ソウル(瑞草区)

「芸術の殿堂」の前にある「ハンガラム美術館」は、造形芸術空間としての機能が充実している美術館です。1990年にオープンし、延べ面積は15,540㎡で、1階・2階が広々としているため、大型の絵画も展示可能です。6つの展示室と収蔵庫、アートショップなどがあり、恒温・恒湿施設や照明設備も整っています。自然採光に近い光天井システムを導入しており、明るい雰囲気の中で作品が鑑賞できます。美術館前の美術広場には様々な作品があり、ここでクローズアートマーケットなどのデザインマーケットが開かれます。また、野外にカフェがあり、すぐ横の階段を下りていくと韓国料理店もあります。


ソウル(鍾路区)

三清洞に位置する誠心芸工院は『空間の美しいかお』を作ろうと、1981年に設立したソウル市の無形文化財である小木匠(ソモクジャン)の沈龍植(シム・ヨンシク)先生の窓戸(チャンホ)工房です。現在、沈(シム)先生はお弟子さんと一緒に窓戸の研究と制作に専念しながら、独創的な韓国の窓戸を国内だけでなく海外にも広める努力をしています。小木匠という言葉は聞きなれないかもしれませんが、韓国の伝統家屋の骨組みを大木匠(デモクジャン)といい、それ以外の窓や戸などを小木匠(ソモクジャン)といいます。誠心芸工院には「分閤門(ぶんこうもん)」、「紗窓卍字門(さそうまんじもん)」、「井字梅花格子戸(いじばいかこうしど)」、 「櫛目文花格子戸(くしめもんかこうしど:櫛目文の支柱に花の模様を彫った戸)」など、さまざまな模様の窓や戸がずらりと並んでいます。その他、窓戸制作の実演や無形文化財の展示会なども行われています。誠心芸工院は一般の人が無料で、いつでも立ち寄ることができるよう解放された工房です。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

映画のロケ場所として有名な伝統喫茶で、伝統茶はすべて煮出して作られたものです。夏のメニューであるかき氷(ピンス)の小豆も手作りです。


ソウル(鍾路区)

甘露堂(カムロダン)の自然の味は、化学調味料を一切使わず、昆布にシイタケ, 大根, 梨汁などの各種 野菜を入れてとった昆布水で味付けをして、体がキレイになる禅食料理であるだけに、小麦粉の 代わりにもち米, じゃがいもの澱粉を利用して油をあんまり使わないのが特徴です。 寺刹料理は、油気のない淡泊であっさりしていて刺激性が無く,天然材料のみを選別して 韓国固有の伝統料理の味がそのまま溶け込んでいます。 甘露堂では、健康の大切さが重要視されるに伴い、世界的な関心が集まっている寺刹料理の 真髄が味わえ、視覚的な楽しさも感じられます。 


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

トルシルナイは生活韓服のリーダーとして、韓服の大衆化のために現代化されたスタイルに製作し販売する専門ショップです。庶民的な伝統衣装の素朴な美しさがにじみ出る製品で、純綿素材と顔料染色が特徴です。究極的に伝統韓服のイメージを連想させながらも、実用性と機能性を加えた生活韓服を普遍化させた商品が多く並べられています。


ソウル(龍山区) , 梨泰院・龍山

チャクラは、インドの伝統料理専門店です。現地のインド人が食べる料理がそのまま味わえる場所で、薬効がある香料やハーブを使用した味付けなので、どんな人でも楽しめます。 テイクアウト、配達、ファミリーやカップルのためのセットメニューがあります。また室内外でのパーティーや大使館やVIPパーティーなども行っています。


ソウル(江南区) , 江南・三成(COEX)

グリーングラス観光ホテルは、1級観光ホテルとして韓国金融市場のメインストリートであるテヘラン路に立っています。ソウルメトロ2号線「宣陵(ソンヌン)駅」から徒歩3分とアクセスが良く、仁川国際空港まで行くリムジンバスが出発する空港バスターミナルまでも徒歩で15分のところにあり、アクセス面ではとても便利な所にあります。またすぐ側に宣陵公園があり、空気がきれいなだけでなく、散歩またはジョギングを楽しむことができます。周辺はビジネス街が立ち並び、客室料金も周辺ホテルに比べてチープなため、ビジネス客にも人気を集めています。


ソウル(中浪区)

1985年9月にオープンした上鳳ターミナルはソウル中浪区上鳳洞に位置する総合バスターミナルです。 東ソウル総合ターミナルとともに市外バス及び高速バスを利用することができ、ソウル江北地域の中心ターミナルの一つです。ソウル北部と江原道地域を運行しています。


4.0/1
ソウル(中区) , 南大門・ソウル駅

中央商店街は各種女性用品と韓国の特色ある製品で構成されています。1階の婦人服専門売り場では、全国の様々なデザインの婦人服が取り揃えられており、大勢の女性客がショッピングにやって来ます。傍にアクセサリー専門店もあるのでショッピング時間が短縮できます。2階は外国人が最も好きな民芸品や伝統工芸品が多く、生地、手芸、寝具、伝統婚礼用品などが揃っています。


ソウル(鍾路区)

彰義門(チャンイムン)は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。