲線は村の暖かな風情と調和しています。 この村は2001年に行われた美しい村作り事業や2005年農村体験村造成事業を通じて、現在の姿に生まれ変わりました。事業では村に元々からあった古い家屋を補修・新たに建築したり、土で固めた石塀や散策路の造成、そして細部にいたるまで造景し、より風情ある村づくりに努めました。他にも住民や訪問される方々が便利に楽しめるよう村の休憩所や体験館、インターネットカフェなども開設しました。ケシル村は住民みながともに力を出し合い、村を活気づける代表的な例としてその成果を認められ、2011年には大韓民国農漁村マウル大賞において大統領表彰を受けたこともあります。 2003年には農協ファームステイ村としても指定され、自然と伝統を生かした様々な体験プログラムも実施しています。サツマイモ掘り、田植えなどができる「農業体験」、礼節教育と伝統茶の試飲を行う「伝統教育体験」、凧や藁工芸などにチャレンジできる「ものづくり体験」、飴や油菓などを作る「伝統飲食体験」、ブランコや板跳びなど村の広場で楽しむ「伝統遊び体験」、ドジョウ掬いや氷上そりが楽しめる「自然体験」などがあります。 このように季節ごとに自然の美しさやさまざまな伝統を活かし盛りだくさんの体験プログラムを実施しているケシル村は代表的なファームステイ村としての地位を確立し、毎年5、6万人の観光客が訪れる名所となりました。 伝統韓屋体験や様々な楽しみがあるケシル村で古きよき田舎の情緒を体験してみるのはいかがでしょうか。


ソウル(冠岳区)

国立ソウル大学校冠岳キャンパス脇の冠岳山登山道に入ると、すぐ右手に野生花学習場が見えてきます。珍しい花々の写真を撮ったり、プレートに表示された花の名前を覚えたりしていつもとは違った憩いのひと時を過ごせます。登山道とソウル大キャンパスとの間を流れる川の上流方向1kmほどに続く区間には大人の腰ぐらいまで水深のある「自然型プール」や自然学習場などがあり、またおよそ1,000平方メートルほどの広さを誇る休息スペースにはジャガイモ、ナスなど19種類の農作物やセンノウ、イブキジャコウソウなど1,630本の草花が植えられ、その風景はいかにも韓国の農村のような光景です。5月末から6月には薔薇農園でバラ五感体験もできます。


京畿道(坡州市 ) , 坡州(ヘイリ村)

臨津ナルの船着き場の南にある亭子(東屋)で、朝鮮時代、領議政(ヨンイジョン)という中央官職の長を務め居昌府院君(コチャンブウォングン)慎承善(シン・スンソン)が建てた来蘇亭(ソレジョン)。 臨津江(イムジンガン)八景は、朝鮮王朝第19代の王・粛宗(スクチョン・在位:1674年~1720年)の時代の文臣・壺谷(ホゴク)南龍翼(ナム・ヨンイク)先生が現在の京畿道(キョンギド)坡州市(パジュシ)長山里(チャンサルリ)にあったこの来蘇亭に上り臨津江の美しい風景を詠んだ詩『来蘇亭於(ネソジョンオ)』に由来する、臨津江縁にある八つの景勝地のことを指します。 この臨津江八景を代表する第一景は臨津江が蛇行する川縁、現在の坡州市坡平面(パピョンミョン)栗谷里(ユルゴクリ)にある花石亭春(ファソクチョンチュン=花石亭の春)。 この花石亭は、1443年、寄棟屋根に初翼工形式で建てられ、臨津江が眺められるこの場所で朝鮮時代を代表する儒学者・栗谷(リュルゴク)李珥(イ・イ)が弟子とともに学問について論議し余生を送ったといいます。


大田広域市(儒城区)

* 韓国の統一のための場所、大田統一館 * 2011年8月11日開館した大田・統一館はエキスポ科学公園内ハンビッ塔東側のエキスポ記念館1階にあります。 韓国民に南北関係の現況と北韓の実情について正しく理解してもらうことを目的に設置・運営された施設です。 各種展示t部や映像資料などを通じて北韓の実像を正確に見て感じて理解し、南北首脳会談以降の南北関係を理解するために必要な展示や資料が多数ある統一教育の場となっています。 統一館は1階およそ420平方メートルの規模で、統一への努力の足跡、映像文献資料検索、北韓生活用品展示及び体験場などがあります。 * 大田統一館でみることができる様々な情報 * 大田統一館では「北韓を知る」をテーマに、北韓の政治、経済、社会、文化などについての実写グラフィック及びショーケース展示を通じて、北韓の実像をご覧頂けます。 また「映像室」では北韓さまざまな情報検索、北韓の実情ビデオを上映しています。 「民族の念願、統一」では統一地形図、統一への努力の足跡、南北協力、対北抱擁政策などについての解説が、「わたしたちが一つになる日のために」では外国の統一事例を通じて韓国の統一について深く扱った展示があります。


京畿道(始興市)

烏耳島(オイド)は、元々、京畿道(キョンギド)始興市(シフンシ)の陸地から4km離れた沖に浮かぶ南北に長い島でしたが、1932年に干潟を塩田開発したことで陸続きとなり、1980年代末に始華(シファ)工業団地が造成されてからは、完全に埋立てられました。 近くには観光スポットとしても有名な済扶島(チェブド)、大阜島(テブド)、蘇莱浦口(ソレポグ)などがあります。 烏耳島遺跡は烏耳島の小高い山頂を中心にその麓付近に分布しています。烏耳島にある軍の駐屯地内でも数多くの貝塚の痕跡があり、また駐屯地内の山頂付近には仁川(インチョン)と狼煙のやりとりを行った烽燧台(狼煙台)も残っています。 この他、烏耳島には多数の貝塚も発見され、烏耳島全体に遺跡が点在していることが分かりました。新石器時代から統一新羅時代に至るまで人々が暮らしを営んでいたことが確認されている烏耳島。発掘された住居跡、オンドルの遺構などから出土した土器のかけら、石器、 漁網の重りなどは、韓国の沿岸地域の人々の当時の生活ぶりや、韓半島の西に広がる西海(ソヘ)沿岸の文化を研究する上で貴重な資料となっています。 烏耳島遺跡は韓国の西海沿岸の島しょ地域を代表する遺跡で、中でも統一新羅時代の住居跡は烏耳島地域で初めて発見されたもので、当時の居住形態やオンドルの発展過程を理解する上で、大変学術価値が高いものと評価されています。 <出典:文化財庁国家文化遺産ポータルサイト>