全羅北道(茂朱郡 )

小白山脈から南側に伸びた「徳裕山国立公園(トギュサングンニプゴンウォン」は全羅北道、慶尚南道の2道4郡に渡る広大な公園です。1975年に10番目の国立公園として指定されました。「徳多く寛大な母なる山」という意味の徳裕山は韓国で4番目に高い山(1,614メートル)で亜高山帯生態系の保存価値が非常に高く、年間150万人以上の観光客が訪れています。茂朱郡雪川面の羅済通門から香積峰に至る36キロメートルの渓谷一帯には茂朱九千洞(ムジュクチョンドン)33景を始めとした数多くの絶景が広がっています。赤裳山城(史跡146号)や安国寺霊山会掛仏幀(宝物1267号)など、数多くの遺跡が各所にあります。またイチイの群生地などもあり、優れた景色が広がります。ここには約1,623種の動物や約1,067種の様々な植物が分布しており、とりわけ春はツツジが美しいことで有名です。夏は九千洞の涼しい渓谷が避暑地として人気があり、徳裕平田ではワスレグサの群落が壮観です。秋の紅葉、冬の雪渓は自然の素晴らしさを十分に感じさせてくれます。


全羅北道(南原市 )

国立民俗国楽院(クンニプ・ミンソックガグォン)は、自然の中で民俗楽器演奏を鑑賞することができるところ。民俗国楽院の建物は韓国の伝統美をよく表現しており、建物はもちろん公演や周囲の環境まで民俗国楽院は韓国らしさを感じることができるでしょう。国立民俗国楽院の民俗演奏団は、器楽やパンソリ、民謡、カヤグム並唱、サムルノリなど、ありとあらゆる国楽の演奏を行っています。それぞれの演奏は最高の実力を誇る演奏者が行っており、特に民俗国楽院が位置する南原はパンソリ東便制の本場で、「パンソリ・ハンマダン」では、東便制を鑑賞することができます。民俗国楽院内には、国楽器展示室や民俗楽資料室があります。国楽器展示室には、約60種の楽器や有名な国楽器などの写真が展示されており、特に江陵地方の小鼓や済州島の舞楽に使用されている土俗楽器は興味深いもの。民俗楽資料室には、国立民俗国楽院の公演資料が約2000点も保管されています。この地方を訪れるなら、民俗国楽院が位置する南原観光団地の横にある広寒楼に行ってみましょう。広寒楼は朝鮮時代(1392~1910)に作られた代表的な庭園で、ここにある烏鵲橋は、彦星と織姫の愛の伝説が伝わる橋。また南原は韓国の古典小説「春香伝」の舞台となったところで、毎年5月5日前後には「春香祭」も開催されています。


全羅北道(茂朱郡 )

茂朱 徳裕山リゾート(旧茂朱リゾート)トは徳裕山にある代表的な山岳リゾートです。徳裕山国立公園の美しい景色とリゾートがひとつになってウインタースポーツを楽しめるところです。茂朱 徳裕山リゾートは四季を通じたリゾートとして、アルプス風の特級ホテルをはじめ、各種施設を備えており、220万坪の規模を誇ります。茂朱リゾートはとくに冬には多くのスキーマニアが訪ねる所として有名です。マンソン峰(1215m)スキー場は時間当たり13000人が収容できるリフトが設置されており、初歩者から最上級コースまで多様なコースがあります。冬季ユニバーシアード大会が開かれた雪川峰 (1520m)スキー場は、多様なゴンドラ、リフト施設があります。それだけではなく、スキーで疲れた体を癒す温泉もあり、雪原を背景に休める野外温泉は有名です。ほかにもテニス、山登り、MTBと乗馬が楽しめ、ショッピングモールのカーニバルストリートでは多様な見どころや食べ物があります。また世界の有名ブランドを手頃な価格で買うこともできるアウトレット衣類専門店から実用的なスーパーまで多様に揃っています。


全羅北道(高敞郡 )

高敞(コチャン)邑から4キロほど離れたところにある道山里池洞村のキム・ヨンイン氏家の裏手の甕置き場の脇に、きれいに整頓された碁盤式(平べったい石を両わきに立てて、その上に碁石をかぶせる方式)の支石墓(コインドル)1基があり、そこから3キロほど禅雲寺の方に行くと雅山面 上甲里、高敞邑 竹林里、梅山里、松岩里の約2kmの範囲にわたって支石墓群があります。ここには長さ5メートル、幅4.5メートル、高さ4メートル、そして重さは推定約150トンの支石墓をはじめとして、447基の支石墓が白いペイントで一つずつ番号が書かれています。この支石墓群から、青銅器時代にすでに集落を形成し生活していたことが推測できます。


全羅北道(扶安郡 )

「扶安映像テーマパーク」は扶安郡辺山面格浦里一帯の土地(148,400m²)に民俗村(89,696m²)とサンセットパラダイス(58,704m²)を備えた映像テーマパークです。 民俗村は歴史的な考証を徹底的に行い王宮(景福宮)を再現し、瓦屋根の村(両班家、書院、書堂、伝統茶屋)や平民村(陶窯村、韓方村、木工・韓紙工芸村など)、市場通 り、放牧場、蓮池、城郭などを建立し、「不滅の李舜臣」などの撮影地として有名になりました。また、映画「王の男」などの撮影地としても有名です。今後、「サンセットパラダイス」に室内スタジオを建立し、撮影から編集までの全てができるようになり、宿泊施設なども完備される予定です。


全羅北道(高敞郡 )

禅雲寺は百済の時代に黔丹禅師が創建した寺で金山寺と共に全羅北道の曹渓宗の2大寺院です。禅雲寺の保存されている記録によると創建当時は89庵に3,000人余りの僧侶が修行をしている大寺院でした。現在は本殿と兜率庵、懺堂庵、東雲庵、石床庵のみが残っています。現在禅雲寺は宝物5点、天然記念物3点、全羅北道有形文化財9点、全羅北道無形文化財2点の計19点の文化財があります。特に、大雄宝殿の裏にある樹齢500年、高さが平均6mにもなるツバキの木々は天然記念物第184号に指定されています。その花が満開になると、まるで寺の裏に屏風を立てたかのように美しく寺院全体を彩り、その美しさを記念して毎年4月にはツバキ芸術祭りが開かれています。


全羅北道(全州市 )

慶基殿(キョンギジョン)は、朝鮮王朝の始祖、李成桂(太祖)にまつわる遺跡地です。豊南門から東に150m程行くと、青々とした森の中に慶基殿が出てきます。史跡第399号に指定されている境内の中には、宝物第931号に指定されている李成桂の御真(肖像画)があり、有形文化財第16号に指定されている肇慶廟もあります。慶基殿は、李成桂の肖像画を安置するために太宗10年(1410)に建てられました。ここに安置されている李成桂の肖像画は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)や丙子胡乱の際には戦火を逃れるために別の所に移されていましたが、1614年に慶基殿が再建されると再び慶基殿に安置されました。慶基殿の北側には、全州李氏の始祖である李翰夫婦の位牌を安置した肇慶廟があります。肇慶廟は、英祖47年(1771)に建てられました。また、慶基殿の周辺には、豊南門や全州客舎、全州郷校、寒碧堂、梧木台と梨木台、南固山城などがあります。


全羅北道(鎮安郡 )

馬耳山道立公園(マイサン・トリプコンウォン)は全羅北道鎮安郡に位置し、新羅時代にはソダ山、高麗時代には湧出山と呼ばれ、朝鮮時代から馬耳山と呼ばれています。馬耳山は各季節ごとに異なる名前でよばれ、春にはトッテ峰、夏には竜角峰、秋には馬耳峰、冬には文筆峰と呼ばれます。馬耳山には昔から伝わる伝説があります。ふたりの仙人がここに下りてきて息子を生んで暮らし、空に帰る時に集落の女に空に上るところを見られたために空に帰れなくなり、岩山になったという話です。今でも馬耳山の姿には父峰と子峰、母峰が反対側に首をすくめているように見えます。このような伝説がある馬耳山は、自然が作った傑作で、馬耳山塔寺は人間が作った傑作といえます。塔寺の塔は自然石を積み、まるで錐のように尖っており、このっゆな塔が列をなしています。馬耳山の南に位置するこれらの塔は、最初は120基ほどあったといいますが、現在は80個あまりが残っています。嵐が来ても揺れたり崩れたりしない神秘さを秘めた塔です。馬耳山のもうひとつの名物が逆つららです。馬耳山内で冬にお碗に水を入れておくと氷の柱が空に向かって湧き上がってきます。なぜこのような現象が発生するのか、そのなぞは未だに解けていません。この様に馬耳山は神秘さで満ちた山といえます。


全羅北道(井邑市 )

内蔵山国立公園(ネジャンサン・クンニプコンウォン)は全羅道の名山にとくに全国でも随一の紅葉の山です。総面積76.032km2に達し、1971年11月17日に白羊寺地区とともにに国立公園に指定されました。内蔵山という名前は山の中に隠されたものが多いという意味でつけられたものです。内蔵山は秋には紅葉で赤く染まり、その姿があまりにも美しくて「湖南の金剛」とも呼ばれています。内蔵山国立公園には有名な道徳滝と金仙溪谷、白羊寺、内蔵寺などがあります。道徳滝は内蔵山入口から左側に沿って行きます。高さは約20メートルで、峡谷に水流が流れ非常にすずしいところです。金仙滝は仙人が水浴びをして昇天したという伝説がある所で、内蔵寺左側の谷に沿って上っていくとよい。白羊寺は、雄壮で趣のある寺です。真冬にも青い葉が茂るユズリハの木と、カヤの老木が林になっています。白羊寺とともに内蔵山の代表的なてらである内蔵寺は紅葉の名所として知られています。古刹である内蔵寺と周りの紅葉がひとつになり、秋には多くの人が訪ねます。ほかにも内蔵山国立公園内には760種の自生植物と林、天然記念物をはじめとする多様な野生動物が生息しています。内蔵山国立公園は秋の紅葉だけではなく、春にはつつじと桜、夏には青い山、冬には絶壁の美しい雪景が素晴らしい所で、季節ごとにいろいろな野生の花が咲き乱れます。


全羅北道(南原市 )

1638年に再建された朝鮮を代表する楼閣です。広寒楼は、朝鮮時代初期である1419年に南原に島流しにあった名宰相黃喜によって建てられた建物です。当時の名前は広通楼でした。1434年に修復が行われましたが、鄭麟趾が広寒清虚府と称した後、広寒楼と呼ばれるようになりました。広寒清虚府は、月の宮の玉皇上帝が住む宮殿を意味します。密陽の嶺南楼、晋州の矗石楼、平壌の浮碧楼と共に、韓国4大楼閣に入ります。広寒楼は、正面5間、側面4間の八作屋根の建物で、宝物第281号に指定されています。広寒楼を含め、池、方丈亭、瀛洲閣などが調和した庭園である広寒楼苑は名勝弟33号にも指定されています。