慶尚北道(尚州市 )

「尚州博物館(サンジュパンムルグァン)」は、新羅時代の9州、高麗時代の8牧のうちのひとつであり、朝鮮時代には慶尚監営が置かれていた地域である尚州の文化遺産を体系的に保存しようと2003年に建設が始まり、2007年11月2日にオープンしました。 尚州博物館は、常設展示と企画展示を通して尚州の文化の特徴が一目で分かるように構成されており、屋外には石造遺物や生態池、伝統模様が刻まれた時計塔などが設置されています。また、博物館の横にある伝統儀礼館では、伝統韓屋の美しさと伝統ノリ(遊び)体験を通して古の文化の大切さを理解することができます。


忠清北道(丹陽郡 )

*三国時代の戦略的な要衝の地、赤城山城* 丹陽城在山にある石を積んで造られた山城で、1979年8月1日に史跡第265号に指定されました。周囲が約900mで大部分が崩壊されてしまい、北東側の内側の一部のみ残っています。城門は南西側、東側、南東側に3ヶ所で発見されました。城内には赤城碑があります。高麗軍が占領していたものを新羅軍が奪い、北進製作の前哨基地を構築した場所です。  *赤城山城の歴史的の意義* 1978年、城内で赤城碑が発見され、これによると新羅と高句麗の勢力関係の変動を知ることができます。碑石以外に三国時代の土器の破片と瓦の破片も発見され、高麗時代の遺物もあり、高麗後期まで今日の丹陽地方を治めてきた邑城の役目をしてきたことがわかります。城内には新羅および百済の土器のかけらや高麗朝の青磁のかけらなども発見されました。築城方法がとてもしっかりしており、新羅の築城術を研究するのに貴重な資料として評価されています。


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鎮下海水浴場(チナヘスヨッチャン)は、蔚山から24km東南の位置にある長さ1km、幅300mの海水浴場で、水深が浅く、南海の海の特性上、海水の温度が温かく、波も穏やかなため海水浴を楽しむのに適した条件がそろっています。また、松の林に囲まれているため松の香が漂っており、落ち着いた雰囲気のある海水浴場です。釜山の海雲台、日光海水浴場へと繋がる海水浴場で、96,000㎡という広々とした砂浜を誇り、写真作家やサーファー、海釣り愛好家の足が1年を通して途絶えることがありません。松の森ではキャンプと炊事を無料ですることができ、簡易シャワー場や更衣室なども備わっています。釜山からも車で1時間なため、夏の海水浴シーズンになると30万の人々が訪れます。


江原道(旌善郡)

旌善郡にある「ハイバレーホテル」は、白頭山脈の中心にある咸白山の麓の海抜700mの地点にある。周辺観光地には古汗邑にある浄岩寺の「寂滅宝宮」、宝物第413号の「水瑪瑙塔」、天然記念物第73号のマンシュウマスの生息地などがある。当ホテルは、ヨーロッパ風のオシャレで美しい外観と咸白山の野生の花をテーマにした自然との触れ合いを大切にした客室を準備し、まるで自宅でくつろいでいるようなゆったりした雰囲気。韓国で唯一韓国人の出入りが許可されている「旌善カジノ」やハイワンリゾートで楽しむスキーやゴルフなどもおすすめスポット。


慶尚北道(安東市 )

烏川遺跡(オチョンユジョク)は光山金氏礼安派の初代金孝盧が村を開いて以来600年にわたり子孫たちが暮らしてきた村の遺跡で、1974年の安東ダムの建設工事のため礼安面烏川洞から臥龍面烏川里へと移されました。濯清亭と後彫堂は国指定の文化財です。遺物展示館である崇遠閣にはこの家門の人たちが残した貴重な文書や戸籍類、土地証文、奴婢にまつわる文書などが展示されています。このうち7種429点の古文書と13種61点の典籍は宝物に指定されています。 濯清亭 1541年に建てられた光山金氏礼安派の宗宅(本家)に付属する亭。家屋に付属する亭としてはとても男性的で堂々としており重要な文化財です。朝鮮時代の三大名筆の一人である韓濩の書による額がかかっています。 後彫堂 光山金氏礼安派の宗宅(本家)の離れ。建築の年代は正確にはわかりませんが、金富弼(1516-1577)により建てられたものです。一般に離れは外離れと内離れに分けられますが、外離れは主人の休憩や社交の場、内離れはおばあさんや適齢期の娘たちが寝起きする場所でした。後彫堂は外離れになります。


全羅南道(麗水市 )

万聖里(マンソンニ)黒砂海岸(万聖里海水浴場)は、麗水駅から海岸道路を北に3kmほど行ったところにあるため、交通の便が便利です。長さ540m、幅25mほどの砂浜と平均水温が25℃とあたたかく、海水浴には最適な場所です。特に、ここの砂浜に広がる黒い砂は、遠赤外線の放射熱が毛細血管を広げ血液の循環を助け汗の分泌を促してくれるといいます。そのため、神経痛や各種婦人病に効果があると言われています。効能がピークに達する毎年旧暦4月20日(新暦5月下旬~6月上旬)には、黒い砂チムジルハンマダンが開かれます。海岸の周辺には各種便宜施設がよく備えられています。


京畿道(坡州市 ) , 坡州(ヘイリ村)

坡州三陵は恭陵、順陵、永陵の3つの陵で構成されています。恭陵は朝鮮第8代睿宗の太子妃である章順王后(1445-1461年)韓氏の墓ですが、章順王后が太子妃として亡くなったので簡略に作られました。一般的に立てられる望柱石(墓の前の両側にたてる一組の石柱)も省略されています。順陵は朝鮮第9代成宗の妃である恭恵王后(1456-1474年)韓氏の単陵です。全体的な陵の構成形式は恭陵と同じですが、順陵は王妃の陵であるため、恭陵に比べて、多くの石物(墓の前に置かれる石で作られたさまざまな物)が置かれています。恭恵王后は韓明澮の4番目の娘で、恭陵に埋葬された章順王后とは実の姉妹でした。 姉妹が揃って王妃となった例は、朝鮮王朝500年の歴史で前例がないことでした。永陵は英祖の長男である追尊王真宗(1719-1728年)と彼の妃である孝純王后(1715-1751年)趙氏の陵です。真宗は7歳で皇太子に冊封されましたが、1728年に昌慶宮の進修堂ジンスダンで夭折し(若くして亡くなり)ました。孝純王后は13歳で太子妃に冊封され、1751年に子のいないまま37歳で亡くなりました。


忠清南道(瑞山市 )

国宝第84号に指定されている磨崖如来三尊像(マエヨレサムジョンサン)は百済時代の微笑がどんなものであったかを感じることができる百済時代後期の作品です。仏像の顔は太陽の光が当たる角度によって、時に厳しく、時に優しく、様々に変化すると言われています。龍賢渓谷を渡り階段を上り岩山を登ると、岩山に刻まれた仏像に出会うことができます。本尊である釈迦如来立像を中心に右側には弥勒半跏思惟像、左側には提華褐羅菩薩像があります。仏像の光背まで生き生きと保存されていて、特に本尊の光背の蓮の花の模様はとても美しい状態で保存されています。


忠清南道(天安市 )

民謡「興打令(フンタリョン)」で有名な天安サムゴリ(三叉路)を記念し作られた公園です。 天安サムゴリは昔から北はソウル、南は慶尚道の大邱、慶州、西は全羅道論山、光州、木浦へ繋がる道が分かれる三南大路の分岐点として知られています。 ちなみに天安サムゴリ公園(天安三叉路公園)が位置する場所は昔、三叉路があった場所から約500m離れたところにあります。