新羅(BC57-AD935)の宮(金城)があった城で、丘の上に土と石を混ぜて半月状に積んで造られた城です。半月状に造られたことから半月城(パンウォルソン)と呼ばれていますが、月城と呼ばれたりもします。 韓国の有名な歴史書である三国遺事(13世紀に作成)によると、新羅の4代大王、昔脱解(在位AD57-80)は、この地が慶州で一番の明堂(王が臣下の謁見を受ける宮殿)であることを知り、ある貴族からこの地を奪い半月城を築いたと言われています。このことがきっかけで、新羅の第2代大王だった南解王(在位AD4-24)に気に入られ、第4代大王の地位を手に入れたそうです。その後、新羅の最後の王である第56代敬順王(在位AD927-935)までの約900年間、この地は新羅を統治した重要な役割を果たしました。しかし、今では華麗で荘厳だった宮廷の姿はなく、空き地と化していますが、新羅時代には数多くの建築物が存在していたと伝えられています。 現在、半月城には朝鮮時代(1392年-1910年に韓半島を統治した王朝)に造られた石氷庫と弓術体験場、乗馬体験場、伝統遊戯体験場などが備えられています。