江原道(春川市) , 春川

スカイウォークは高台や水面の上に遊歩道を作り、その床を透明ガラスにして、空中を歩いているかのようなスリルさを感じられる施設。 江原道(カンウォンド)春川(チュンチョン)にある衣岩湖(ウィアムホ)スカイウォークは、全長190mを誇る韓国でも最大級の規模のスカイウォークです。 湖の真ん中にある魚のオブジェの間に作られた衣岩湖スカイウォークは、足元に湖面が透けて見えるスリル感を味えるのと同時に、美しい衣岩湖の風景も眺められ、春川エリアの新たな観光地として注目を集めています。 スカイウォークの床は厚さ1cmのトリプル強化ガラスでできており、3層となっているガラスの間には特殊フィルムが挟まれています。ガラス板1枚が割れても他の2枚は割れないようになっており、訪れる方々が安心して周辺の風景を眺められるよう、1平方メートル当たり1万3000トンの荷重に耐えられるよう設計されており、安全には万全を期しています。 躯体部分を除きすべて透明ガラスで作られた衣岩湖スカイウォークを歩けば、本当に北漢江の上を歩いているかのようなスリル溢れる体験ができ、他では経験できない貴重な思い出となることでしょう。


ソウル(麻浦区)

弘大周辺の街は「ストリート美術」で有名です。美術大学として名高い弘益大学の学生らが、大学付近の塀や道に自由に絵画を描きはじめ、その後、数多くの画家がこれに賛同するようになりました。弘大「ストリート美術展」は、1993年以降、毎年弘大美術学生が中心になって開催する代表的な文化芸術イベントです。新しいストリート美術とインスタレーション、参加美術、多彩なパフォーマンスが同時に催されます。ストリート美術展は韓国の若い画家の活力と実験性、チャレンジ精神に接することのできる特別な美術イベントかつ総合芸術祭です。


済州道(西帰浦市)

南元クンオン海岸は、大きい岩が海をつかんで飲み込むように口を大きく開いている丘という意味で付けられた名称です。海に向かって高さ30メートル、長さ200メートルの奇岩絶壁が長い歳月絶え間なく押し寄せる波で出来た2つの自然洞窟を見ることができ、その絶壁の上は平地でやわらかい芝が敷かれています。海岸絶壁沿いに2キロの散歩道、展望台、簡易休憩室、基礎体力鍛練施設、トイレなども整備されてあり、海岩釣り場や静かな休息所、また恋人たちのデートコースとしても人気があります。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

敦義門博物館村(マウル)は、漢陽(現在のソウル)を取り囲むように築城された城郭・漢陽都城(ハニャントソン)の西側にあった城門・敦義門(トニムン/トンイムン)城内のすぐそばにある町に作られた、町全体が博物館のようになっているエリアです。 敦義門博物館村は、その歴史的価値や近代から現代にかけてのソウルの暮らしぶりや痕跡を余すところなく今に残すエリアで、ソウル市主導の都市再生により、町全体を新たな都会の中の歴史・文化スペースとして生まれ変わらせました。  敦義門博物館村がある場所は、隣接する鍾路区(チョンノグ)橋南洞(キョナムドン)一帯とともに2003年「敦義門ニュータウン」再開発地域に指定され、再開発地域内にあるすべての建物を取り壊し、博物館村のあるエリアには近隣公園を整備する計画でした。 しかし、ソウル市は漢陽都城の西側の城門・敦義門のすぐそばの町、ここセムンアンの持つ歴史的価値を多くの人に知ってもらい、人々の暮らしぶりや痕跡がいまだなお残るこの小さな町そのものを博物館として後世に残し、ソウル市民の歴史・文化の財産として新たに造成することに決しました。 町に残る建物は最大限生かした上でリモデリングをし、一部の住宅については取り壊し、その跡地には広々とした広場を設けました。近代から現代にかけて造られた建造物や韓屋、100年の歴史を誇る路地など情にあふれる町の姿は同じ場所にそのまま残し、多くの人々が楽しみ体験できる新しい文化の場として再生しました。 現在、敦義門博物館村は「近現代100年、記憶の保管所」というコンセプトで装いも新たに数多くの人々を温かく迎えています。 40軒ほどの既存の建物はそのままに、元々の造成の趣旨である「生きている博物館」というアイデンティティを生かすべく、一年を通じて、展示、体験、公演、マーケットなど「参加型」スペースとして数多くのコンテンツを実施、大々的な再整備を行ったのがここ敦義門博物館村の大きな特徴です。


忠清南道(錦山郡 )

大屯山は奇岩怪峰が多く、その岩山の峰は大きくはありませんが秀麗できれいで、森林も青々と茂っていて渓谷も美しいです。秋になると紅葉と奇岩怪峰が調和してとても美しい景色を生み出します。また、壬辰倭乱の戦跡地でもあり、天下の大地にある太古寺の前の岩壁に彫られた「石門」という文は尤菴宋時烈(朝鮮時代の政治家、儒学者)が書いた文字として知られており、様々な伝説があります。景観がとても美しい大屯山は錦山、論山、完州の三軍が収めていた地域ごとの特色があります。


全羅南道(木浦市 )

木浦は海洋観光資源と文化芸術資源が調和した観光都市です。木浦中心部に聳える儒達山(ユダルサン)は木浦のランドーマークで、儒達山の各所に展望のよい亭子(あずまや)があります。ゆっくり歩きながら森林浴ができる儒達山の散策路は、木浦市民だけでなく、観光客にも人気があります。他にも有名観光スポットとして三鶴島やカッパウィがあります。また、木浦駅広場から出発するシティツアーバスを利用すると、木浦の近代文化遺産を始め、主要観光スポットを手軽にめぐることができます。


江原道(原州市)

延世(ヨンセ)大学校原州(ウォンジュ)キャンパスキル(道)は原州クビキル(曲がり道= 原州にある散策路の名称)のうちのひとつで、総延長およそ5km(非舗装区間3.71km)、約1時間ほどで回ることができるウォーキングコースです。 延世大原州キャンパスは韓国で一番美しいキャンパスとして有名で、ソル・ギョング、ソン・ユナ主演の映画『愛を逃す』(2006年)のロケ地としても知られています。 延世大原州キャンパスキルの散策路は延世スポーツセンターをはじめ、延世大寄宿舎、梅芝(メジ・延世大構内)林道、学軍団や露天劇場などを通って再び延世スポーツセンターに戻ってくるコースです。 春にはポップコーンのように白く弾けるように桜が満開となり素晴らしい景色となり、また秋には紅葉が色づき幻想的な風景ともなります。 芝生階段がある露天劇場は延世大学生のほか一般にも開放されており、キャンパスキルを散策して一息ついて憩いのひとときを過ごすことができる場所です。


京畿道(楊平郡)

幻想的なドライブコースで有名なノンダチ峠道(ソウル近郊で最も高い峠道)の頂上まで行くと、仲美山自然休養林の入口に出ます。鬱蒼とした森や、南漢江が一望できる場所です。朝は丸木の家の周りに、霧が雲のように立ち込め幻想的な雰囲気です。 海抜834メートルの仲美山は、日の出を見る場所としても有名で、毎年多くの山岳家が訪れます。山には針葉樹林がぎっしりと立ち並び、春から秋までは空も見渡せないほどです。仲美山自然休養林はソウルの近くにありながら、白雲山、有明山、龍門山などの高い山に囲まれ、静かな山里に来ているかのような気持ちにさせてくれます。 休養林の中には4人部屋、7人部屋、16人部屋のさまざまな大きさの丸太の家や、オートキャンピング場が自然と調和しながら設置されています。休養林の中心部には森の散歩道が整備されており、山林体験や学習にも利用できます。 休養林の位置する楊平郡は人と自然が調和するところです。環境に優しい都市として、マンションではなく田園住宅やペンション団地が建てられ、周りには仲美山天文台、野花樹木園、李恒老の生家、龍門寺などの観光地もあります。


忠清南道(錦山郡 )

この場所は、壬辰倭乱(文禄の役)の際に、日本軍との戦いで戦士した趙憲先生と霊圭大師率いた義兵700人のお墓がある場所です。壬辰倭乱(文禄の役)が起きてすぐ、趙憲先生は義兵を起こし、宣祖25年8月1日、霊圭大師と共に清州城を修復し、18日には湖南の巡察士であった権慄将軍率いる官軍と共に錦山の敵に攻撃を仕掛ける約束をしました。しかし、権慄将軍は、敵の情勢から、作戦を変更し、出兵の日を遅らすという手紙を書きましたが、これが趙憲らに届きませんでした。作戦が変わったことを知らずに出兵した義兵の部隊は、血戦の末ついに全員戦士しました。趙憲先生の弟子朴廷亮と全承業がその4日後、700人の遺骸を1つのお墓に埋葬し、七百義塚と名づけました。 その後、宣祖36年(1603年)に[重峯趙憲先生一軍殉義碑]が建てられ、仁祖25年(1647年)には祠が建てられ、七百義士の位牌が祀られました。 *文化財庁主管で毎年9月23日午後3時から慰霊祭が行われます。(七百義塚管理事務所主催) *主要所蔵文化財 1)宝物第1007号(6種7点):朝天日記、祭文2点、宣祖大王教書、 重峯先生教旨、箭筒(矢筒)、(趙憲義兵長除授教書)趙憲文廟配享教旨 2)その他の遺物(8点):重峯全集、抗義新編、木刻版、尋源録、正気録、馬上激文、槍、世篤忠貞、霽峰文集


ソウル(永登浦区)

ソウル特別市創作空間・文来(ムルレ)芸術工場は、自然発生的に生まれた芸術村・文来創作村にある、国内外のアーティストのための創作支援センターで、2010年1月28日に開館しました。 文来芸術工場は文来洞鉄工所通りのひと昔前まで昔の鉄材を取り扱っていた専門街の一角に専門創作スペースとして新たに建設られました。 共同作業室、多目的発表場をはじめ、レコーディング室、セミナー室など創作発表活動のための様々な支援施設を兼ね備えています。