論介生家は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に殉死した論介を称え作られました。壬辰倭乱の時に倭軍が晋州城を占領すると、論介の夫である崔慶会将軍は川に身を投げ殉死し、論介は夫の仇を討つために妓生と偽り倭軍の宴会の席に参加し、酔った倭軍の将軍を抱きながら川に身を投げて殉死しました。論介生家は、2棟の建物からなる「一字型」の草葺の家で、石垣で囲まれており、部屋の中には掛け軸や寝具、書籍などが置かれています。また、生家址があった地域は徳裕山、梧洞堤など周辺の景観が美しく、長安山国立公園や知止渓谷、トンファダムを繋いだ登山コースがあり、論介生家と関連した観光コースとして1年を通して多くの観光客と登山客が訪れます。