全羅南道(麗水市 )

麗水駅は、全羅線の終点駅として1930年12月25日に光州―麗水間の線路開通と同時に営業を開始しました。1937年5月1日に麗水港駅が設置され日本と連携して営業を開始しましたが、1945年8月15日の光復後、麗水港駅は廃止され日本との営業が中止されました。また、麗水駅は1980年12月27日に駅舎を新築し2009年12月22日まで利用されていましたが、2009年12月23日に現在の駅舎へ移転されました。麗水駅は全羅線の終点駅で、閑麗海上国立公園の始発駅でもあり近隣の順天と麗水国家産業団地および光陽製鉄を結ぶ重要な役割を担っています。2011年10月1日より「麗水駅」⇒「麗水エキスポ(EXPO)駅」へ駅名変更2011年10月5日より韓国高速鉄道(KTX)運行 


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

ソウル特別市チョンガク駅の近くに位置した韓食専門店です。代表的なメニューは韓牛ロースです。盛り合わせスペシャルは、牛肉ロース、牛バラ肉、ミスジのBBQです。


全羅南道(康津郡 )

「康津青磁祭り(カンジン・チョンジャ・チュッチェ)」が開催される康津は、10世紀から14世紀まで青磁が盛んに作られていたところです。現在は16の窯が残っており、陶磁器の制作過程を見たり陶磁器を作ったりすることができます。 関連ページ:過去、現代、未来が調和する康津青磁祭り康津青磁博物館 


慶尚北道(奉化郡 )

清涼山道立公園(チョンニャンサン・トリプコンウォン)は昔から高僧と文人が留まった地域。この山は奇岩絶壁が12峰を成し、洛東江が山を囲むように流れています。新羅(57B.C.-A.D.935)の文武王(文武王在位661-681)3年(663年)に元暁大師(元曉大師617-686.3.30)が建てた清涼寺を始めとする寺院や庵、寛倉の滝など数多くの見所があるところです。 清涼山道立公園の岩石の後ろには朝鮮時代の有名な学者・退溪李滉(1501-1570)の「清涼山歌」の詩碑があります。 退溪が儒学を教えた学校である陶山書堂(トサンソダン)を建てる時、この清涼山に建てるか、現在の陶山書堂の位置に建てるか最後まで悩んだとされています。 清涼山は退溪李滉だけではなく新羅時代の僧侶である元暁義湘(625-702)や名筆家・金生(711-791)、学者・崔致遠(857-?)などが訪れ修行した山。そのため彼らにまつわる話が数多く残っており今でも彼らを慕う人々が訪ねてきます。 文化財としては清涼寺と応真殿、また退溪が文人達と講論した場所に弟子が建てたという吾山堂や高麗・恭愍王(在位1351-1374)が紅巾的の乱(農民反乱)の際に作られたという清涼山城などがあります。


京畿道(加平郡) , 南楊州


慶尚南道(居昌郡 )

山と山、山と川、人と自然をつなげる「蔚山の生態通路」である松マルキルは仙岩湖水公園から始まり、神仙山、大公園山、文殊国際アーチェリー場、松マルハヌルキル、三湖山、南山につながっている24キロメートルの「都市循環散策路」です。神仙山の神仙亭に登ると仙岩湖水公園の全景を一目で見渡すことができます。大公園山区間はなだらかで松の雑木林が鬱蒼としており、家族で森林浴を楽しむことができます。都心にある山々をつなげる散策路としてアクセスもよく、さまざまな散策路があります。


京畿道(始興市)

チェスモーテルは西海だけが与えられる特有の余裕と楽しさがある始興市の月串浦口に位置している。 月串浦口は新鮮で活気あふれる顔で旅人を迎えてくれるし、美しい海や食べ物も豊かなところである。 交通アクセスもソウルから地下鉄の利用ができ便利。


ソウル(瑞草区) , 江南・三成(COEX)

すしこは京都風料理を取り扱う正統和食専門店です。インテリアの随所まで和食で彩り、日本に来たような感覚にさせるレストランとして人気を誇っています。 4階建ての建物の1階は板前さんの調理の様子が目の前で見られるバータイプの席があり、2、3階は2人から30人まで入れる個室が完備されています。若者向けのインテリアが目を引く地下1階にはワインバーが備え付けられており、ヒュージョン和食を楽しむことができます 刺身や寿司、蒲焼き、天ぷらなどの各種料理を堪能することができます。


江原道(楊口郡)

乙支展望台(ウルチチョンマンデ)は韓国戦争(朝鮮戦争)当時一番激しい戦闘が繰り広げたところ。現在ではDMZ観光コースに指定されており、ツアーで見ることができます。展望台では北韓(北朝鮮)側で勤務中の軍人の様子や、天気がいい日には金剛山の毘盧峰も見ることができます。


江原道(高城郡)

江原道高城郡花津浦には、昔の政治家の別荘である「金日成の別荘」、「李承晩の別荘(高城)」、「李起鵬の別荘」が並んでいます。韓国の初代大統領である李承晩が滞在した「李承晩の別荘」は、1954年に建てられ、1961年には廃墟となっていましたが、1997年7月から陸軍が建て直し、1999年に展示館として復元されました。 李承晩の別荘は素朴で単純なつくりですが、別荘から眺める景色は3つの別荘の中でもっとも美しいといわれています。