忠清北道(提川市 )

*自然の景観あふれる自然にやさしいテーマパーク、清風ランド* 清風ランドは、2002年、忠清北道堤川市清風面一帯の優れた景観が望める清風湖畔(別名、忠州湖)に開園したテーマパークです。独創的で、周辺の抜群の眺めと限られた空間を最大限に活かし、国内最初の複合マルチ(バンジージャンプ、エジェクションシート、ビッグスウィング)タワーを設計、施工しました。国内最高の高さを誇る62mのバンジージャンプと国内初のエジェクションシート、そして重力方向に半円を描き蒼空を飛ぶビッグスウィングなど、3つの施設をひとつのタワーに設置した複合マルチタワーとなっています。清風ランドの自慢は何と言ってもその景観。四方に広がる大自然に、清風湖前にある水鏡噴水は162mまで噴き上がり、自然景観を飾り立ててくれます。また、KBS大河ドラマ『太祖王建』の海上撮影地をはじめ、錦繍山、国立公園の月岳山などとも隣接しており、中部圏最大の複合観光団地と言えます。*清風ランドをまるごと楽しむ方法*清風ランドの最大の魅力とも言えるバンジージャンプとエジェクションシート、ビッグスウィング。バンジージャンプは国内最高の高さを誇る62m。実際はジャンプ台に立ち下を見下ろすと体感高位は100mに達します。また、ジャンプ台から美しい清風湖畔を眺めながらジャンプできるというのも特徴のひとつ。エジェクションシートはスリングショット、リバースバンジーなどと呼ばれるアトラクションで、エジェクションシートの原義は飛行機の操縦士が非常時に脱出する際の装置のことを指しており、垂直上昇に併せ360度回転する妙味が味わえます。ビッグスウィングはハンググライダーが体験できるアトラクションで、まるでスーパーマンになったような爽快な気分が楽しめます。


忠清北道(丹陽郡 )

丹陽温達洞窟は、温達山城がある山のふもとの地下に約4億5,000万年前から造られたと推測される石灰岩の天然洞窟で、入口の高さ約2m、面積は34万9485平方メートルです。洞窟の存在は「新増東国興地勝覧」第14巻忠清道永春型古蹟條に記録されており、1966年から学術調査が行われて1975年に公開されましたが地理的条件により閉鎖されました。その後、大々的な開発により1997年に一般公開されました。洞窟は、まったく破損されていない太古の姿をそのまま残しており、高さ5~10m、幅5m程度の階段型の構造になっております。発達した石柱や鍾乳石が多くあり、内部の平均温度が夏は14度、冬は16度程度に維持されます。特に地下水が豊かで洞窟には水位0.8~1m程度の地下水が流れており、小規模の池があってヤマメなどの魚や昆虫など約10種類の生物が生息しています。


忠清北道(丹陽郡 )

*三国時代の戦略的な要衝の地、赤城山城* 丹陽城在山にある石を積んで造られた山城で、1979年8月1日に史跡第265号に指定されました。周囲が約900mで大部分が崩壊されてしまい、北東側の内側の一部のみ残っています。城門は南西側、東側、南東側に3ヶ所で発見されました。城内には赤城碑があります。高麗軍が占領していたものを新羅軍が奪い、北進製作の前哨基地を構築した場所です。  *赤城山城の歴史的の意義* 1978年、城内で赤城碑が発見され、これによると新羅と高句麗の勢力関係の変動を知ることができます。碑石以外に三国時代の土器の破片と瓦の破片も発見され、高麗時代の遺物もあり、高麗後期まで今日の丹陽地方を治めてきた邑城の役目をしてきたことがわかります。城内には新羅および百済の土器のかけらや高麗朝の青磁のかけらなども発見されました。築城方法がとてもしっかりしており、新羅の築城術を研究するのに貴重な資料として評価されています。


忠清北道(丹陽郡 )

大崗面舎人岩里にある舎人岩は丹陽八景のひとつです。丹陽の南側の南朝川辺の青く深い渓流にある高さ70mの奇岩絶壁です。丹陽八景を訪問する観光客の大部分はどうろ条件により、舎人岩を一番最初に訪れる場合が多く、舎人岩の前に流れる渓谷を雲岩九曲といい、丹陽八景の中でも一番美しいと言われています。舎人岩という名称の由来は高麗時代の儒学者である易東と禹倬の行跡によって付けられた名前です。


忠清北道(清州市 )

忠清北道清原郡梧倉邑では未来への飛躍を目指し、新しい千年の歴史を築くために先端科学産業団地が建設されました。その中心部に位置する「GEEホテル」は、梧倉(オチァン)を訪ねるビジネスマンや観光客に広々とした客室やスタッフのきめ細かいサービスを提供しており、便利に快適に過ごせる場所として脚光を浴びています。清州国際空港まで車で10分、KTX(韓国高速鉄道)五松駅まで20分と、アクセスも便利。また清原郡には、世界三大鉱泉水に認定された椒井薬水があり、水彩画のような風景を誇る大清湖、美しい景色と澄んだ空気を誇る大統領専用別荘である清南大(チョンナムデ)などがあり、心身の疲れを癒せる最適の観光スポットとして知られています。


忠清北道(丹陽郡 )

嶋潭三峰から上流に200mほど行くと左側の川辺に虹の形をした石柱が見えますが、それが石門です。石門は丹陽八景の第2景です。石門の左側に石窟があり、石窟の中には仙人が耕したといわれる美田があります。この美田の伝説は天からやってきてかんざしを失くしてしまった仙女がかんざしを探そうと土を手で掘ったものが99の農地になり、周辺の景色が天よりも美しいこの場所で生涯、農業を営みながら暮らしたとされ、広い農地を仙人たちが耕したことから「仙人美田」と呼ばれたと言われています。


忠清北道(丹陽郡 )

忠州ダムの建設により、水没していた地域を調査している途中に、忠北大学博物館により発見されたこの場所は、これまで発見されてきた韓国の旧石器時代の遺跡地のうち、もっとも広い面積を誇っています。さらに、旧石器後期の典型的な石器が大量に出土され、韓国はもちろんのこと、世界的にも有数の旧石器遺跡地として評価されています。垂楊介先史遺跡展示館では、旧石器時代の遺跡が発見された丹陽一帯の地図を見ながら詳細な説明を聞くことができます。


忠清北道(忠州市 )

忠清北道忠州市漆琴洞にある弾琴台は、歴史的意味のある場所で、名勝第42号に指定されています。 新羅時代、ウルクがカヤグムを演奏していた場所だったことから弾琴台と呼ばれるようになり、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際に、敵国と交戦しました。また、韓国戦争の殉国者のための塔が建てられており、弾琴台を中心に、弾琴台碑、シルリブ将軍殉節碑、野外音楽堂、彫刻公演、芝生広場などが整備されており「弾琴台公園」として愛用されています。


忠清北道(沃川郡 )

忠北沃川郡沃川邑には、ヒャンス100里キルの最後の場所「陸英修生家」があります。陸英修女史が幼少時代を過ごした家が崩れかけたまま残されていたのを改修し、2011年5月、一般に公開しました。この家は1600年代の官僚金氏が建てた家で、その後2人の官僚が暮らしたとし「三宰相の家」と呼ばれていました。 陸英修女史が生まれる前の1918年、陸鍾寬氏がこの家を買い取り、暮らすようになりました。朝鮮後期の典型的な忠清道両班家の家屋と言えます。


忠清北道(沃川郡 )

忠北沃川郡沃川邑下桂里は、「郷愁」で広く知られる詩人・鄭芝溶が生まれ育った故郷です。鄭芝溶の生家横には鄭芝溶の生涯と文学を理解し、観賞できるよう、鄭芝溶文学館が建てられています。文学展示室には、テーマ別に鄭芝溶の文学に触れられるよう、各種作品などが展示されています。