忠清南道(扶余郡 )

百済観光ホテルは、扶余の中心にあり、自然に囲まれた最適な環境が人気のホテルです。230名が同時に宿泊できる客室や、大宴会場、ウエディングホールまで、各種施設から便宜設備までが充実しており、レジャーや観光、ビジネスにも最適です。高級感と安らぎの両方が備わったインテリアとサービスでゆっくりおくつろぎください。


仁川(江華郡) , 江華島

朝鮮第25代目の王である哲宗(在位1849∼1863)が王位に就く前に住んでいた家で哲宗が王位に就くと江華留守の鄭基世が新しく建物を建て、龍興宮と名づけました。龍興宮は昌徳宮の演慶堂と楽善斎と同じように生活空間として造られたので素朴な感じのする建物です。境内には哲宗が住んでいた昔の家であるのを示す碑石と碑閣があります。


済州道(西帰浦市) , 中文(チュンムン)リゾート

中文観光団地に位置する中文(チュンムン)ゴルフクラブは、海岸沿いの約30万坪の敷地に18ホールのゴルフコースがあり、年中無休で営業が行われています。周辺の美しい自然景観と、団地内の多様な観光施設を利用することができゴルフだけでなく観光を楽しみたい方にもお勧めです。* 特徴- 美しい自然の風景と渓谷を挟んだ国内唯一の海岸コース- 西洋芝施行。1年中青々としたコース- 済州固有の植物や亜熱帯植物が生殖- 韓国国内最大級のコース(B.T. 6,820m)- 会員制ゴルフクラブであるゴルフ場ですが、韓国国内外からの観光客も利用できるようにと非会員制で運営。- インコース、アウトコース同時ティーアップ- 完全事前予約制(1ヶ月前から予約受付)- コース内に上り坂と下り坂が反対に見えるコースあり(8、11ホール)


忠清北道(忠州市 )

忠州湖(チュンジュホ)は渓谷を塞き止めて作られた湖で、韓国でもっとも大きな湖です。忠州ダムの渡船場から、快速観光船と大型遊覧船が運航されています。運航路は玉荀峰、亀潭峰、マンハクチョン峰、チョガバウィ、コレバウィ、ヒョンハク峰、オノボン、シンソン峰、カンソンデ、ボドゥル峰、オソン岩、ソルマ峰、ジェビ峰、ドゥム山などを回り、新丹陽・チャンフェ渡船場まで運航されています。また清風渡船場近くに行くと、東洋で二番目に高く吹き上げる噴水を船から観賞できます。周辺の「忠州湖リゾート」は国内一の湖畔観光地で、各種運動施設と娯楽施設を備えています。水上スポーツ施設が完備しており、全天候型の観光名所として脚光を浴びています。忠州湖周辺には月岳山国立公園、清風文化財団地、丹陽八景、古薮洞窟、水安堡温泉などの有名な観光地があり、多くの観光客が訪れています。


釜山広域市(海雲台区) , 海雲台

韓国最大規模の映画イベント釜山国際映画祭(BIFF)」は、1996年に始まった韓国初の国際映画祭で、すでに全世界が注目する映画祭となっています。今回の祭りは釜山の海雲台や南浦洞周辺で開催され、招待作品数は70カ国・301作品。その他、映画祭をさらに光輝かせるスペシャルイベントや野外公演、観客イベントプログラムなど華やかなイベントが繰り広げられる予定です。オープニング作品・クロージング作品のチケットはインターネットでのみ購入可能で、一般上映・野外上映の場合、映画祭の期間は臨時チケット売り場で上映当日、映画館座席数の30%に相当する分が販売されます。関連ページ:釜山国際映画祭国際映画祭 


慶尚南道(統営市 )

韓国100大名山のうちのひとつである弥勒山に設置されている「閑麗水道眺望ケーブルカー(ハンリョスドチョンマンケイブルカー)」は、国内初の自動循環式bi-cable形式を導入した、国内最長(1,975m)の観光用ケーブルカーです。 平均速度は4m/秒で、上部乗り場まで約9分で到着します。乗客用ゴンドラ47機、貨物用ゴンドラ1機の計48台のゴンドラが循環運行しています。弥勒山の頂上に上がると、閑山大捷の歴史的現場や閑麗海上国立公園、日本の対馬、智異山の天王峰、麗水の突山島まで眺めることができます。  


慶尚北道(慶州市 )

瞻星台と月城の間に位置しており、史跡第19号に指定されています。慶州金氏の始祖、閼智が誕生したという伝説がある由緒深い場所で、このような話が残されています。新羅脱解王の時に、瓠公がこの林の中で鶏の鳴き声を耳にしたので、声が聞こえる方に近寄ってみると、木の枝に金の装飾がほどこされた櫃が引っかかって、光を放っていました。このことを王に話すと、王は自ら林へ行き櫃を下ろし、ふたを開けると中から男の子が出てきたので、この子の姓を金、名前を閼智とつけ、もともと始林、鳩林と呼ばれていたこの林のことを鶏林(ケリム)と呼ぶようになったと伝えられています。鶏林は、新羅の国号としても使われました。丸く広がっている林には、ケヤキの木などの古木が鬱蒼と茂っており、北から西にかけては小川が流れています。王は閼智を皇太子に任命しましたが、後に朴氏王族である婆娑王に王位が継承されたため、王位に就くことはできませんでした。後の時代、奈勿王の時より新羅金氏が王族となりました。境内にある碑は、朝鮮純祖3年(1803)に建てられたもので、金閼智誕生についての記録が刻まれています。新羅王城の近くにある神聖な林で、また新羅金氏王族の誕生地でもあるこの地は、今でも鶏林には王達やケヤキの木がいるような錯覚さえしてしまいます。大陵苑-鶏林-半月城と続く散歩道の横には、春になると黄色いアブラナの花々が、遺跡地の風雅な趣を一層深めてくれます。


全羅北道(全州市 )

高麗時代の末頃に賢儒の位牌を奉安、配享し、地方の人々の教育と教化のために建てられました。当時の位置は現在の慶基殿の近くでしたが、太祖李成桂の晬容を奉安するために慶基殿が竣工され、1410年(太祖10)全州城の西側の黃華臺の下に移転しました。その後、巡察使 張晩と儒林たちが一緒に1603年(宣祖36年)に現在の位置に再び移転させ、現在に至っています。1654年(孝宗5)、1832年(純祖32)、1879年(高宗16)、1904年に補修が行われ、1922年に明倫堂が補修されました。朝鮮時代後期に境内には3つの大成殿、各10の東廡と西廡、神門、外門、萬化楼、5つの明倫堂、各6つの東斎と西斎、3つの啓聖祠、神門、入徳門、4つの司馬斎、6つの養士斎、2つの冊板庫、職員室、祭器庫、守僕室など全99の大規模な建物でした。このため、郷校は全羅道53校の首都郷校とされました。その後萬化楼は1886年(高宗23)に洪水により水没し冊板庫は観察使趙翰国が官庫所有の冊板を全州郷校に移送し冊板庫内を管理しようとしましたが、1920年の洪水と1950年6・25戦争によりほとんどなくなってしまいました。大成堂は、全羅北道有形文化財第7号に指定されており、五聖・10哲・宋朝六賢の位牌が奉安されています。また、東廡と西廡には有若・宓不斎・伏勝・董仲舒・韓癒・李侗や、韓国18賢の位牌が奉安されています。