慶尚南道(統営市 )

統営(トンヨン)の夜は格別です。 華やかでありながら、温かな雰囲気を醸し出すライトアップが夜の統営運河を彩ります。 夜景ツアーのハイライト・統営大橋は、鮮やかなライトアップの光に包まれ、昼間よりも一層眩しく輝いています。 夜が美しい都市、統営、そして夜の海。 その統営を海上観光タクシーの乗ってゆったりと遊覧。浪漫あふれる統営で夜景の美しいナイトクルーズをご満喫ください。


ソウル(恩平区)

津寛寺渓谷はソウル特別市恩平区(ウンピョング)津寛洞(チングァンドン)の北漢山城入口にあり、周囲の山林生態系と調和をなす渓谷で、サンショウウオ、ヤマアカガエルなどソウル特別市保護種の生物が見られる場所です。2011年、国立公園管理公団北漢山国立公園事務所は水環境及び水棲生態系保護の目的のため恩平区津寛洞にある津寛寺渓谷(約500m・3,500平方メートル)を北漢山国立公園特別保護区に指定しました。</p>


仁川(甕津郡)

「トゥメ・カルグクス」は土俗飲食店指定店で、韓国最北端の島「白翎島」にあります。白翎島は北韓の陸地と約10㎞しか離れておらず、仁川から船に4時間半以上揺られないとつくことができない離れ小島です。このような地理的条件から誕生した料理が「キムチと牡蠣入り餅(チャンジトク)」です。熟成したキムチと白翎島で獲れた牡蠣やムール貝を混ぜて具を作り、そば粉で作った皮で包んで蒸して作ったこの餅には、離れ小島白翎島の哀歓が込められています。


全羅南道(麗水市 )

北韓半潜水艇展示館は1998年12月17日夜、韓半島の南端・麗水市(ヨスシ)突山邑(トルサンウプ)荏浦(イムポ)地域沖に侵入し韓国軍との交戦の末、沈没した北韓半潜水艇を引揚げ、公開展示した施設です。 * 発見から展示まで 98年12月17日 : 23時15分頃、突山邑荏浦地域海上で発見 98年12月18日 : 06時50分、巨済南方100km地点で撃沈 99年3月17日 : 韓国海軍海難救助隊、船体引揚げ 99年4月21日 : 半潜水艇、麗水市に展示申し入れ 99年11月22日 : 北韓半潜水艇及び虜獲物資貸与契約締結(麗水市-国防部) 01年11月24日 : 北韓半潜水艇展示館建設敷地無償使用協約締結(麗水市) 01年12月31日 ~ 02年8月29日 展示館着工及び竣工


江原道(三陟市)

桃京里駅は日帝強占期に建設された典型的な小さな駅です。 駅舎は鉄道の線路と並行に建てられその上に屋根が取り付けられていますが、駅前広場のある駅舎入口正面側から見ると駅舎の右寄りの場所に桃京里駅の出入口がありその上部に建物と直交する形で切妻屋根が取り付けられています。 駅舎の屋根と出入口の上の直交した切妻屋根はほぼ同じ高さに取り付けられています。駅舎出入口の右外側には雨よけのひさしが取り付けられ、駅舎を囲むように線路側の方へひさしが乗降客用に延び、その端にプラットホームで列車を乗降する人が出入りする待合室出入口の両開きのガラス戸が設置されています。 外壁は現在はモルタル造であることが確認できますが、竣工当時、元々モルタルであったのかどうかは不明です。 また駅舎の屋根に使用されている屋根瓦は日本様式のものそのものです。 駅舎の線路側の方もさまざまな特徴があります。 駅前広場側の入口同様、線路側の方にも駅舎のメインの屋根と直交する形で切妻屋根が作られている部分があり、その部分は駅舎の建物から線路側に少し張り出す形で作られ駅を行き交う列車がよく見えるよう駅務室が設置されています。また雨よけのひさしは駅舎右側からぐるっと線路側のこの駅務室の横まで続いています。 この駅の特徴的なのは、建物のメインの屋根と直交する広場側の入口上の切妻屋根が建物右側に、同じように建物のメインの屋根と直交する線路側に突出した駅務室がある上部の切妻屋根が建物やや左側にあるというように、切妻屋根がメインの建物に対して十字の形で直交して作られる他の駅とは違う構造となっている点です。 ※竣工年度 1939年5月15日


全羅北道(益山市 )

百済文化遺跡や宝石の生産で有名な全羅北道(チョルラプクド)益山市(イクサンシ)を広く知っていただくために設立された宝石博物館は、王宮(ワングン)宝石テーマ観光地内にある世界レベルの宝石博物館です。 近くには化石展示館や貴金属展示販売場「ジュエルパレス」があり、数多くのジュエリーに出会えます。


京畿道(漣川郡)

地蔵峰(チジャンボン=標高877m)が源流である才人(チェイン)瀑布は漢灘江の西側の奥まった支流にあります。高さ約18メートルの瀑布から落ちる澄んだ冷たい水と、周囲の鬱蒼とした樹木が素晴らしい光景を作り出します。 特に夏と秋には多くの観光客が訪れるところです。 この瀑布の名前ですが、その昔、村の領主が綱渡りの達人の才人に絶世の美女である妻がいることを知り、才人にこの瀑布で綱渡りをさせ死に至らしめ、その妻を奪おうとしたところ、その妻が自決、その後、才人の怨念が宿るこの瀑布を人々は才人瀑布と呼ぶようになったという伝説に由来しています。 ソウルから才人瀑布までバスで1時間半の距離で日帰り可能なコースです。軍事作戦地域に属し、土・日曜日にのみ開放されますが、、5月から9月までの間は平日にも検問なしで通過できます。才人瀑布から漢灘江に沿って進むと全谷先史遺跡地、漢灘江遊園地、崇義殿といった観光地や憩いの場が多くあります。宝蓋山を超え、くねくねした道を漣川邑まで下りていく道は仙郷を見るような風景で、近くの東幕谷(トンマッコル)は若者が多く集まり避暑地としても有名です。


全羅南道(麗水市 )

夜の帳が下りると、およそ50パターンの光できらびやかな姿に変身する斜張橋・突山大橋(トルサンテギョ)は、麗水(ヨス)の市街地の目の前の海に浮かぶ突山島(トルサンド)と市内中心部の陸地を結ぶ、地元・突山を象徴する連陸橋(離島架橋)です。 麗水の港と突山島の間に浮かぶ小島で国内唯一の水中の城と呼ばれる将軍島(チャングンド)は、その昔、倭寇の侵略に備え、1497年、全羅左道(チョルラチャド=現在の全羅南道[チョルラナムド])の水軍のトップ・節度使に任命された李良(イ・ヤン)が波の強いこの島に石を積み城郭を築きました。 倭敵、盗賊は強固な城郭が築かれたこの島に敢えて手を出すことがなかったことから、将軍島と呼ばれるようになりました。 突山島と将軍島の間は干満の差が激しい大潮の時期には、歩いて対岸に渡ることができ、現在はあまり多く残っていませんが、人が加工したと思われる痕跡が大きな石に残っており、古の将軍島の姿を思い描くことができます。 いまでは、美しい光があふれ、麗水港(ヨスハン)の海原とあいまり異国情緒あふれる光景となっており、数多くの観光客が訪れる場所となっています。 突山島の高台となった突山公園から眺める突山大橋や将軍島の夜景は、光のページェントと美しい海原があいまり最高の景色となっています。 およそ1万5000人の住民が住む突山島(トルサンド)は、麗水市内と目と鼻の先ほどの距離にありますが、海に阻まれた島という地理的条件のため、長らく日常の生活や通学には毎日船を使わざるを得ない不便さがありました。 このような状況を解消するため、突山島と陸地を結ぶ橋を建設することに至り、1980年に橋の建設工事を開始、1984年12月15日に突山大橋が完成しました。 1984年の竣工時に行われた突山大橋竣工記念式は、現職の大統領まで参加する大きな行事となりました。 突山大橋の完成とともに、突山島側の橋の近くには突山公園が造られ、突山島にあるムスルモク海水浴場、冬柏(トンベク)海水浴場をはじめ、日の出・参拝の名所で落ち着いた雰囲気のある寺・向日庵(ヒャンイルアム)などもあり、麗水を代表する観光コースとなっています。 道路が陸地とつながり、地元・突山地域で栽培される農産物の流通も活発となり、突山名物のからし菜・突山カッは、からし菜キムチ・カッキムチの代名詞にもなっています。 突山大橋には2000年10月、八つのプログラムで繰り広げられるおよそ50パターンの色とりどりの光の演出が可能なライトアップ施設を設置、訪れる人々にきれいな夜景をプレゼントしています。


慶尚北道(安東市 )

晩休亭(マニュジョン)は朝鮮時代の文臣・宝白堂(ポベクタン)金係行(キム・ゲヘン)公の亭子(東屋)で、1500(燕山君6)年に建立されました。 現在の建物は重修したため建立当初の姿からは変わってしまっていますが、重修後の朝鮮時代後期の様式を彷彿とさせる造りとなっています。 金係行は朝鮮時代初期の文臣としてさまざまな官職を歴任した人物でした。しかし、朝鮮時代第10代の王・燕山君(ヨンサングン=在位1494~1506年)の暴政に嫌気が差し、官職を捨て故郷へと落郷しました。故郷に帰ると、ソルモッの池(現在の慶尚北道安東市豊山面素山2里にある素山池=ソサンジ)の畔に小さな亭子を一度建てましたが、真横に道があったことから、より静かな場所を求め、この亭子を現在の場所に建てたといいます。 安東市吉安面(キランミョン)にある黙渓書院(モッケソウォン)の川向こうの山あいの、滝のある雄壮な渓谷の谷澗水が盤石の上を流れる絶景の場所に、この晩休亭が南東の方向に向いて建てられています。 * 朝鮮時代の品位が感じられる晩休亭の構造 * 晩休亭の構造を見てみると、 軒先の垂木が一段のみとなっている入母屋屋根となっており、屋根左右の軒先の曲線が鋭く反り返り、亭子の趣をより一層感じられる構造となっています。 晩休亭の建物の大きさは正面3間、側面2間となっています。 正面は柱と柱の間の3間すべて開放することができ、建物正面の風景を楽しめるような作りの高殿の板の間がある亭子となっています。また楼閣の周囲の三方は縁側となっており鷄子閣欄干という欄干を配しています。建物の後は板の間となっており、周囲の縁側を通じて正面の板の間とつながる構造となっています。 また後壁にある戸の下の部分には穹板(クンパン)という板がやや高めにはめられているのもこの建物の特徴です。 亭子の左右にある部屋はオンドル部屋となっており、部屋の正面部分の戸は一般的な両開きの戸が取り付けられていますが、部屋の後ろ側の方の戸は格子模様の三分割の上開きの戸が取り付けてあります。 建物正面をすべて開放できるようにし周囲を縁側にする亭子の構造は稀で、他には同じ安東・吉安面にある薬渓亭(ヤッケジョン)が似た構造となっている程度です。 柱には蓮の蕾の装飾を施した二翼工様式の牛の舌のような形をした飾り板が突出し、この様式から朝鮮時代後期に取り付けられたものと思われますが、朝鮮時代末期の派手な様式とは異なり品位を保つ作りとなっています。 柱貫の上部には蓮の花を施した華盤を設け、趣向を凝らした造りとなっています。 屋根の部分は5本の桁を渡して作った五梁家(オリャンガ)造りとなっており、大梁の上に束柱を立て、棟と梁を乗せ、その上に梯形(台形)の束板を取り付けています。 [文化財情報] 分類:楼(亭)閣 指定:慶尚北道文化財資料第173号 指定日:1986年12月11日 時代:朝鮮時代


忠清北道(永同郡 )

深川(シムチョン)駅はKORAIL京釜線(キョンブソン)にある駅で、1905年1月1日に開業しました。 1920年には駅舎が新築されましたが、時代の流れは馬車から汽車へとシフトし、これに伴い鉄道も輸送力増強のため、深川駅付近の区間も複線化工事を実施、1934年に駅舎が移転し新築されたのが現在の深川駅の駅舎です。 深川駅駅舎は建築面積148.86平方メートルの一文字型の木造平屋の建物となっています。 切妻屋根の正面の待合室入口は、正面であることを強調した造りで、建物の線路側の出入口には雨よけの屋根を取り付け、立体感を引き立てた造りとなっています。 深川駅は地元・忠清北道(チュンチョンプクド)を代表する鉄道駅で、ソウルと釜山(プサン)を結ぶ京釜線(キョンブソン)の駅舎の中でも建築当時の原型を留めている駅舎の一つに数えられています。 駅の後ろには小高い山があり、正面には錦江(クムガン)が流れ、景色が大変素晴らしいところです。 近くには錦江の川縁にある陽山八景(ヤンサンパルギョン)があるほか、蘭渓(ナンゲ)国楽博物館、蘭渓国楽器制作村、蘭渓祠堂など国楽に関連する施設も数多くあります。