ソウル(永登浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

漢江に囲まれた金融, 政治, 文化とマスコミの中心地、汝矣島にあり、ソウルの都心と仁川国際空港との連結が便利な、ビジネスの中心という地域的特性、にニューヨークのウォールストリートをはじめマンハッタンのビジネスニーズをホテル文化に取り入れ、品格あるビジネスサービスを提供しています。


ソウル(鍾路区)

『24ゲストハウス鍾路(チョンノ)タワー店』は最も韓国的な雰囲気、合理的な価格、実用的な客室、熟練された語学力で観光ガイドもできる若い運営スタッフまで揃っていて外国人観光客に特に人気の高い。近くに広場市場、清渓川プロムナード、東大門ショッピングタウン、宗廟、北村韓屋村、仁寺洞、明洞、昌慶宮、大学路などがあって新・旧文化が調和をなしており、都会の中で文化と芸術が満喫できる憩いの場である。鍾路5街駅一帯のショッピング通りは24時間明りが消えない躍動感にあふれた通りで、韓国の情熱が感じられる。


全羅北道(全州市 )

全州市の韓屋村に位置している「茶門(タムン)」は、店舗に伝統家屋が利用されています。部屋がぐるっと四方を囲むような造りになっており、大小の部屋は伝統茶を味わえる空間となっています。


釜山広域市(海雲台区) , 海雲台

正官庄は110年の伝統を誇る(株)韓国人参公社が 製造する紅参製品ブランドで「政府が管轄する所で生産された信頼できる製品」という意味を持っています。高麗人参1つの根に6年という長い期間にわたって丹精に栽培した製作者の真心が込められているように、110年伝統の製造ノウハウと厳しい品質管理によって製造された高品質な商品が購入できます。


江原道(三陟市)

三陟海神堂公園(サムチョク・ヘシンダンコンウォン)には映像水族館の他に、民俗資料展示館や植物公園、彫刻物などがあります。特に公園内には、この付近の村で語り継がれている話を再現した銅像があり、関心を集めています。*エバウィと海神堂説話 - 結婚を約束した娘が海草を取りに男の船に乗って海岸から少し離れた岩場に降りました。男は迎えに来るという約束をして戻って行きました。ところが、突然の荒波と強風で男は娘を迎えに行けなくなり、結局娘は溺れ死んでしまいます。それから不思議なことに魚が獲れなくなり、漁民の間では死んだ娘のためだといううわさが広がり始めました。それを聞いた村人は、死んだ娘の魂を慰めようと木で男根を作って祭祀を行うようになり、それから魚が獲れるようになったといいます。娘が死んだ岩場をエバウィ、毎年2回祭祀を行っている建物を「海神堂」と名付け、今でも村の伝統的な民俗行事として受け継いでいます。


慶尚北道(慶州市 )

国立慶州博物館(クンニプ・キョンジュバンムルグァン)は約90年の歴史を誇る博物館。新羅(BC57-AD935)の首都であった古都・慶州の文化遺産を見ることができる博物館として、規模、質共に慶州に来たら必ず訪れる観光コースになっています。展示室は本館と第1・2別館、野外展示場の四つに分けられ、本館ではさまざまな土器や美術工芸品を見ることができます。また菊隱記念室には李養璿博士が収集品保護のために寄贈した文化財666点が展示されています。第1別館である考古館には慶州市内の所々に残っている巨大な墓から発掘された遺物が展示されており、金冠や冠飾り、帯、耳飾りなどの金装身具などが見所。これらの文化財を通して新羅時代の優れた芸術性を確認することができるでしょう。また第2別館である雁鴨池館では雁鴨池から発掘された3万点余りの文化財の中でも代表的なものを見学できますが、他の展示館の物が王族の墓から出土した作品であるのとは違い、ここにある遺物は生活用品となっており、新羅時代の宮中生活の様子を知ることができるようになっています。また野外展示場には韓国の代表的な梵鐘である聖德大王神鐘があるほか、慶州地域の寺・宮闕の跡などから移された各種石遺物も展示されています。


ソウル(中区) , 東大門

ロシア、ウズベキスタンの味がそのまま味わえるお店です。


釜山広域市(西区)

海水浴場の東側にあるコブクソム(亀島)と陸地とを結ぶ橋・クルム(雲)散策路は、一部区間が透明な強化ガラスでできたスカイウォークで、あたかも海の上を歩いているかのような気分を味わうことができます。 海原の上を歩きながら、数多くの船が錨を下ろしている松島(ソンド)沿岸や松島海水浴場を一望でき、釜山の海水浴の新しいランドマークとして近年人気を博しています。  


仁川(南洞区) , 仁川市街地

チャンオ名家(チャンオミョンガ)は、仁川国際空港から仁川大橋を渡り15分ほど'行ったところに位置する南洞区間石洞にあります。純国産のウナギを炭火で焼き、特別なソースで味付けをしています。味はもちろんのこと、きれいで清潔な食事を提供しているため韓国人が訪れるだけでなく、周辺の工場地帯を訪れた外国人をおもてなしする際の飲食店としても利用されています。