全羅北道(益山市 )

新羅の景徳王(742∼765)の時代に建てられた寺で、代表的な建物である普光殿を含め合計6つの建物があります。この中で宝物第825号に指定された崇林寺の普光殿は、内部に毘盧遮那仏、阿弥陀仏、観世音菩薩と同様の三尊仏と、仏像を奉る上段の後ろに掛けられた仏教式の絵である後仏幀画が奉られています。崇林寺の入口は、木々や鳥の鳴き声、細道にかかる小さな渓谷などが見え、寺に行く前にすでに心身が晴れるような気分を感じられます。


釜山広域市(水営区)

海辺を見ながら食事ができる店です。釜山広域市のスヨン区に位置した海鮮専門店です。代表的なメニューは刺身の盛り合わせです。


慶尚南道(金海市 )

韓国最大の名節であるソルラル(旧正月)を迎え、家族や親戚などとともにさまざまな伝統文化行事体験や地域文化遺産の観覧などを通じ、新年の格別な思い出を国立金海博物館でお楽しみください。


忠清南道(天安市 )

柳寛順烈士は1902年並川面龍頭里で生まれ、梨花学堂に在学中の1919年、3.1独立万歳運動が起きると帰郷し、1919年4月1日(陰暦3月1日)、アウネ万歳運動を起こし、公州監獄に収監されました。 1919年8月、西大門刑務所に移管され、その後日帝による拷問に耐え切れず1920年10月12日に獄中で殉国しました。柳寛順烈士の精神を後世に永く伝えるため1969年追慕閣が建設され、1972年から毎年10月12日には柳寛順烈士追慕祭行事がここで挙行されています。 周辺には柳寛順烈士が挙事を知らせようと烽火したという烽火地と烽火塔、柳寛順烈士の生家や生前通った梅峰教会などがあります。 また毎年2月末には烽火祭行事、毎年9月28日の殉国した日には柳寛順烈士追慕祭の行事がここで挙行されています。


ソウル(冠岳区)

1905年に竣工したこの建物は、日本の北陸土木会社が施工、小玉氏が設計し、西島氏が監督したとされています。李重華の『京城記略』には、1900年に入京したベルギーの全権委員レオン・ビンカート(Leon Vincart)氏が1902年10月、場所を決めて領事館建築に着手したと記録されています。その後1919年に領事館は忠武路1街18番地に移転し、この建物は日本の横浜生命保険会社が社屋として使用していましたが、その後、日本の海軍省武官府の官邸となり、解放後(1945~)は海軍憲兵隊が使用しました。1970年に商業銀行が払い下げを受けて使用していましたが、1982年8月に現在の南峴洞に移転し、韓国商業銀行(現ウリィ銀行)の史料館として使用されました。現在は、リニューアルされてソウル市立美術館南ソウル美術館となっており、市民のための文化空間として活用されています。建物は地下1階、地上2階建てで、レンガと石材が混用されています。古典主義様式の玄関やバルコニーのイオニア式の柱などは、外観上、大変素晴らしい様式であることをよく表しています。 規模:建築面積1,569.58平方メートル、2階レンガ造り


京畿道(安山市)

京畿道安山にあるヒルハウスホテルは赤い煉瓦のアーチ形のバルコニーが特徴のホテルです。安山ターミナルと常緑樹駅に隣接しており、アクセスに便利な好立地にあります。特に、潮干狩り体験ができる大阜島や美しい夕焼けで有名な九峰島、仁川大橋、始華湖に隣接しており、観光にも最適なホテルとして人気を集めています。