ソウル(城東区)

長漢坪駅付近に位置しており、鍾路、東大門など観光地へのアクセスに便利です。また、個性に溢れたインテリアが施されていて、単純な宿泊のみならず、特別な日のイベントの場所としても利用されています。ロビーの一角では朝食にパンとコーヒーを無料で提供しています。


慶尚北道(奉化郡 )

慶尚北道奉化郡(ポンファグン)パレミ村にある古宅・所岡古宅(ソガンコテク)。「パレミ」は海だったところという意味で、60年ほど前まででも村の田んぼや水たまりから貝が出てきたそうです。村全体に伝統的な韓屋が軒を連ねるこの村は、1992年に慶尚北道が伝統文化村として指定、以降大切に保護・保存されています。 所岡古宅は築約110年の古宅です。これを証明するかのように古くなった瓦でのみ育つ瓦松(ツメレンゲ)があちらこちらで見受けられます。オーナーの曽祖父である南湖(ナモ)金賚植(キム・レシク)が、次男・所岡(ソガン)金昌祺(キム・チャンギ)の分家の際に建てた家で、長男に引き継がれた南湖旧宅はちょうどその裏手にある建物がそれです。 名望高き富豪であった金賚植は自らの全財産を担保に借金をし、大韓民国臨時政府の軍資金を拠出、その功績で1977年、建国功労表彰を受けました。またオーナーの祖父で金賚植の次男である所岡・金昌祺は奉化地域一帯の有名な儒学者で、陶山書院書院長を歴任した人物です。オーナー夫妻は3年前から古宅に戻り、古宅体験事業を支援する政府の支援を受け、建物のあちらこちらを修理し手直しをしました。 大門間(テムンガン)チェの高柱の大門へ足を踏み入れると、前庭と舎廊(サラン)チェの板の間がまず目に入ります。韓屋は中庭を囲むように建てられた伝統瓦葺の家屋で、舎廊チェの建物脇にある離れから母屋に通じる大門と通りぬけていくと、内側にある中庭や母屋が見えてきます。所岡古宅の建物は桟ひとつに至るまで春陽木と呼ばれるアカマツが使用されており、近頃ではなかなかお目にかかれない貴重な木材を使用した建物です。 およそ25年前、オーナーの父親が数千万ウォンを掛けて補修、その後も現在のオーナーが根気よく管理し続けたおかげで古宅としては大変保存状態がよい韓屋となっています。補修する際にはコンクリートなどは一切使わず、建築当時の建材で修復作業をするよう神経を使ったといいます。 客室は全7室あります。男主人が暮らしていた舎廊チェの建物には4~5人が利用できる大きい舎廊房(サランバン)と小さな舎廊房の客室、そして2~3人が利用できる部屋があります。 夏期には小さい方の舎廊房の部屋と舎廊チェの板の間も貸し切り、他の部屋も合わせて借りるとより広々として利用できます。 このほか、女主人が主に昔住んでいたという母屋には3、4人が利用可能な上房(サンバン=昔、男主人の居間だった部屋)があり、高柱の大門の両脇にある門間(ムンガン)チェの建物には2~5人が利用可能な門間房(ムンガンバン)1と2の2室があります。そのうち、門間房1は黄土で床を作った伝統的なオンドル部屋となっています。 また必要に応じて所岡古宅まるごと貸し切ることも可能で、全体を貸し切る場合、夏期には舎廊チェの板の間や板の間の部屋を含めて22~34人前後が宿泊可能です。 朝鮮時代後期の典型的な両班(ヤンバン)の家屋の形態で、管理が行き届ききれいでこじんまりとしたつくりの所岡古宅。昔ながらの扇風機、螺鈿細工の箪笥など素朴な生活用品が使われていた時代さながらに置かれており、また布団はご宿泊のお客様のためにきれいに準備されています。大きな方の舎廊房の部屋と小さな方の舎廊房の部屋には共用の冷蔵庫があり、またWi-fiも設置されご利用いただけます。 伝統文化村に指定されたパレミ村は古宅が立ち並ぶ、空気がたいへん澄んできれいな村です。そのような整った穏やかな雰囲気の中で村を散策し昔ながらの古風な韓屋をゆっくり見て回れます。また所岡古宅への道すがら、あるいは帰路の途中で、韓国で最も古い木造建造物・無量寿殿(ムリャンスジョン)がある浮石寺(プソクサ)、韓国最初の書院である紹修書院(ソスソウォン)、 吾田薬水(オジョンヤクス)、タクシル村、鷲棲寺(チュクソサ)など周辺の有名観光スポットを回ってみるのもおすすめです。 朝食のサービスはありませんが、情に厚いオーナーが時々茹でたトウモロコシやサツマイモ、果物などを提供してくれることもあります。バーベキュー施設も完備しており、夕食時にはバーベキューも楽しむことができます。


慶尚南道(居昌郡 )

水と岩が松林と合いまりすばらしい景色を誇る捜勝台(ススンデ)。 毎年夏になるとここにある野外舞台で居昌(コチャン)国際演劇祭が開催されます。人々は自然の中で繰り広げられるパフォーマンスにただ魅了されるばかりです。 そしてもうひとつ、この場所を訪れる人々の心を奪う場所、それが韓屋の美しさを誇る黄山村(ファンサンマウル)です。 その村の中でも最も美しい韓屋として評価を受けているのが猿鶴古家(ウォナクコガ・ウォンハクコガ)です。 居昌郡(コチャングン)渭川面(ウィチョンミョン)の捜勝台正門を背にしすこし歩いていくと、樹齢600年を越えるケヤキの大木が人々を出迎えてくれます。そう、ここが黄山村です。黄山村は居昌慎氏(コチャン・シンシ)の集姓村で、住民の八割以上が居昌慎氏の宗親(一族)です。慶尚南道民俗資料に指定された全長1.2キロメートルの石塀に沿って歩いていくと、居昌郡の公共美術プロジェクト事業として誕生した壁画通りにも出くわします。この黄山村は中央を流れる川を境に1区と2区に分かれています。黄山1区村には100年から200年前に建てられた韓屋50軒ほどがありますが、その中でも真ん中に位置する猿鶴古家は500年もの間、この地を守り続けていました。村民たちからは慎氏古家と呼ばれているこの韓屋は楽水(ヨス)・慎権(シン・グォン)先生の10代子孫・慎宗三(シン・ジョンサム)先生が1927年、それまでの家屋を取り壊し再び建築し、その後87年もの間当時の姿のまま保存されている名品古家で、民俗資料第17号にも指定されています。 慶尚南道西部では規模が最も大きく、保存状態もよい猿鶴古家は現在、宗家の一番上の嫁・宗婦(チョンブ)であるパク・チョンジャ女史が 自ら家屋を管理しています。この家屋を一般に初めて開放するようになったのは居昌国際演劇祭の開催が契機でした。毎年開催される居昌国際演劇祭には数千人規模の人々が集いますが、実際にこれだけ大勢の人々を収容できる場所が居昌にはあまりありませんでした。そのため居昌郡はこの韓屋の持ち主であるパク女史に掛け合い、村の伝統を多くの人々に知ってもらい、同時に質の高い韓屋を体験できる機会を提供できる韓屋ステイをやってみてはどうかと提案したのでした。この提案を快諾したパク女史はすぐさま4間ほどの広さだった舎廊チェを改築、より広々した空間を確保し、また同時に最新式の洗面施設を導入するなどきれいで便利な韓屋にリモデリングしました。特に寝具には神経を使い、名品古宅にふさわしいできるだけ快適できれいなところにお泊りいただきたいというパク女史の思いが反映されています。 猿鶴古家は古から現在に至るまで代々、富と権威を持つ名声高き家柄の家でした。パク・チョンジャ女史の義父・慎道晟(シン・ドゾン)先生は国会議員や統一部長官を歴任、夫である慎渭範(シン・ウィボム)先生は学校法人理事長などを務め、両名とも信任と徳を重ねた人物でした。 母屋、舎廊チェ、中門チェ、庫間チェ、高柱の大門、後門などこの韓屋にある全てで7棟の建物にはこのような主人の富と名望がそのまま具現されています。舎廊チェや母屋は雄大な入母屋造りとなっており、特に30坪ほどの広さを誇る舎廊チェの建物は大きな大梁と丸い礎石を用いています。また王宮や寺院建築で見られる高価な装飾もあり、歴史的価値も高いものとなっています。 また、この古家は風水地理学的にも珍しい明堂、つまり大変縁起のよい場所に位置し、今後400年間はその運気が湧き上がり、子孫みなが平和と安寧を享受できる場所だということです。常に祖先に感謝しているというパク女史はこのよい運気が一族ばかりでなく猿鶴古家を訪れる人々にもあまねく及ぼせばこの上ないと語っています。 自然の中で演劇を鑑賞し、すばらしい運気が湧き上がる名品古宅に立ち寄り、韓屋の閑静な趣を感じてみるのはいかがでしょうか。


世宗市()

「木の香りが漂う家」という名前のついた木香斎(モキャンジェ/モクヒャンジェ)は韓屋体験ペンションです。 周囲を団地に囲まれた大通り沿いに憩いの場のように佇む木香斎。低めの土塀に囲まれた木香斎の庭に入ると、高級感あふれる2階建ての韓屋の建物が出迎えてくれます。 木香斎は太い紅松・ゴヨウマツで大梁や柱を支え、王宮建築の様式を踏襲して建てられた韓屋です。雄壮さがありながらもこじんまりとした雰囲気を感じられる建物で、屋根を支える垂木の木目がむき出しで木のよさが感じられる天井や韓紙を貼った引き戸は伝統韓屋の雰囲気を一層高めます。 客室はお一人様あるいはお二人様でご利用になれる韓屋、ロフト・ベッド付きの一般室、リビング・ロフト、そして広々とした韓室があるデラックスルームがあり、ひとり旅のお客様からご家族連れのお客様まで快適にお泊りいただけます。 客室及びリビングにはオーナーが使っていた飾り棚や大木の根っこを使った重々しい原木のテーブルがあり、韓屋の趣をさらに引き立てています。 漫画や絵本があるロフトは子どもたちに特に人気のスペース。散策路に飛び石が配置されている前庭では、春になるとサンシュユ、モクレン、ユスラウメが優雅に咲き誇ります。 木香斎には宿泊施設のほか、伝統茶房もあります。オーナーのご主人がお茶を嗜む中国の方で、この茶房を開くことになったとか。大部分の茶葉は中国から直接取り寄せてきたもので、プーアル茶、紅茶など数十種類の伝統茶を茶菓子ととともに楽しむことができます。   


慶尚南道(山清郡 )

自然に親しみ幸せな笑顔をもたらす伝統韓屋宿泊施設・山清聿修園(ユルスウォン)。2013年10月、慶尚南道山清(サンチョン)にオープンしました。 この施設の名称の聿修(ユスル)は東洋で最も古い詩篇である詩経の文王に出てくる「祖先の徳を受け継ぎ自ら自身を磨き上げる」という意味の言葉です。山清聿修園を訪れ、韓屋に泊まり、韓国の伝統文化を体験し、自らを悟り、徳を積み重ねこの先、生きていくことを願うという ことが聿修という言葉に盛り込まれています。 慶尚南道山清の韓屋通りにある山清聿修園は、韓国で有名な教育関連企業・JEI才能教育(ジェヌンキョユク)が設立した韓屋体験施設です。順天朴氏古軒(コホン)古宅をおよそ4年間掛けて伝統韓屋宿泊施設に改築しました。山清聿修園は韓屋文化体験の場として、また教育の場として、そしてゆっくり休める憩いの場としての目的を標榜していますが、健全かつ様々な教育文化環境を形成するという才能教育の哲学こそが山清聿修園の設立の精神となっています。深い山中ではない街の道路沿いにありアクセスも容易な山清聿修園は標高1,108mにある黄梅山系から続く盆地にあり、丹渓川(タンゲチョン)や新等川(シンドゥンチョン)が落ち合うトゥムルモリ地区にあります。ここは山や水の精気が集まるところで、伝統を受け継ぐ名家の古い家が多く、文化財に登録された古の塀の趣を大切にする韓屋村が有名です。その中でも山清聿修園は3000平方メートルを超える敷地に空と地の精気が入ってくるように風水地理の考えに従って韓屋の配置を考慮しています。 山清聿修園の正門である永修門(ヨンスムン)をくぐると、母屋が正面に見え、右手には外側に配置された舎廊チェの韓屋が、左手にはシャワー室などがある沐浴チェの建物があります。奥の方にある別の舎廊チェの建物の右手には食堂棟があり、食堂棟を出ると自家菜園や池に佇む東屋が見えます。この韓屋の配置には特別な意味が込められています。風水地理に基づき、母屋を中心に食堂棟は青龍、沐浴チェは白虎、奥にある舎廊チェの建物は案山、外側の舎廊チェの建物と永修門は祖山をなし、すべてで5つの建物が母屋を囲みそれぞれ助け合うような形で建物を作り、風水の気を最もよい形で受けるよう配置されています。 それぞれの韓屋に付けられた名称にも深い意味があります。奥の舎廊チェの建物は「農業を営む人々の庵」を意味する農菴(ノンアム)という名前がついています。この入母屋造りと二軒屋根が山清聿修園で最も華麗な造りとなっています。 外側の舎廊チェの建物は「古の舎廊チェ」という意味の古軒(コホン)という名称がついています。母屋である下渓斎(ハゲジェ)は山清聿修園の最も奥まったところにあります。水が下へと流れていくという意味で「謙遜さ」を意味します。下渓斎には部屋よりも一段高いところに高殿の板の間があり、野外の景色を楽しむことができます。心と体をきれいにするという意味の持つ沐浴チェと雪澡塘(ソルジョダン)は韓屋2棟がつながった構造です。黄土火窯チムジルバンもあり、憩いの空間としてまたとないすばらしい場所です。 山清聿修園は韓国南東部・嶺南(ヨンナム)地方の韓屋様式を基本としていますが、華麗なソウルの様式も加味した造りとなっています。また伝統に忠実でありながらも実用性を兼ね備えているのが山清聿修園の特徴です。韓紙で出来た障子窓があり、そこから日差しがよく差し込む部屋は簡素ながらも清潔感あふれ端正な面持ちです。窓を開けると美しく並ぶ甕や木々、花が咲く野原の様子、瓦を何層にも重ね作った少し低め塀が目に入り、韓屋で泊まる趣を十二分に楽しむことができます。部屋の内部には浴槽付きの浴室、最新式のキッチンなどもあり、宿泊客の方々の利便性に配慮しています。 山清聿修園の周辺には数多くの観光スポットがあります。金剛松が生い茂る大源寺(テウォンサ)渓谷では森林浴を楽しめ、石と黄土で作った塀で村を囲い「古の塀の村」という意味をもつ南沙イェダムマウル(イェダム村)もおすすめです。浄趣庵(チョンチアム)は山清九景のひとつにも数えられる統一新羅時代の名僧・義湘(ウィサン)大師が開いた寺で、伝統寺刹83号に指定されている寺です。ここでは山神を人格化し描写した仏画である山神幀画(サンシンタンファ)を観覧することもできます。


慶尚北道(青松郡 )

松韶(ソンソ)古宅の沈琥澤(シム・ホテク)が分家する弟のために建てた韓屋がこの昌室(チャンシル)古宅です。 およそ100年前の1917年3月に建てられた昌室古宅は母屋、主人の居間として使う舎廊(サラン)チェ、そしてその他建物が中庭を囲むように建てられた27間の大きさを誇る韓屋です。慶尚南道昌寧(チャンニョン)から嫁入りした娘から由来しこの韓屋に「昌室」という名前がつき、今日に至り「昌室古宅」と呼ぶようになりました。 この韓屋は母屋と主人の居間として使う舎廊チェが並行になった配置になっており、その間に書庫と納戸を置きつなげ中庭を囲むような形の韓屋になっています。 古宅に入るとまず最初に見えるのが舎廊チェで、戸をすべて開けるとすっきり中が見通せる室内が広い板の間があり、その左右に主人の居間となる舎廊房(サランバン)や書庫があります。舎廊房は2間あり、比較的広々としています。舎廊チェの建物と屋根続きになりますが、造りがやや低めの切妻屋根の建物・行廊チェはここに住んでいた使用人・作男が住んでいた建物です。この他、藁葺の韓屋は黄土で造られた部屋でここも貸出を行っており宿泊可能です。


慶尚北道(奉化郡 )

晩悔(マンフェ)古宅がある奉化(ポンファ)の「パレミ村」は、太古の昔、海底にあったところという意味で別名「海底洞(ヘジョドン)」とも呼ばれています。古(いにしえ)から文化や知性が花開く村でした。晩悔古宅の楼閣・名月楼(ミョンウォルル)からは村に軒を連ねる古宅の風情ある屋根が一望できる場所です。小白山(ソベクサン)の山麓の涼しい風が吹き降ろす名月楼は、その昔、学問に磨きをかけ詩吟をしていた場所です。名月楼だけでもおよそ1000編にも及ぶ詩が作られたと言われています。 また、晩悔古宅は独立運動の根拠地となった場所でもあります。名月楼は3・1独立運動(1919年)直後、儒林(儒学者)らが独立運動家・金昌淑(キム・チャンスク)を中心として集結し、パリ万国平和会議に提出した独立請願書を作成した由緒ある場所です。近年、独立運動家の間でやり取りされた書簡数百通が古宅から発見されその意義が見直されています。 晩悔古宅は一部建物がつながっていないものの、外側から見ると中庭を囲むように建てられた「口」の字型の韓屋の構造となっています。「コ」の字型になった母屋と横に長い「一」の字型の舎廊(サラン)チェの建物が合わさる形で全体として「口」の字型の韓屋の構造となっており、舎廊チェの建物の左脇につながる中門間チェの建物を通って前庭から母屋へ入ることが出来ます。 母屋と舎廊チェが建てられた時期はそれぞれ異なり、築およそ320年の母屋は朝鮮後期の文臣・金建銖(キム・ゴンス=1790~1854年)の6代前の祖先が購入し暮らし始めた韓屋で、一方、舎廊チェの建物はおよそ200年前、金建銖が古宅を引き継ぎ増築した韓屋です。古宅は全体的に中が赤く丈夫な春陽木(チュニャンモク/金剛松=アカマツ)を使い建てられ、割れもなく大変よい状態で保存されています。 瓦屋で葺いた入母屋屋根の舎廊チェが南向きにある中庭に向かって建っています。舎廊チェの建物は花壇が作られた竹垣の上から威風堂々とした姿を見下ろすような形で建っており、建物正面の幅が4間あり、西側から順に舎廊房(サランバン)、板の間、向い側にあるコンノン房の部屋があります。建物正面には広々とした縁側があり、この縁側を通れば舎廊チェの建物での移動も大変便利で、また縁側に座って談笑するにもよい場所です。宿泊ご希望のお客様は、舎廊チェや中門間チェの建物にある舎廊房の部屋、ソナン室、パレミ室の各室で宿泊可能で、舎廊房とソナン室にはそれぞれ客室内に専用トイレを完備しています。 母屋は舎廊チェが前に建っていることから外からの風がさえぎられ比較的暖かくなっています。中央の板の間を中心に左手には男主人の居間として利用していた上房(サンバン)、右手には納戸として利用していた庫房(コバン)と奥の間があります。 各部屋とも美術を専攻したオーナーの娘さんが古宅の風景を描いたり、布を染色したり、ミシンで作ったアート作品が飾られています。他にも赤茶けた歴史を刻む韓国伝統の古家具も置いてあり、韓屋の趣を一層醸し出しています。 奥の間には天井の垂木がむき出しになったロフト風の部屋もあり、6月から8月までの夏期には最大8人まで宿泊可能です。奥の間には客室内に専用のトイレがあり、上房と庫房は外にあるトイレをご利用いただけます。 古宅の両脇には7000平方メートルほどの広さの畑が広がっています。シソの葉、ネニラ、ケール、ミツバ、シラヤマギク、野生菊、キキョウ、トマト、サツマイモ、落花生、カキ、トウモロコシなど野生花や葉物野菜をはじめおよそ100種類の農作物を環境にやさしい農法で栽培、自ら採取できるよう宿泊客の皆さんに畑を開放しています。 朝食はありませんが、畑で作物を取ってきて共同キッチンで調理して食べることができます。また敷地外側にある庭にはバーベキュー施設があります。マツタケが有名な奉化にいらしたなら、オーナーイチオシの松茸クッパのお店に行ってみるのもおすすめです。 また様々な韓国の伝統体験プログラムもご用意しています。投矢、陞卿図(スンギョンド=日本の双六に似た遊び)、板跳びなど民俗遊びが楽しめ、お申し出いただければ遊び方の指導も行います。このほか、様々なデザインの木版に墨を塗り刷って版画を完成させる「木版体験」、朝鮮時代の歌辞文学・内房歌辞(ネバンカサ)を嗜むオーナー夫人による高麗時代末から発展した韓国の定型詩・時調(シジョ)を詠み体験する「時調ノリ」、韓国伝統の弦楽器・コムンゴや牙筝(アジェン)、そしてチン(韓国伝統の鉦)などの打楽器で演奏するサムルノリの曲に乗せて演奏する「伝統楽器体験」なども予約なしで無料で体験することができます。


全羅南道(潭陽郡 )

古宅ハノゲソはアジア初のスローシティに指定された潭陽郡昌平面のサムジネ村にある伝統家屋です。庭を中心として古宅やピョルチェ(離れ家)、サランチェ(別棟)、アンチェ(母屋)が配置されており、昔の田舎の情趣が感じられる15室の客室が用意されています。周辺観光地には瀟灑園や松江亭、竹緑苑、潭陽メタセコイアキルなどがあります。


慶尚北道(安東市 )

代々続く家門の歴史が息づく慶尚北道安東(アンドン)は、名前だけ聞いても閑静な韓屋が思い浮かぶ由緒ある土地です。 天登山(チョンドゥンサン)の麓にある安東古宅・履霜楼(イサンル)は、高麗時代の王・太祖の時代の功臣で安東金氏の始祖・金宣平(キム・ソンピョン)の祭壇のある壇所があり一門の祭祀を行うための場所で、250年にもおよぶ歴史と威厳をいまだなお保ち続けています。 敷地入口の大門を開き、奥へと進むと、履霜楼が目の前に現れます。履霜楼の名称には「霜の上に建つ威風堂々とした楼」という意味があります。履霜楼は楼閣形式の2階建ての木造楼閣で、名前の通り厳かな威厳を誇っています。空に向かい翼を広げたかのような瓦屋根の曲線美は優雅さを見せ、側面から見た八の字型の屋根の姿は華麗さを誇っています。 安東古宅履霜楼は、宿泊棟である台庄斎舎(テジャンチェサ)と履霜楼が中庭を囲むような形で建ち配置された建物群です。 履霜楼の1階中央には外へと通じる大きな門があります。この門を開けると、日差しがかすかに差し込み、門の外には松の葉や池、満開の野生の花々があり、美しい風景が広がっています。 安東古宅は1750年に建築されたもので、歳月の痕跡を今に伝える木の柱や丁寧に築き上げた石塀、そして欄干の木造彫刻が古宅に韓屋ならではの風情を与えています。 冬にはオンドルの焚口に火をくべ、夏には蚊帳やテントを張り、履霜楼で一晩を過ごすことができ、都会暮らしの人々に新鮮な体験の場を提供しています。 数回に渡る重創を経て、現在の韓屋の姿を守ってきた安東古宅履霜楼ですが、2013年には大々的な補修工事を行い、家屋の内部至る所を改装しました。そのおかげで客室内の壁紙や床はきれいにリモデリングされました。 履霜楼は道路に面した場所にありますが、鬱蒼とした森の中にでにあるかのように建物の周辺には古くからの樹木が数多くあります。 履霜楼へ向かう道には樹齢数百年の松の木へ伸びる散策路があり、松林には楽しい思い出作りにもなるブランコも設置してあります。建物の前には睡蓮や白蓮が咲く池があり、周りにはヤブランやタマノカンザシ、コウライシオン、ヨメナなどの野生の花々が季節ごとに美しい花を咲かせます。 安東古宅・履霜楼は安東金氏の門中(一門)で管理しており、門中会議を行っていたところだけあって規模も大きく、部屋数も多く、一度に数十人収容可能です。 楼閣は各種音楽会やセミナーの場所としても使われます。また履霜楼は児童・生徒・学生を対象に韓国の伝統を学ぶことができるプログラムも実施されており、「茶道体験」「仮面踊り学習」「天然染色」「韓紙工芸」「孝(行)教育」などさまざまあります。 朝食としては各種ナムルを使った両班式御膳を体験でき、およそ250年の由緒ある古宅で地元の自然で採取した植物をつかった料理を味わえば、身も心も洗われる気分になれます。 このように美しい自然と様々な体験ができる履霜楼は、子どもと一緒に韓国の伝統文化を体験したいご家族や親孝行旅行に出かけようと思われている方、韓屋の美しさを体験したみたい外国人などあらゆる方々におすすめです。 特に履霜楼は安東河回村(ハフェマウル)と陶山書院(トサンソウォン)のちょうど間にあり、観光旅行にも絶好のロケーションです。このほか、最も古い木造建築がある鳳停寺(ポンジョンサ)が3分ほどの距離にあり、近くには2時間で回ることができるトレッキングコース・トゥルレキルもあり様々な楽しみ方が可能です。