慶尚南道(統営市 )

統営中央市場は400年余りの歴史をもった由緒正しい市場で、市場の後方にある丘は東洋のモンマルトと呼ばれるドンピラン村があります。また、市場の前には江口岸と呼ばれる浦口があり、亀甲船と漁船が停泊しています。市場には新鮮は海産物と乾物がならんでいます。      


慶尚南道(河東郡 )

谷間を流れ出る蟾津江が平野を作り、人を集め、そこに集まった人々が集落を形成し、文化を作り上げました。広々とした平野は、命を育み、米や麦などの穀物で多くの生命を繋いできました。五百里に及ぶ蟾津江の川岸のうち、最も広い平野を誇る平沙里は83万坪に及びます。


慶尚南道(昌原市 )

富林市場は、昌原を代表するッ伝統市場です。特に、韓服(ハンボク)のオーダーメイドが有名で、昔から韓服を仕立てに来る人々で賑わっています。韓服の他にも、衣類や果物、野菜など、各種商品が販売されています。


慶尚南道(河東郡 )

梅岩茶文化博物館のはじまりは、1963年、故・カンソンホ卿が茶園を建てたことに遡ります。単純に遺物を展示した博物館ではなく、参加者がお茶を見て、触れて、体験することでより深く理解できる機会を提供することを目的としています。 *開館日:2000年5月21日


慶尚南道(南海郡 )

慶尚南道南海郡三東面にあるドイツ村では、毎年10月になるとビールの祭典「オクトーバーフェスト」が開催されます。 このオクトーバーフェストは1810年からドイツのミュンヘン市内西部のテレージエンヴィーゼで開催されてきたお祭りです。祭典会場は1960~70年代にドイツに派遣され、産業役軍として韓国の近代化に貢献した炭鉱夫や、看護士の歴史、ドイツに関する資料やドイツで歌われていた童謡などが展示されており、ドイツ文化を肌で感じることができます。さらに、ドイツ村の住民によるラテンダンスなど、様々なイベントや見どころのほか、ドイツワインの試飲やグルメなどが提供されます。


慶尚南道(陜川郡 )

毎年5月頃、黄梅山郡立公園で開催される黄梅山つつじ祭は、つつじの群落地保全のため、1997年に地元住民と地元出身者により地域の文化祭として企画されたお祭りです。2012年にはCNNが選ぶ「韓国で行くべき場所50選」に選定されました。また、黄梅山は、映画『ブラザーフッド』『トンマッコルへようこそ』『房子伝』やドラマ『善徳女王』『馬医』『カクシタル』などのロケ地としても有名です。


慶尚南道(陜川郡 )

陜川郡にある烟湖寺は行政区域上、慶尚南道陜川郡陜川邑陜川洞にあります。大耶城のふもとにある煙湖寺の後方には黄牛山がそびえたっており、前方には黄川が流れています。陜川邑にある郡庁から南に3km程度は離れていますが、ここには高麗忠粛王8年(1321年)に修復し、数回にわたって修造した朝鮮時代の性理学の巨匠李滉(イ・ファン)、曺植(チョ・シク)、宋時烈(ソン・シヨル)の文字がある涵碧楼があります。陜川八景のうち、第五景で絶壁を背景に青々とした山々が屏風のように広がっており、その前には黄川が流れています。  


慶尚南道(昌原市 )

2010年12月15日に営業を開始、地上2階(1階:駅務室、旅客便宜室)、2階(宿直室など)の建物です。


慶尚南道(昌原市 )

韓国の美しい地、馬山を訪れるときには、"馬山魚市場"を見逃せません。馬山は南海岸の風味豊かな海産物で知られていますが、その全てが集まる場所、それが馬山魚市場です。そして、この市場はまさに魚の宝庫。ここには200以上の店舗が立ち並び、高級魚から庶民の食卓に上るサバ、明太などの種々の海産物まで、新鮮かつ豊富なラインナップでお待ちしています。 さらに、馬山ならではの味、それが塩漬けや干物です。地元の新鮮な海産物を使ったこれらの商品は、観光客にも大人気。手頃な価格で馬山の風味を堪能することができます。 そして、馬山魚市場の特別なイベント、「馬山魚市場祭り」には、毎年多くの観光客が訪れます。新鮮な海産物を堪能しながら、地元の人々と一緒に祭りの喜びを分かち合うことができます。 「韓国の馬山、海の宝庫を訪れる旅」―あなたもこの素晴らしい体験をお楽しみに。その味、その色彩に感動すること間違いなしです。 韓国の馬山へ、そして馬山魚市場への旅。この風味溢れる鮮魚たちが、あなたを待ち望んでいます。馬山魚市場、それは韓国・馬山の風味と文化を体感できる場所、あなたの次の旅行の目的地として最適です。


慶尚南道(陜川郡 )

陜川八景のうち第五景である涵碧楼は高麗忠粛王8年(1321年)に陜州支軍金某(キム・モ)が創建し、数回にわたって修造されました。吹笛峰のふもとにあり、黄川と正陽湖を眺めることのできる美しい風景で多くの文人墨客が風流を楽しんだ場所で、退渓李滉(イ・ファン)、南冥曺植(チョ・シク)、尤庵宋時烈(ソン・シヨル)などの文字刻まれた扁額が楼閣内部のかけられています。岩壁に刻まれた「涵碧楼」の文字は宋時烈によるものです。