江原道(春川市) , 春川

春川浪漫市場は、楽しい公演や随所に隠れたアート作品、様々な壁画を楽しむことができる市場です。伝統市場の活性化を図った伝統市場商品券の人気が高まることで、春川浪漫市場は、物を売り買いする機能のほかに、人との触れあいや新しいカルチャーとの出会いが楽しめる日常の文化空間として発展してきました。


ソウル(江南区) , 江南・三成(COEX)

ソウルの清潭洞にある正統フレンチレストラン「パレルドゴーモン」は、2000年にオープンし、映画の技術発展の先駆者であり、ゴーモン劇場を設立したレオン・ゴーモンの名前からつけられたレストランです。ここは100年の伝統を目標とし、国内外の有名人たちから韓国料理文化のイメージを新しく認識させたパインダイニングの高い価値を持ったレストランとして評価を受けています。


全羅北道(全州市 )

全州伝統酒博物館(チョンジュチョントンスルパンムルグァン)は、自家製の酒を醸し、客人を迎え、祭祀を執り行った「家醸酒(カヤンジュ)」の伝統を、現代に伝えています。伝統酒の匠を招いて酒造りの講義を開講したり、家で簡単に自家製酒を作る方法を研究し、普及させています。また、祖先の飲酒文化を現代に継承し、「郷飲酒礼(健全で美しい飲酒文化)」の教育を行なっています。酒博物館では、韓国の伝統酒の普及にも力を注いでいます。定期的に開かれる酒紀行では、韓国の伝統酒の認知度向上と普及に貢献しています。また、観覧客を対象に韓国伝統酒の試飲を行ない、伝統酒の大衆化にも努めています。


仁川(中区) , 仁川市街地

自由公園(チャユコンウォン)は韓国初の西欧式公園として高い地帯にあり、森が鬱蒼としているため散歩にも最適です。頂上には韓米修好100周年記念塔や韓国戦争当時に仁川上陸作戦を成功させたマッカーサー将軍の銅像もあります。 公園内には休憩できる亭子(あずまや)やベンチなどがあり、公園頂上から見下ろす仁川港と月尾島の風景が評判で、恋人たちのデートコースにもなっています。


ソウル(中区)

50年あまりの歴史を誇る新堂洞 (シンダンドン) トッポッキの元祖。 1953年から馬福林(マボンニム)おばあさんが屋台でトッポッキ屋を営んでいると、'美味しい'という噂が広がり、その後周辺にトッポッキ屋が次から次へと集まってトッポッキ通りができました。 マボンニムおばあさんは90年代にコチュジャンのCMに出演し、'嫁も分からない~'という流行語を産み出しました。人々の食欲をそそるトッポッキの味の秘密は、なんとコチュジャンに中国味噌を入れること。 過去には企業秘密でしたが、今は嫁だけでなく一般人も皆知っている隠し味。 新堂洞トッポッキ通りのお店のほとんどが、中国味噌を少し混ぜているのもこのためです。しかし、中国味噌を入れただけで必ずしも美味しいトッポッキになるとは限りません。 やはりより手を加えてこそ、美味しいトッポッキが出来上がります。このお店はコチュジャンと中国味噌が絶妙に混ざり合って、辛さの中にも少し甘味があります。今はおばあさんの代わりにお嫁さんがお店を継いでいます。 TIP>このお店に対するお客さんの評価は賛否両論。独特の味を求める人にはおすすめ。


全羅北道(南原市 )

国立民俗国楽院(クンニプ・ミンソックガグォン)は、自然の中で民俗楽器演奏を鑑賞することができるところ。民俗国楽院の建物は韓国の伝統美をよく表現しており、建物はもちろん公演や周囲の環境まで民俗国楽院は韓国らしさを感じることができるでしょう。国立民俗国楽院の民俗演奏団は、器楽やパンソリ、民謡、カヤグム並唱、サムルノリなど、ありとあらゆる国楽の演奏を行っています。それぞれの演奏は最高の実力を誇る演奏者が行っており、特に民俗国楽院が位置する南原はパンソリ東便制の本場で、「パンソリ・ハンマダン」では、東便制を鑑賞することができます。民俗国楽院内には、国楽器展示室や民俗楽資料室があります。国楽器展示室には、約60種の楽器や有名な国楽器などの写真が展示されており、特に江陵地方の小鼓や済州島の舞楽に使用されている土俗楽器は興味深いもの。民俗楽資料室には、国立民俗国楽院の公演資料が約2000点も保管されています。この地方を訪れるなら、民俗国楽院が位置する南原観光団地の横にある広寒楼に行ってみましょう。広寒楼は朝鮮時代(1392~1910)に作られた代表的な庭園で、ここにある烏鵲橋は、彦星と織姫の愛の伝説が伝わる橋。また南原は韓国の古典小説「春香伝」の舞台となったところで、毎年5月5日前後には「春香祭」も開催されています。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

鍾路区には搭骨公園、社稷公園、三清公園といった3つの公園が有名です。政府総合庁舎の西側、仁王山南東のふもとにある総面積188,710平方メートルの社稷公園は朝鮮の太祖、李成桂が1395年に宗廟とともに最初に造った社稷壇(史跡121号)を中心に造られた公園です。社稷とは「社」は地の神、「稷」は五穀の神を意味しており、これらの神々を祭り、豊年を祈願したことから始まり、日帝強占期の1922年に公園となりました。子供の遊び場、栗谷・李珥(ユルゴク・イイ)と申師任堂の銅像、弓場跡(黄鶴亭)、市立子供図書館などが構えられており、壇君聖殿、鍾路図書館などが隣接しています。社稷公園の隣の仁王山の道に沿って5分ほど上っていくと仁王山へと通じる登山コースが見えてきます。


ソウル(城北区) , 三清洞・ソウル北部

1972年に設立されたこの建物は、70~80年代に韓国の政治家たちが重要な交渉や晩餐会を行ったところで、1990年代中ごろに三清閣(サムチョンガク)と名前を変え一時期レストランとして営業していましたが、経営難により1999年12月に廃業しました。 この後2000年にソウル市がこの土地と建物を文化施設に指定し、それまでの上流階級のための排他的なエリアとしてのイメージを取り払い、2001年10月に全く新しい文化空間として生まれ変わりました。 広い敷地に6棟の伝統家屋が建てられており、レストラン、伝統工芸の教室、公演スペース、客室などとして使われています。


ソウル(江南区) , 新沙洞・カロスキル

1983年に開館したパク・ヨスク画廊は1988年、美術の地と言える清潭洞に場所を移し、清潭洞が江南の代表的な画廊街に変貌する役割を担いました。 現代美術を専門に扱っており国内の若い作家を発掘、支援しています。海外の現代美術家の作品を韓国内に紹介することで韓国の現代美術の発展にも寄与しています。 また、シカゴやケルン、バーゼルアートフェアなど、海外の主要アートフェアに参加することで韓国の現代美術のすばらしさを世界に広めるなど、国際的にも活発な活動を展開しています。 このような活動によりパク・ヨスク画廊は忙しく変わりゆく現代社会の中で、大衆が美術作品を通して自分を振り返り、自分の創造性を広げられるようにと努力しています。


ソウル(龍山区) , 梨泰院・龍山

龍山家族公園(ヨンサンカジョッコンウォン)1992年に開園したこの公園は、広い芝生や中央にある池、周辺に植えられた柳など開放感あふれる空間となっており、テーブルやベンチでピクニックを楽しむ家族も見られ、市民達の憩いの場となっています。この公園のある場所は壬申倭乱(文禄・慶長の役)の時日本軍が物資の補給や整備・連絡などにあたる兵站基地として、また6.25戦争の時には駐韓米軍の司令部を置いたり、専用のゴルフ場として使っていた所でもあり、歴史的な意味をもつところ。また現在新らしい国立中央博物館の建設が2005年の竣工を目途に行われています。