ソウル(鍾路区)

煥基美術館(ファンギ・ミスルグァン)は西洋画家・金煥基(キム・ファンギ1913~1974)の作品を保存・展示している美術館。韓国モダニズムの代表的な画家である金煥基は1930年代から抽象美術に挑戦、1950年代には韓国の自然をモチーフとして韓国の情緒を表現した画家として知られています。対比したものが調和を成すという優れた作品性で有名であり、常設展示場ではこのような特徴をもった彼の作品に出会うことができます。別館2階にある企画展示場では1年に2~3度主に若い芸術家たちを対象にした企画展が開かれています。建物1階のカフェとアートショップでは彼の作品をモチーフにしたスカーフやネクタイ、グラスセットなどが購入できます。


釜山広域市(南区)

この在韓UN記念公園(チェハンユエンギニョムゴンウォン)は、1950-1953年の韓国戦争で戦死した16ケ国国連軍の英霊が眠る墓地公園。 約135,000㎡の敷地には追慕館、記念館、トルコ記念碑、ギリシャ記念碑、オーストラリア記念碑などがあり、国連軍慰霊塔や池などもあります。追慕館と記念館は1964年と1968年国連によって建てられ、正門は釜山市民が1966年に献納したもの。この公園では、4月には参戦した勇士参拝式、5月の最終月曜には米国韓国殉国烈士の日(American Memorial Day)記念式典、6月25日には6.25記念式典、10月24日には国連の日記念式典など、 1年を通していろいろな行事が行われます。


江原道(江陵市)

江門海岸(カンムン・ヘビョン)からボートで5~10分行ったところにはスキンスキューバできるポイントがあり、多くの人々が訪れています。また、周辺には獲れたて新鮮な刺身を味わえる刺身屋がある他、宿泊施設などが整備されています。


大邱広域市(中区)

鳳山文化通りは大邱を代表する文化芸術の通りです。鳳山洞の大邱学院から鳳山ユッコリに渡って広がるこの通りには、大小20余りのギャラリーが並んでいます。ギャラリーが何店舗か集まっている路地が文化芸術の通りとして変貌し始めたのは1991年のことです。日に日に増える大邱市民の文化的欲求を受け入れる空間としてこのギャラリー通りが選定されました。その後、この通りは道路が整備されてアンティーク様式の街路灯と花壇が続いています。鳳山文化会館、青少年文化の家が建てられ、訪れる人も美術の専門家から一般市民へと、その幅を次第に広げていきました。鳳山文化通りは1年中、作品展が開催されていて、鳳山美術祭が開かれる10月になると通りは祭りの雰囲気に包まれます。 


慶尚北道(安東市 )

安東河回村はとても有名な民族村です。洛東江が村を取り囲んでいてる河回村は豊山柳氏の発祥の地で、現在も村の住民の70%は柳氏です。豊山柳氏が河回村に定着したのは約600年前で、柳氏が定着する前は許氏と安氏がまずこの土地に入り、住んでいたといいます。言い伝えによると、河回仮面の制作作家が高麗時代中期の許道令であるという節が伝わっていて、河回村では河を渡った広徳洞にある許政丞の墓を、毎年柳氏の一族で草取りをしているといいます。河回村ではこれを例えて「許氏が基盤、安氏が門前、柳氏が背板」という言伝えがあり、先住民たちを追い出した安氏の娘が柳氏の家に嫁に行くことで、安氏の家の機運が柳氏に続き、一族の反映に繋がったといいます。河回村は1999年にイギリスのエリザベス女王が、2005年にはアメリカのブッシュ大統領が訪問したことで国際的にも注目されました。西厓・柳成龍の文禄・慶長の役の回顧録である『懲毖録』と河回仮面が国宝に指定されており、宝物が4点、重要民俗資料10点、史跡1ヶ所などがあり、1984年には村全体が重要民俗資料第122号に指定されました。河回タルチュム(仮面劇)として有名な別神グッ仮面劇は重要無形文化財第69号で、村の守護神を楽しませるための踊りです。国内の仮面劇の中で最も古く、1928年の日帝強占期に中断しましたが、その後再開しました。国宝121号である河回仮面は現在では9個のみ存在し、そのうち3個は紛失しました。河回村の旧家の中では養眞堂という住居は豊山柳氏の大宗宅である宝物第306号です。高麗時代と朝鮮時代の両方の建築様式が共存している住宅です。河回村のもうひとつの宝物である忠孝堂は宝物414号で柳成龍の門下生たちが柳元之と共に過ごし、曾孫の柳宜河によって改修された朝鮮時代の士大夫様式の建築です。忠孝堂の外にはイギリスのエリザベス女王の訪問を記念した記念樹があります。そのほかにも河回村には豊山柳氏の宗家である耳村古宅、村の北側の99間の家と呼ばれる北村宅、またひとつの99間の家である南村宅、屏山書院、花川書院、河を渡って柳成龍の玉淵精舎、李滉の謙唵精舎など、見所がたくさんあります。河回村は映画やドラマなどの撮影地としても有名です。ペ・ヨンジュン主演の「スキャンダル」、「爆裂野球団」、「韓半島」などの韓国映画史を彩った映画が、ここ河回村で撮影されました。セットが必要ないくらい、昔の伝統的な姿がそのまま残っているためです。伝統を保存しようとする村の住民たちの努力の賜物といえます。2010年7月31日安東河回村と慶州良洞村が韓国の歴史村としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。2つの村の登録により、韓国国内の世界遺産は10ヵ所となりました。*イギリスのエリザベス女王の訪問でより有名になった安東河回村*河回村は豊山柳氏が代々生活してきた村で、韓国の伝統家屋の美が息づいている村です。朝鮮時代の大儒学者である柳雲龍と柳成龍の出生の地でもある河回村は、1999年4月21日に訪韓3日目のイギリスのエリザベス女王が韓国の伝統のふるさととして訪ねたことでより有名になりました。ここ「河回」という地名は洛東江の水が東側に流れてS字型に流れ込んでいることに由来しています。東には太白山の支脈である火山があり、その裾野が村まで続いて低い稜線を作っています。家は稜線を中心に低いところに向かって配置されているので、東西南北それぞれ高さが一定ではないことが特徴です。村の中心部には柳氏の家である大きな瓦屋があり、原型がよく保存されている草ぶきの家が周囲を取り囲んでいます。村の前方には悠々と流れる洛東江、雄大に切り出している芙蓉台、際限なく広がっている砂浜、鬱蒼とした松林が絶景をなしています。一方、芙蓉台の前には水路には渡し舟があり、渡ることができます。.*河回村の多様な見所*河回村は見所が多い場所としても有名です。新羅時代に創建された鳳停寺、高山書院、錦来亭、鶏鳴山、自然休養林など様々な見所があります。特に2010年7月31日に安東河回村と慶州良洞村が「韓国の歴史村」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。2つの村の登録により、韓国の世界遺産は石窟庵・仏国寺、海印寺、宗廟(以上1995年)、昌徳宮、水原華城(以上1997年)、慶州歴史遺跡地区、 高敞・和順・江華支石墓遺跡(以上2000年)、そして済州火山島と溶岩洞窟(2007年)、朝鮮王陵(2009年)に続き、10番目となりました。河回村の代表的な食べ物は安東焼酎、チェサパプ(祭祀用ごはん)、安東サバがあります。毎年秋には「安東国際仮面劇フェスティバル」が開催されます。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

鐘路区にある付岩洞(プアムドン)は、洗練された三清洞の雰囲気と、昔懐かしい姿がそのまま残っている、くねくねとした路地が続く街です。付岩洞は、美術館、個性的なカフェやレストランが、1960~70年代からある精米所や床屋と共に並んでいます。もともとは、画家や文人、教授など多様なジャンルの芸術家たちがゆっくりのんびりと暮らしていた街でした。最近では、付岩洞事務所の前一帯が「コーヒープリンス1号店、チェ・ハンソンの家」として有名になって以降、通りのあちこちに個性的なカフェやショップが立ち並んでいます。三清洞、新沙洞カロスキルと共に感覚的な空間として注目されているエリアです。散策コースとしてもおすすめですが、観光地の雰囲気もかもし出している多様な顔を持つ街です。


江原道(江陵市) , 江陵

烏竹軒市立博物館は烏竹軒と江陵市立博物館が一緒になって出来た博物館。烏竹軒は朝鮮時代(1392-1910)初期の建築物で、建築史的な面においてそお重要性が認められ宝物第165号に指定されています。烏竹軒の夢龍室という部屋で韓国の偉人である栗谷 李珥(1536-1584)が生まれ、同様に韓国の偉人である母親の申師任堂が竜の夢を見て栗谷 李珥を産んだと言われています。これを記念して毎年、烏竹軒では栗谷祭典が行われています。烏竹軒の中にある文成祠では、栗谷 李珥の肖像画を、栗谷記念館では、芸術家として有名であった栗谷の家族の芸術作品などを鑑賞することが出来ます。また、市立博物館は、嶺東地方の民俗資料と郷土遺物を収集・保管・研究・展示しており、伝統文化を継承発展させ、社会教育および市民の情緒形成に寄与する目的で設立されました。展示館は、嶺東地方で使用されていた生活道具や衣食住に関する品々が展示されている郷土民俗館、江陵地域で出土した先史遺物や仏教遺物、陶磁器、書物、書画などが展示されている歴史文化館、そして石造物や嶺東地方の墓祭が復元された野外展示場から構成されています。


全羅北道(井邑市 )

「羽化亭(ウファジョン)」とは穏やかな湖と紅葉が調和して絶景をなす「あずまや」のことで、内蔵山チケット売り場の入り口(観光案内所一帯)に行く途中にあります。「あずまや」で羽が空に舞い上がって行ったという伝説があることから「羽化亭」と名づけられました。こちらは湖にある紅葉が美しく、多くの写真作家たちが訪れる所です。


光州広域市(南区)

崔昇孝家屋は、楊林山の東南側に位置する伝統家屋です。建物は東向きに建てられており、正面8棟、側面4棟というとても大きな規模の家屋です。 この家屋はもともと、独立運動家の崔相鉉の家でした。当時、屋根裏部屋に独立運動家たちをかくまっていたと言われています。また、この家屋は1920年代に建てられたもので、大韓帝国末期の家屋を理解する上で意義のある家屋です。


忠清南道(牙山市 )

温陽民俗博物館(オニャン・ミンソクパンムルグァン)は韓国民の伝統文化と生活様式を見ることのできる韓国最大の民俗博物館。1978年開館の歴史と伝統を誇り、民俗資料約2万点が展示されています。博物館1階に入ると子どもが産まれた時に張るしめ縄、産婦が食べるワカメスープ、産着など韓国の人々が生まれてから死ぬまでの通過儀礼の様子を昔の様子そのままに展示した第1展示室と、鎌や熊手、田畑を耕す牛の姿など、農業に関連した展示物を見ることができる第2展示室があります。2階の第3展示室では韓国伝統の遊び文化や工芸資料についての展示室で、ネズミ払いの火や闘鶏などについての詳しい説明を聞くことができ、子どもたちが楽しんでいた凧上げやチェギ(紙・布で包んだ銅銭)蹴りなども生き生きと再現されています。