忠清北道(丹陽郡 )

忠州ダムの建設により、水没していた地域を調査している途中に、忠北大学博物館により発見されたこの場所は、これまで発見されてきた韓国の旧石器時代の遺跡地のうち、もっとも広い面積を誇っています。さらに、旧石器後期の典型的な石器が大量に出土され、韓国はもちろんのこと、世界的にも有数の旧石器遺跡地として評価されています。垂楊介先史遺跡展示館では、旧石器時代の遺跡が発見された丹陽一帯の地図を見ながら詳細な説明を聞くことができます。


忠清南道(扶余郡 )

忠清南道扶余郡のアリランモーテルはかつて百済の歴史の都市である扶余の中心に位置しています。扶余は歴史的特徴から博物館が多く、扶余市内に位置しているアリランモーテルは交通の便が良く、ホテル周辺には扶余で有名な蓮の葉ご飯が味わえる食堂もあります。周辺には、定林寺址や、扶余博物館、扶蘇山、蓮華で有名な宮南池などの観光地があります。


慶尚北道(青松郡 )

慶尚北道 青松は、水がきれいなことで有名です。そんな青松にある「青松オルムゴル」は、慶尚北道 盈徳の玉渓渓谷との境に位置する渓谷です。ここでは、真夏に氷が張り、気温が32度以下になると氷が溶けだし、気温が高ければ高いほど氷が厚くなるという不思議な現象が見られます。また、ここの薬水は味が良く、真夏にはその暑さを忘れさせてくれるほど冷たいことから、多くの観光客が訪れます。 オルムゴルの真下には「ウォンジャ岩」という岩壁があり、この岩壁には高さ62mの人工滝が作られています。冬になるとこの滝の水が凍り、氷の壁ができるため、アイスクライミングを楽しむ人々の姿が見られます。また、毎年ここでは「アイスクライミングワールドカップ」が開催されます。


慶尚北道(高霊郡 )


済州道(西帰浦市) , 서귀포

婚姻池は済州島の古い神話のひとつである「三姓神話」に登場する高、梁、夫という三神人が、狩猟生活をしながら碧浪国からきた三人の王女と婚礼を挙げた場所と言われています。浅くて小さい池ですが三神人がここで婚礼を挙げたことによって始めて済州島に住民が増え、農作業などが始まったと言われています。 ここには、三神人が三人の王女と結婚した後、住んだという岩洞窟の家があります。


仁川(江華郡) , 江華島

1618年に高麗時代の外城を補修し1656年に広城堡を設置したが、この堡の墩台は1679年に築造されたものです。1745年に完全な石城に改築され城門も作られました。広城堡は辛未洋擾(しんみようじょう)の当時最も激しい激戦地で、1871年4月24日にアメリカのロジャースが通商を要求し艦隊を率い1,230人の兵力で侵攻した時に、上陸部隊は草芝鎭と徳津鎭を占領した後、広城堡に到達し白兵戦を展開しました。朝鮮軍指揮官の魚在淵(オ・ジェヨン)将軍の元、全兵士が勇敢に戦い、砲弾が尽きると剣と槍で、刀と槍が折れると石と拳で最後の一人まで退かず捕虜にもならず壮烈な最後を遂げました。1998年には海岸の方に休憩所が観光客達のために作られ、広城堡は現在、史跡第227号に指定されており、毎年旧暦4月24日には魚在淵将軍を始めとして、戦死した無名の勇士達のために広城祭が行われます。広城堡は当時使用された大砲や砲台などが残っており、そこから見下ろす海の景色と墩台の曲線が印象的です。


京畿道(南楊州市) , 南楊州

自然の美しさと神秘をそなえた天摩山を舞台に開発されたスターヒルリゾートは、1982年12月にオープンしたスキー場です。ソウルを基点に32キロの距離にありいつでも負担なくスキーや休息を楽しむことができます。また、スターヒルリゾートはオールシーズンスキーが楽しめます。(名称変更:天摩山スキー場→スターヒルリゾート)


京畿道(坡州市 ) , 坡州(ヘイリ村)

烏頭山(119m)の頂上にある烏頭山城は、記録によってその名称が異なります。大東地志には鳥頭城、輿地図書には鷘頭山城、世宗実録地理志には烏鳥城と記録されています。この山城は、漢江と臨津江が合流する地点である烏頭山を中心に築造されてた長さ約620メートルに及ぶ百済時代の山城です。急斜面の多いこの山城は、西側は臨津江、南側は漢江、東側は農耕地、北側は山麓に面しています。山の頂上には城壁用の石材が散らばっており、三国時代から朝鮮時代にかけて長期間築城されたものだと推定されています。 1990~1991年の発掘調査で土器、白磁、瓦などが多数発見されました。軍事的にも非常に重要な地理的要素を持ち合わせており、統一展望台ができてからはその原型を探す作業が困難になりました。しかし、この遺跡一帯への専門家らによる現地調査の結果、臨津江と漢江の合流地点である西側高さ1~1.5メートル、長さ30メートル、幅6~7メートルの城壁が残されているのが確認されました。


慶尚南道(河東郡 )

聖徳王21年(722年)に義湘大師の弟子である三法が創建した双磎寺(サンゲサ)は、全羅南道求礼邑から21km地点の、慶尚南道河東郡花開面花開里から雲樹里までの6km桜の木が並んでいる智異山の南の麓にあります。初期の名前は玉泉寺でしたが、その後、文聖王2年(840年)に真鑑国師 が再建した後、887年定康王が、禅寺の徳を仰いで双磎寺と改称しました。 今の建物は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに消失したものを再建したものです。双磎寺の春の桜は特に有名で、渓谷の澄んだ水と奇岩、古木が優れた景勝を作り出しています。境内の見所としては崔致遠の親筆である双磎石文、真鑑禅師大空塔碑(国宝47号)を過ぎ、北側500mほど行くと国師庵の庭に天然の楡の木、また東側に2kmほど行くと青鶴峰と白鶴峰のふたつの渓谷を有する高さ60m幅3mのプリル瀑布(智異山10景のひとつ)などの名所があります。また、 双磎寺はお茶とゆかりの深い場所で、新羅・興徳王3年(828年)金大廉が唐の国に使臣として行って帰国した際、初めてお茶の種を持ち込み、王令で智異山の南側、双磎寺一帯に植え、最初の栽培地と言われています。そのため、お茶の栽培地記念碑(道記念物第61号)もあります。


ソウル(江西区) , ソウル西部

1950年6月25日、北韓(北朝鮮)軍の攻撃により韓国軍が風前の灯の危機に陥り、陸軍第1師団11・12・15連隊所属の将兵約100人が金浦地区に後退し、6月26日から30日まで開花山で最後の防御陣を張り、韓国軍に偽装した敵の大兵力を相手に戦闘を行いました。しかし、本部との通信が途絶え弾薬が無くなり、北韓(北朝鮮)軍の威力に押されて軍人全員が開花山の谷間で亡くなりました。祖国と民族のために命を捧げた戦死者を供養するために、1994年に開花山に慰霊碑を建立し、毎年6月28日にはこの場所で慰霊祭が行われます。* 規格 - 慰霊碑の高さ 4.7m* 建立者 - 陸軍第1師団、弥陀寺