全羅北道(益山市 )

1997年にオープンした弥勒寺址遺物展示館は百済文化を究明するために設立されました。この展示館では百済最大の寺院であった弥勒寺址(史跡第150号)から出土した遺物を展示・保存しています。所蔵遺物は19200点余りに及びます。弥勒寺址の景観を考慮し、低い位置に建て、調和がとれるようにし、弥勒寺址の石塔のイメージを生かし、一つの見どころを提供しています。展示室は中央ホール・概要室・遺物室・仏教美術室に分かれており、弥勒寺址や東洋最大の弥勒寺址の石塔(国宝第11号)、弥勒寺址幢竿支柱(宝物第236号)などの展示遺物及び資料400点余りが展示されています。また、弥勒寺址の現場学習や歴史文化講座、夏の文化学校など様々な文化イベントを開催しており、文化映画も年中上映しています。


全羅北道(全州市 )

「全州ビビンバ祭り(チョンジュビビンパプチュッチェ)」は、韓国の代表料理である全州ビビンバを中心に味と趣き、興が調和をなす料理文化祭りです。プログラムとしては、ビビンビッグフードをはじめとした「味ビビン」、ビビン文化公演やフードコスプレコンテストなど様々なパフォーマンスを楽しむことができる「興ビビン」、全州の味と共に韓屋村に代表される全州の趣きを感じることができる「粋ビビン」、そして韓屋村文化施設特別プログラムなどが用意されています。ビビンバの名所、全州で繰り広げられる祭りを通して全州市民はもちろん、国内外の観光客はビビンバの真の味と粋を感じることができることでしょう。


全羅北道(全州市 )

ベニキア全州漢城ホテルは、全州市の中心に位置し、便利な交通(バスターミナル5分、全州駅15分)と、全州の文化を楽しめる場所です。全州韓屋村、映画通り、南部市場、マッコリタウンなどの観光名所と隣接しています。韓紙と黄土の壁紙で装飾された40の客室、セミナー室、ビジネスルームが設けられており、全客室で無線インターネットを利用し、業務を迅速にこなすことができるよう対応しています。ロビーと客室の廊下、階段には韓国の工芸作家(陶磁器、金属、繊維、韓紙、木工芸)と、西洋画家、写真作家の作品100点余りが展示されています。


全羅北道(全州市 )

全州韓屋村にある工芸品展示館は、千年もの長きにわたり受け継がれてきた全州工芸に今一度光を当て、更に発展させていくために建設されました。また、ここでは全州工芸品の展示・販売だけでなく、さまざまな体験プログラムも運営しています。


全羅北道()

辺山半島国立公園(ピョンサンバンドグンニプコンウォン)は、韓国国内の国立公園の中で唯一、山と海を一緒に楽しむことができます。海沿いは外辺山、内陸および山岳地域は内辺山と呼ばれています。1988年に国立公園に指定された辺山半島国立公園は、ウィサン峰(508m)、シンソン峰(486m)、サンソン峰(459m)などの奇岩怪石からなる辺山の山峰の間に開岩寺、来蘇寺、月明庵などの古寺があり、直沼瀑布、逢萊九曲、落照台などの勝景地が散在しているだけでなく、周辺には柳川里陶窯址、亀岩里支石墓群、胡伏峙、禹金山城などの歴史的遺跡地があります。さらに、彩石江や赤壁江に辺山海水浴場、格浦海水浴場、故沙浦海水浴場などの海水浴場もあります。また、公園内には様々な動植物園も造成されており、特にこの中でもモチノキ、モクレン、レンギョウの群落は天然記念物にも指定され保護されています。辺山半島国立公園は海水浴場と登山を一緒に楽しめることから、1年を通して多くの人々が訪れます。


全羅北道(扶安郡 )

コムソ塩田(コムソヨムジョン)は、韓国でも数少ない天日塩田です。ここは海と隣接しており、他の塩田とは異なり湾の内側に塩田が広がっています。朝鮮時代には、茁浦湾からコムソ湾までの地域で火塩(海水を沸かして作った塩)を作っていたとされており、コンモ浦から米と一緒に漢陽の鷺梁津に送られていました。また、他の塩田で作られる塩と異なり、ここの塩田で作られる塩は約10倍のミネラルが含まれており、またコムソ塩田一帯を含め彩石江から高敞まで続く沿岸には世界的にも有名な干潟が発達しています。運がよければ塩田での作業の様子を実際に見てみることができ、夏場は主に夕方に作業をすると言われています。


全羅北道(高敞郡 )

禅雲寺(ソヌンサ)は、金堤にある金山寺と合わせて全羅北道の2大寺院に数えられています。長い歴史と優れた自然環境、貴重な仏教文化財が保存されていることから観光客の足が途絶えることはありません。また、仏教文化と休息の時間を楽しむことができるテンプルステイプログラムも運営されています。テンプルステイプログラムでは、僧侶との茶談、鉢盂供養、打鐘体験、108拝および参禅、兜率庵巡礼などのプログラムを通して仏教文化を体験することができます。


全羅北道(群山市 )

群山市玉西面に位置する群山空港(クンサンゴンハン)は、1970年8月、韓国の産業発展の時期に米軍飛行場として開港しました。当初はソウル便が運航されていましたが、1974年3月のオイルショックのときに中断されました。1992年12月、米軍基地の横に現在の群山空港が開港して金浦路線と済州路線が運航し、最高で年間45万7千人が利用しました。近年は乗客が減少し、2002年5月以降、金浦路線は運航が中断されています。1992年に建設された群山空港ターミナルビルは平屋建てで、年間38万人の乗客が利用でき、ターミナルビルの外には300台余りが同時に駐車できる駐車場が確保されています。  


全羅北道(井邑市 )

内蔵山の北側を囲んでいる西来峰(ソレボン)は、 田や畑を耕したり、ならしたりする昔の農機具の一つ「馬鍬(ソレ)」に似ていることからこの名前が付けられました。約1kmに渡り峰の周辺を囲んでいる岩の絶壁が赤く染まった紅葉と調和を成し、内蔵山を代表する峰と言われています。一柱門から出発し、霹靂岩、西来峰、仏出峰、円寂庵、内蔵寺を通り再び一柱門に戻る登山コースを行くと西来峰へ訪れることが出来ます。所要時間は、約3時間です。


全羅北道(全州市 )

高麗時代の末頃に賢儒の位牌を奉安、配享し、地方の人々の教育と教化のために建てられました。当時の位置は現在の慶基殿の近くでしたが、太祖李成桂の晬容を奉安するために慶基殿が竣工され、1410年(太祖10)全州城の西側の黃華臺の下に移転しました。その後、巡察使 張晩と儒林たちが一緒に1603年(宣祖36年)に現在の位置に再び移転させ、現在に至っています。1654年(孝宗5)、1832年(純祖32)、1879年(高宗16)、1904年に補修が行われ、1922年に明倫堂が補修されました。朝鮮時代後期に境内には3つの大成殿、各10の東廡と西廡、神門、外門、萬化楼、5つの明倫堂、各6つの東斎と西斎、3つの啓聖祠、神門、入徳門、4つの司馬斎、6つの養士斎、2つの冊板庫、職員室、祭器庫、守僕室など全99の大規模な建物でした。このため、郷校は全羅道53校の首都郷校とされました。その後萬化楼は1886年(高宗23)に洪水により水没し冊板庫は観察使趙翰国が官庫所有の冊板を全州郷校に移送し冊板庫内を管理しようとしましたが、1920年の洪水と1950年6・25戦争によりほとんどなくなってしまいました。大成堂は、全羅北道有形文化財第7号に指定されており、五聖・10哲・宋朝六賢の位牌が奉安されています。また、東廡と西廡には有若・宓不斎・伏勝・董仲舒・韓癒・李侗や、韓国18賢の位牌が奉安されています。