大田広域市(儒城区)

* 神仙の住むお寺「慈光寺」*鶴下洞は鶴が降りてくる村、神仙が舞い降り住む場所という由来から名づけられたとされています。慈光寺に入ると尤庵・宋時烈が植えた樹齢300年の大木が現れます。左側には星田影堂地碑石があり、星田は「星の田」、つまり星を観察できる場所という意味で、この一帯を星田または聖殿と呼んだとされています。この場所に宋時烈による書堂が建てられたことを記念し、碑石が建てられました。その横にはコイが悠々と泳ぎ回る蓮池があり、右側には法堂があり、正面には竹の敷居の中に井戸やトイレが置かれています。蓮池のコイに餌をやり、石の階段を上がると、仏教用楽器の法鼓・雲版・木魚・法鐘が順番に置かれています。


慶尚南道(梁山市 )

慶尙南道梁山市にあるエデンバレースキー場は、ゆったりとプレーを楽しむためにスロープとリフトに力を入れた、世界のスキーヤー達も注目するプロフェッショナルなグラウンドです。多様な長さと傾斜からなるコースは、初心者から上級者まで満足させるもので、スキー場全体が移動しやすい設計になっているのも特徴の一つです。エデンバレースキー場は、スキーだけでなくゴルフや各種レジャースポーツを楽しむこともでき、宴会場やセミナー室も設けられています。


ソウル(蘆原区) , ソウル東部

ソウル周辺には様々な名山がありますが、中でも水落山(スラクサン/638m)はいつ登ってもその季節ならではの良さを見せてくれる山です。ソウル市と京畿道議政府市、南楊州市別内面の境にあり、水落山の南側には仏岩山、西側には道峰山があります。様々な滝や新羅時代に建てられた興国寺、朝鮮時代に建てられた内院寺、石林寺、蕢山亭などの名所が点在しています。水落山の様々な登山ルートの中でソウル市民に人気なのはソウルメトロ4号線「タンゴゲ駅」から登り、鶴林寺と龍窟庵を経由する道です。仏岩山につながる稜線は春はつつじの名所となります。山道は険しくない方で、アクセスも便利なので休日には大勢の人々が訪れます。


済州道(済州市 ) , 구 제주

キーボードワッフル、食べてみたことありますか? オンラインゲーム開発会社・ネクソン(NEXON)が運営するコンピュータ博物館です。 館内ではゲームの歴史、コンピュータの歴史をわかりやすく解説、コンピュータやゲームの未来を想像することができる空間となっています。またカフェではキーボードの形をしたワッフルが大人気です。


仁川(南洞区) , 仁川市街地

2014年の仁川アジア大会のために建設されたこの会場は、その大会のために特別に建てられたスポーツ施設の中で最も大きなものです。住所は仁川広域市南洞区蘇来路500に位置し、2013年9月27日に完成しました。競技場の面積は42,357㎡で、座席数は8,828席です。アジア大会の際、体操競技が開催され、孫延宰は個人総合部門で金メダルを獲得しました。 主な施設としては、メインのスポーツフロアと補助のスポーツフロアがあります。この会場はスポーツ施設だけでなく、K-pop Star 4やK-pop Star 5のライブ放送の場所としても利用されました。さらに、2020年の旧正月アスリート選手権もここで収録されました。スポーツイベント以外にも、さまざまなイベント、コンサート、ライブパフォーマンス、テレビ収録の場として頻繁に使用されています。 ▷▶Google Maps


全羅南道(順天市 )

順天楽安邑城(スンチョン・ナガンウプソン)は、朝鮮時代の城と東軒、客舎、林慶業将軍碑閣、市場、草葺屋根の家などが原形そのままに保存されており、城と村が一緒に国内最初の史跡第302号に指定されました。朝鮮 太祖6年(1397年)に倭寇が侵入してくるや、この地出身の襄惠公 金贇吉(キム・ビンギル)将軍が土城を築き、その300年後の仁祖4年(1626年)に忠愍公 林慶業(イム・ギョンオプ)将軍が楽安郡守として赴任し、現在の石城を築きました。他の地域の城郭と異なり、広い平野地帯に1~2mの大きさの正方形の石を利用して高さ4m、幅3~4m、全長1,410m、東内、南内、西内など135,537m²に及ぶ3つの村を囲み、400年以上経つ現在も途切れるところなく原形そのままに残されています。今も85世帯がこの中で生活しており、民俗学術資料としてはもちろん、歴史教育の場としても価値が認められています。東門をはじめとし、西門、南門を通り城の中に入ると、時代劇の撮影所なのではないかと錯覚に陥るほど、昔の庶民たちの生活の様子がそのままの姿で残されています。


忠清南道(扶余郡 )

忠清南道扶余郡扶余邑東南里にある宮南池(クンナムジ)は、百済の武王が作った王宮の南側にある別宮に属している、韓国で最初に造られた人工池です。池の東側には百済時代の建造物の輪郭を知ることができる礎石が残っており、百済時代当時の瓦が多数出土しています。その近くには、大理石が積み上げられた八角形の井戸がありますが、百済時代から現在まで、未だに飲料水として利用されています。宮南池は百済の庭園様式を研究するにあたって、とても重要な資料となっています。日本の歴史書「日本書紀」には、宮南池の造形技術が日本の造形に影響を及ぼしていると記述されています。


ソウル(江北区)

護国懺悔の本山「道詵寺(トソンサ)」は、1,100年以上も前の新羅末、かの有名な和尚「道詵国師」が名山勝地を旅した際に、山の形が絶妙で、風景が清く秀で、千年後の末世不犯は、この地から起こるとし、建設されたお寺です。朝鮮王朝光武7年に光武皇帝から正式に国家祈願寺に指定されたこともある道詵寺ですが、今日に至ってもその威容を誇っているのは、曹渓宗(そうけいしゅう)の総務院長、宗会議長、長老院長などを歴任した韓国仏教浄化維新運動の総帥「青潭和尚」の大願業力によるもの。実践と禅修行、生活の中の仏教を宗風とした青潭和尚の護国懺悔思想が、その意思を受け継いだ弟子とともに発展し、曹渓宗の総本山として大きく飛躍しました。 境内に入ると、護国懺悔の文言が目を引きます。この建物の青潭記念館には青潭和尚の遺物や仙筆を見ることができます。千仏殿に登る道にある蓮池には参拝客らが小銭を投げ、祈祷を捧げたりもします。冥府殿には和尚の生前、親睦の深かった故・朴正熙大統領や故・陸英修女史、故・鄭周永現代グループ会長の遺影が奉安されており、冥府殿の前庭には200年程前にインドから渡ってきたとされる菩提樹が植えられています。


忠清南道(扶余郡 )

* 多様な見所が豊富な白馬江 *全羅北道長水郡長水邑で発源し、忠清道を通って江景から忠清北道・全羅北道の境に達して郡山湾に流れる錦江の下流区間を白馬江と言い、「百済の一番大きな川」という意味です。窺岩面虎岩里にある天政台から世道面頒詔院里までの16kmの錦江のことを言います。* 白馬江の見所 *扶蘇山の周りを流れる白馬江には百済時代の重要な歴史を決定した天政台、落花岩、釣龍台、彫刻公園があるクドゥレ、浮山・大哉閣、自温台、水北亭などがあります。また、皐蘭寺の下にある白馬江には小さな島のような岩を釣龍台と呼び、唐の将軍蘇定方が百済に侵攻してくる時に、川を渡って来るのを防ごうとした龍をこの岩で釣ったとの伝説があります。大哉閣は白馬江の川岸の浮山の絶壁にあり、その中には自然岩盤に「至痛在心 日暮途遠」と書かれています。


慶尚北道(慶州市 )

新羅文化院では大陵苑と瞻星台の間の約992m²(300坪)の敷地に、慶州ならではの特性を生かした様々な文化体験ができる新羅文化体験場をつくりました。文化財の形のチョコレート作り、金冠作り、凧作り、国楽公演などの伝統体験が可能です。