忠清南道(保寧市 )

忠清南道、保寧郡に位置する開花芸術公園は周辺の関連施設を含め、5万5千坪の規模をもつテーマパークです。芸術総合団地である開花芸術公園内には毛山造形美術館、碑林公園、肉筆詩公園、ファイン音楽堂、ハーブランドがあります。 公園内にある大型の温室施設の中にあるハーブランドには多様な観葉植物や水生植物をはじめとし、淡水魚、両性類、昆虫類など多くの生き物が生息しており子供たちに生き物について学ばせる良い学習場となっています。また、肉筆詩公園には韓国に現存する詩人たちの詩を石に刻み展示しており、観覧客に詩のプレゼントも行っています。彫刻像、碑林、詩碑など総1,000点余りに達する作品が展示され、蓮池には石の彫刻や蓮の花などが浮いていてより美しさを増し、国内の写真家たちが揃って撮影しに訪れる人気の撮影スポットです。また、芸術公園を囲んでつながっている自然散歩道の両側には漢詩が刻まれた詩碑がずらっと並んでいて思わず足を止めて見入ってしまいます。この他にも公園内ではハーブ石けん作りや木工教室、陶磁器体験、列車やバナナボートなど多様な体験を楽しむこともできます。


忠清南道(礼山郡 )


忠清南道(泰安郡 )

毎年秋に開かれる<安眠島 白砂浜大海老祭り>は韓国最大の天然大海老の集散地で有名な忠清南道、泰安郡、安眠島にある白砂浜港で行われる祭りです。 期間中、獲れたばかりの新鮮な大海老はもちろん、旬をむかえたカニ、コノシロ、アワビなどの各種海産物が普段より安く味わうことができます。その他にも大海老の早剥き、大海老・魚掴み大会などの体験行事や人気歌手による祝賀公演、のど自慢大会、打ち上げ花火など多彩なイベントが行われます。安眠島の大海老はきれいなことで知られる泰安郡沿近海で獲れる海老で、大きさが20cmで甘くプリッとした身が美味しい淡白な味で、最高の秋の味覚を楽しむことができます。 白砂浜港近郊にはコッチ・三峯ㆍ安眠海水浴場や安眠島自然休養林など景観の素晴らしい観光地が多く旅行客にぴったりです。


忠清南道(保寧市 )

忠清南道、保寧市にある石炭博物館は石炭事業の歴史と重要性を伝えるために作られた博物館です。内部展示と野外展示に分かれていて石炭の生産過程、採炭、運搬過程など、それぞれの過程で使われる道具を展示、また映像を通して石炭を掘る様子も見ることができます。特に韓国初の坑道の中を体験できる模擬坑道では廃鉱で出てくる風を利用して冷風トンネルを作り、トンネルの壁には鉱山関連の写真を展示しています。また、坑道の中では採炭過程を実物大サイズで再現しており、まるでエレベーターに乗って実際に地下400mの坑道まで降りてきたような体験をすることができます。観覧時間は午前9時から午後6時まで(冬季は午後5時まで)で毎週月曜日は休館日。


忠清南道(保寧市 )


忠清南道(唐津市)

ソルメ聖地(ソンジ)「ソルメ」は忠清道でもっともよい場所といわれる「内浦(ネポ)」にあり、松の木が生い茂る小さな丘という意味です。1821年8月21日、韓国キリスト教で初の司祭となった金大建(キム・テゴン)アンドレア神父はここで生まれました。その後、迫害から逃れるべく祖父のキム・テクヒョンに伴われ竜仁のハンドク洞(現在のコルベマシル)に引っ越すまでの7年間をここで過ごしました。神父の曽祖父キム・ジヌ(1814年殉教)、大おじのキム・ハンヒョン(1816年殉教)、父の金済俊(1839年殉教)そして金大建神父(1846年殉教)まで4代にわたる殉教者が生活した地でもあります。神父はコルベマシルにおいてマカオへ留学する神学生として選抜されました。1845年上海の金家港聖堂のフェレオール主教から司祭に任命され、その年の10月に帰国、帰国後は竜仁一帯でキリスト教活動をしましたが、1846年9月死刑が言い渡され、セナムトで殉教しました(享年26歳)。1984年5月教皇ヨハン・パウロ2世が韓国を訪問した際、聖人となりました。ソルメ聖地の松の木の下には神父の銅像をはじめ記念の塔などが建てられています。下っていくと避静の家聖堂(160名収容)があり神父の遺骸が納められています。


忠清南道(礼山郡 )

礼山郡光時面と大興面、洪城郡金馬面が出合う地点に海抜483.9mの鳳首山があります。この山頂にある任存山城は、高い位置に井戸を掘って水を集めておき、攻撃のときに排水口を開けて水を噴き出させ、敵を一時的に苦境に陥れる攻撃を加える目的で造られた城です。 任存山城は約4kmのテメ式(7、8合目の稜線に沿って水平に峰を一周する方式)の石垣で築造されており、城壁の高さは2.5m、幅は3.5mで、南側の城壁はひどく曲がりくねっており、城内には7、8mの内堀があります。外壁は石を積んで造られており、中は土で埋められています。周囲の長さは約5,194尺、高さ約2.5m、幅約3.5mで、馬で走っても十分な広さがあります。660年に百済が羅唐連合軍に負けたとき、義慈王のいとこの弟である福信、道琛(僧侶)と黒歯常之が3年間、後百済復興運動の拠点として活用し、百済の山城の中でもっとも規模が大きく、山城研究の基礎となっています。 城郭に沿って下りると大蓮寺があり、頂上からは南から西へと伸びる烏棲山、白月山、伽倻山を一目で見ることができます。この城の特徴は、四隅を堅牢な造りにするため、他の場所より2mほど厚く内托(外側は石造りにし、中は割石や土で埋める方法)にし、城の高さも高めになっています。光時面馬沙里方向からは城の下まで林道を利用し、車で駐車場まで行くことができます。  


忠清南道(舒川郡 )


忠清南道(論山市 )

明斎古宅(ミョンジェゴテク)は、朝鮮王朝・肅宗時代の学者である尹拯の古宅で、重要民俗資料第190号として指定されています。アンチェ(母屋)は「冂」字型で、自然石で基壇を作り、その上に建物を建て、安定感があります。家の前には広い外庭があり、そこに人工池を掘って真ん中に円形の島を作り、庭園を整えました。アンチェの裏には緩やかな傾斜地を利用して独特な裏庭を作り、住まいの美しい空間構造を示しています。アンチェの中央の6間は板の間で、その壁に扉が作られており、夏になると裏庭から吹いてくる、心地よい爽やかなそよ風が楽しめます。


忠清南道(瑞山市 )

忠清南道瑞山市浮石面看月島里にある「 看月庵(カンウォルアム)」は、 看月島という小さな島にある庵です。 朝鮮の太祖である李成桂の王師であった無学大師が建てた庵で、無学がここで月を眺めていた際に悟りを開いたといわれていることから看月庵と名づけられたといわれています。看月庵は、引き潮の時は陸地に、満ち潮の時は島に変わるという珍しい位置に建っており、周辺の島々と調和を成す日没の時間と、月が海の上に輝く時間が特に景観が美しいです。