ソウル(麻浦区)

都心型ゲストハウス・ライクユーは近年、若者の間で人気のソウル特別市麻浦区西橋洞(ソギョドン)にあるゲストハウス。 ソウル地下鉄2号線・空港鉄道・京義中央線弘大入口駅から徒歩5分にあり、繁華街へのアクセスも大変便利です。 そのため香港やシンガポールなどアジア各国からの若者がよく利用します。 オーナーが客室の清掃やベッドなど寝具類が常に快適な状態であるよう念には念を入れて管理しています。なおこのゲストハウスは少なくとも3日以上の予約から受付となっています。 すべての客室がロフト付きとなっており、広いスペースを活用できます。お客様が使いやすいように各部屋ごとに洗濯室を設けているため大変便利で、無料で洗濯ができます。


京畿道(儀旺市)

『ホテル・オン』は手軽に利用できるビジネスホテルに独特な雰囲気をかもし出すデザイナーズホテルをプラスした利便性と感性を兼ね備えたホテルと言える。1階には団体客のための朝食バイキングを運営しており、洗練されたモダンなデザインの客室(70室余り)は実用的かつ癒しの空間を提供している。車で10分の所にある白雲湖は散歩コースとしても人気があり、大型マートも近くになって便利だ。


ソウル(鍾路区) , 三清洞・ソウル北部

水一滴まで自然のものと! 「カフェ歩拏(ポラ)」のデザートは自然のものそのままをもたらすために努力します。海風に育てた保寧(ポリョン)の紫色の甘薯、最上級の生の高麗人参、天然水で作った氷まで自然育てた材料のみを固執し、厳しいデザートを作り出します。


ソウル(冠岳区)

1905年に竣工したこの建物は、日本の北陸土木会社が施工、小玉氏が設計し、西島氏が監督したとされています。李重華の『京城記略』には、1900年に入京したベルギーの全権委員レオン・ビンカート(Leon Vincart)氏が1902年10月、場所を決めて領事館建築に着手したと記録されています。その後1919年に領事館は忠武路1街18番地に移転し、この建物は日本の横浜生命保険会社が社屋として使用していましたが、その後、日本の海軍省武官府の官邸となり、解放後(1945~)は海軍憲兵隊が使用しました。1970年に商業銀行が払い下げを受けて使用していましたが、1982年8月に現在の南峴洞に移転し、韓国商業銀行(現ウリィ銀行)の史料館として使用されました。現在は、リニューアルされてソウル市立美術館南ソウル美術館となっており、市民のための文化空間として活用されています。建物は地下1階、地上2階建てで、レンガと石材が混用されています。古典主義様式の玄関やバルコニーのイオニア式の柱などは、外観上、大変素晴らしい様式であることをよく表しています。 規模:建築面積1,569.58平方メートル、2階レンガ造り


全羅南道(新安郡 )

全羅南道新安郡押海邑にある「チョンサ島盆栽公園」。園内には、草花園や野生花園、薔薇園、湿地保護区域、自然池、盆栽園、森の教室などが完備されており、植物について、学習したり体験することができます。また、水遊び場や事務、多目的広場など、各種レジャー設備や便宜設備が併設されており、美しい自然を満喫しながら、ゆっくりと憩いのひと時を楽しむことができます。


忠清南道(青陽郡 )

忠清南道青陽郡、樓谷に位置するチュルムドム(列墓)聖地は天主教信者の無名殉教者たちの墓です。また、この村は京畿道果川で殉教した崔京換聖人と韓国2番目の司祭である崔良業神父の誕生地でもあります。1つの場所に複数の人を埋葬しているためチュルムドム(列墓)といいます。殉教者の数と姓名、殉教経緯などは分かりませんが家族単位で埋葬され、名前の分からない殉教者たちの墓37基がここ樓谷で墓の列をつくっていて、1982年に青陽聖堂によって清められた墓地に無名の殉教者たちのための墓碑を立て史跡地として造ってから天主教信者をはじめ多くの人が訪れています。ここチュルムドムの殉教者、聖崔京換フランシスコの遺骨の一部を1986年に切頭山 殉敎紀念館に移して祀っており現在、墓の数は総36基です。


京畿道(驪州市) , 驪州

三国時代の戦略的要衝の地、婆娑城址婆娑城(パサソン)は標高250mの婆娑山頂上を中心に稜線に沿って築城された石築地の山城です。城の一部は山すその川に突出しており、上下流を一目で見られる戦略的要衝の地です。婆娑城は城壁などが比較的多く残っており、周囲は約1,800mで、城壁の高さは高いところで6.25m、低いところは1.4mとなっています。川西里に面した東門址と金沙面梨浦里に面した南門址には門楼を建てた高柱形礎石2基と平柱礎石が残っており、東門址には甕城門地も残っています。婆娑城址の由来と歴史婆娑城は新羅第5代王婆娑王のときに築城されたものと伝えられており、『東国輿地勝覧』には1592年の文禄の役のときに柳成龍の案により僧軍が城を修理したという記録が残っています。[文化財情報]指定番号:史跡第251号  指定年度:1977年7月21日時代:三国時代大きさ:35,504㎡種類:城郭遺跡


江原道(三陟市)

剣峰山(コムボンサン)は、山の稜線が壮麗で、特にマウンテンバイクマニアたちには絶好のサイクリングロードとなっています。 剣峰山の頂上からは東には海が見え、南には應峰山(998.5m)が、西には四金山が見えます。また、臨院海水浴場までは車で5~10分と近いため、夏は山と海の両方を楽しんでみるのも良いでしょう。


京畿道(利川市)

山茱萸群落地が利川の新しいお花見スポットとして脚光を浴びています。利川市内から驪州方面の梨浦大橋に向かう途中の左手に霊源寺の標識があります。利川で最も高い圓寂山(標高563.5m)の麓にある霊源寺への道は、松末里から道立里を経て京沙里に至るまで大規模な山茱萸の群落地が広がっています。 毎年3月末から花が咲き始め、4月10日前後に満開しますが、利川市ではこれに合わせて山茱萸祭りを開催しています。 お祭りの期間を前後して、写真家や画家がこの場所を大勢訪れ、美しい景色をカメラやスケッチブックに収めていきます。村の住民は、この場所の山茱萸の樹齢が100年を軽く越えているといいます。特に道立里は村全体に山茱萸群落地が広がっており、絶景を演出することで知られています。秋になると山茱萸は赤色の実を付け、華やかな景色を作り上げます。道立里から霊源寺へ登る山道にも山茱萸が立ち並んでおり、春になると黄色い花を咲かせます。