忠清北道(提川市 )

O-trainのOは「One」の略字で循環を象徴する形をモチーフにしています。中部内陸3道(江原道、忠清北道、慶尚北道)を1つ(ONE)に繋げる循環列車を意味します。 乗っているだけで楽しい列車の旅をモットーにした中部内陸循環列車「O-train」は、ソウル駅から毎朝出発し、堤川から鐵岩駅、鐵岩駅から堤川を通ってソウルに戻る1日1往復コースとなっています。 「O-train」は最高時速165キロメートルで中部内陸地域まで移動する列車で、日本やヨーロッパの特級観光列車のように全ての客室は木造インテリアの雰囲気漂う造りとなっています。外観は韓国の美しい四季を、内部は白頭大幹の春夏秋冬を取り入れた上品ある造りとなっています。


忠清北道(清州市 )

興徳寺址(フンドクサジ)は、1985年に雲泉地区宅地開発事業の施行中に遺物が多数出土して発見されました。これにより開発工事は中止され、清州大学博物館によって発掘が行われました。寺院の創建年代や規模は不明ですが、現存する世界最古の金属活字本『仏祖直指心体要節(下巻)』の奥付に「1377年に清州興徳寺で金属活字で書物を印刷した」と明記されており、『仏祖直指心体要節』は1972年の「世界図書の年」に世界最高の金属活字本として公認されました。


忠清北道(報恩郡 )

忠清北道報恩郡内俗離面上板里にある樹齢600年以上と推定される松の木。1962年12月23日、天然記念物第103号に指定された文化財です。 俗離山の麓にあり、東側には道路が、西側には天凰峰がそびえ、漢江の上流の1つ、俗離川が流れています。 1982年からは、高さ18メートルに及ぶ8角周型の防虫網が設置され、この地域に多い害虫から木を守るなど、各種対策が取られてきました。現在も上丈夫でしっかりとたたずむ松の木は、まるで大きな傘を広げたようなどっしりした面持ちで行き交う人々を静かに眺めています。


忠清北道(忠州市 )

* 中原塔坪里七層石塔のある市民公園、中央塔史跡公園 * 国宝第6号である中原塔坪里七層石塔は韓国の中央にあるということで中央塔と呼ばれています。この塔は統一新羅時際(9世紀中ごろ)に建てられたとされ、高さ14.5mの唯一の7層石塔です。中央塔周辺には彫刻公園が造られ、「文化財と湖畔芸術の出会い」というテーマで国内の彫刻家たちの作品26点が展示されている忠清北道最大の野外彫刻公園です。 * 忠州市民の憩いの場、中央塔史跡公園 * 史跡公園は市民たちの公園として彫刻物や散策路、忠州博物館や野外博物館、音楽噴水、中央塔、簡易噴水などがあります。このような施設を基盤に中央塔史跡公園は忠州の市民たちの憩いの場、子ども達の学びの場として発展しました。また、中央塔公園の北側には忠州調整池ダムがあります。  


忠清北道(沃川郡 )

忠北沃川郡沃川邑下桂里は、「郷愁」で広く知られる詩人・鄭芝溶が生まれ育った故郷です。鄭芝溶の生家横には鄭芝溶の生涯と文学を理解し、観賞できるよう、鄭芝溶文学館が建てられています。文学展示室には、テーマ別に鄭芝溶の文学に触れられるよう、各種作品などが展示されています。


忠清北道(沃川郡 )

忠北沃川郡沃川邑には、ヒャンス100里キルの最後の場所「陸英修生家」があります。陸英修女史が幼少時代を過ごした家が崩れかけたまま残されていたのを改修し、2011年5月、一般に公開しました。この家は1600年代の官僚金氏が建てた家で、その後2人の官僚が暮らしたとし「三宰相の家」と呼ばれていました。 陸英修女史が生まれる前の1918年、陸鍾寬氏がこの家を買い取り、暮らすようになりました。朝鮮後期の典型的な忠清道両班家の家屋と言えます。


忠清北道(忠州市 )

忠清北道忠州市漆琴洞にある弾琴台は、歴史的意味のある場所で、名勝第42号に指定されています。 新羅時代、ウルクがカヤグムを演奏していた場所だったことから弾琴台と呼ばれるようになり、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際に、敵国と交戦しました。また、韓国戦争の殉国者のための塔が建てられており、弾琴台を中心に、弾琴台碑、シルリブ将軍殉節碑、野外音楽堂、彫刻公演、芝生広場などが整備されており「弾琴台公園」として愛用されています。


忠清北道(丹陽郡 )

忠州ダムの建設により、水没していた地域を調査している途中に、忠北大学博物館により発見されたこの場所は、これまで発見されてきた韓国の旧石器時代の遺跡地のうち、もっとも広い面積を誇っています。さらに、旧石器後期の典型的な石器が大量に出土され、韓国はもちろんのこと、世界的にも有数の旧石器遺跡地として評価されています。垂楊介先史遺跡展示館では、旧石器時代の遺跡が発見された丹陽一帯の地図を見ながら詳細な説明を聞くことができます。


忠清北道(清州市 )

忠清北道清原郡梧倉邑では未来への飛躍を目指し、新しい千年の歴史を築くために先端科学産業団地が建設されました。その中心部に位置する「GEEホテル」は、梧倉(オチァン)を訪ねるビジネスマンや観光客に広々とした客室やスタッフのきめ細かいサービスを提供しており、便利に快適に過ごせる場所として脚光を浴びています。清州国際空港まで車で10分、KTX(韓国高速鉄道)五松駅まで20分と、アクセスも便利。また清原郡には、世界三大鉱泉水に認定された椒井薬水があり、水彩画のような風景を誇る大清湖、美しい景色と澄んだ空気を誇る大統領専用別荘である清南大(チョンナムデ)などがあり、心身の疲れを癒せる最適の観光スポットとして知られています。


忠清北道(丹陽郡 )

嶋潭三峰から上流に200mほど行くと左側の川辺に虹の形をした石柱が見えますが、それが石門です。石門は丹陽八景の第2景です。石門の左側に石窟があり、石窟の中には仙人が耕したといわれる美田があります。この美田の伝説は天からやってきてかんざしを失くしてしまった仙女がかんざしを探そうと土を手で掘ったものが99の農地になり、周辺の景色が天よりも美しいこの場所で生涯、農業を営みながら暮らしたとされ、広い農地を仙人たちが耕したことから「仙人美田」と呼ばれたと言われています。