京畿道(平沢市 ) , 平沢

トップ観光ホテル(TOP TOURIST HOTEL/トップホテル)はソウルから1時間圏内で、平沢港と浦升国家産業団地内に位置したビジネスホテルです。82の客室を有し、客室のベランダからは平沢港、西海大橋と公団の夜景、日の出と日の入りなどを見ることができる他、wi-fi、ビジネスセンターなどのサービスを提供しています。


江原道(原州市)

艮峴(カンヒョン)観光地は江原道原州(ウォンジュ)から西に17キロメートル離れた蟾江(ソムガン)と三山川(サムサンチョン)の流れが落ち合う地域に位置しています。深緑色に映えた川の両岸には広い河原と川の流れに洗われ不思議な形をした奇岩、鬱蒼とした古木が調和し、両岸に40~50mの岩の絶壁が屏風のような観光地を取り囲み、独特の素晴らしい景観を誇ります。 朝鮮時代の武臣で詩人でもあった松江・鄭澈(チョン・チョル)が『関東別曲』でその絶景を絶賛したように蟾江の蒼い水面や広い河原、三山川渓谷の澄んだ水に奇岩、そして峻峰が屏風絵のようにその影を浮き立たせ更に趣を与えています。


江原道(麟蹄郡)

北面所在地から束草側へ行く国道46号線の右側、外加平停留場の百潭寺から永矢庵を経て6キロメートルほど行くと、五歳庵(オセアム)があります。このお寺は、五歳庵は新羅時代に雪岳山に仏院を開拓した慈蔵律師が長経を伝え、九雲の大道を求めて善徳女王13年(644)に創建したお寺です。朝鮮仁祖(1643)時代、名僧であった雪浄大使が重建し改称しました。韓国戦争(朝鮮戦争)の際に焼失した後、改築され、今日に至っています。五歳庵は座禅道場、そして祈祷道場として広く知られており、多くの僧侶が修行を積んできました。 金時習が一時留まっていたほか、朝鮮中期に仏教復興を試みた普雨も身を寄せていた他、近代では詩人であり僧侶である韓龍雲も滞在していました。


慶尚南道(巨濟市 )

閑麗水道は、海上国立公園にも指定されている全羅南道の麗水市梧桐島から慶尚南道の統営市閑山島に至る海路をいいます。湖のように穏かで蒼い水面に、大小さまざまな島が散在しています。1952年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)において、李舜臣(イ・スンシン)将軍が水軍を率いて戦った場としても有名で、歴史教育の面においても価値の高いところです。島と島の間をすり抜ける高速艇、夕陽に映し出される水面に浮かぶ帆船は、 閑麗水道ならではのロマンチックな風景です。また、この海域は水質・水温ともに魚の養殖に最適の場とされており、数多くの魚が生息し、海釣り場としても脚光を浴びています。多くの海水浴場もこの海域沿岸に散在しています。


忠清北道(清州市 )

リホ観光(クァングァン)ホテル


全羅南道(麗水市 )

向日庵(ヒャンイラム 文化財資料 第40号)は4大観音祈祷所の一つで、644年百済の義慈王4年に新羅の元暁大師が創建し円通庵(ウォントンアム)と名づけたのがはじまりです。その後、高麗時代の光宗9年(958年)にユンピル大師が金鰲庵(クモアム)、朝鮮時代の粛宗41年(1715年)にインムク大師が向日庵と改称しました。大雄殿、三聖閣、観音殿、龍王殿、鐘閣、海水観音像を復元・新築し、寺院としての基本的な施設を備えていましたが、2009年12月20日の火災により大雄殿、宗務所(霊亀庵)、鐘閣が消失してしまいました。しかし、消失したこれらも2012年5月6日に復元されました。向日庵への山道はやや険しく、中間地点にある券売所を通り過ぎると階段と平坦な道をぐるぐる回りながら上へと登っていく道が続いています。 また寺の付近では、家ほどの大きさの2つの岩によりできた石の門を通過することになりますが、ここは他の寺でいうところの不二門にあたります。南海の水平線に見える日の出が大変すばらしいことから向日庵と呼ばれていますが、周囲の岩の形が亀の甲羅のように見えることから霊亀岩とも呼ばれています。


慶尚北道(高霊郡 )

大伽倻体験祭り(テガヤチェホムチュッチェ) 4世紀ごろ韓国には大伽倻(AD 42~562)という国が存在し、伽倻琴(カヤグム・韓国琴)を作ったり、音楽をリメイクしたりと優れた文化を誇っていました。また、発掘された遺物から当時この地域(現在の慶尚南道一帯)は絶大な勢力をふるっていたと推定されています。古代の歴史に存在した韓半島の「大伽倻」という国を実際に体験してみることができるこの祭りは古代遺物展示観覧を含め、当時国際社会で交流をする時に使用した木造船作りや船の帆作りなどプログラムも多彩です。これ以外にも周辺の農村と連携していちご収獲や農村体験プログラムも同時に楽しむことができます。


慶尚北道(青松郡 )


忠清南道()

広い店内と快適な施設の海鮮料理店。質の良い海産物のみを厳選し、海鮮料理20年の経歴を持つ料理長が作るヘムルチム(海鮮の蒸し物)の専門店です。


全羅北道(茂朱郡 )

「茂朱寒風楼」は楼閣として、昔有名だった詩人達が集まり風流をたしなんだ場所です。 1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で焼失しましたが、1599年に再び建てられました。日帝強占期から仏教を広める地として使われ、永同郡陽山の川辺に移され錦湖楼という名前に変わりました。1971年に茂朱の有志により現在の位置に移されました。 「茂朱寒風楼」は湖南地方で全州の寒碧堂、南原の広寒楼と並んで有名であり、その中で最も美しい楼閣として知られています。