済州道(済州市 ) , 구 제주

三陽黒砂海岸は観光客達にあまり知られていない場所で、相対的に閑散としていますが水がとても綺麗です。キラキラと光る黒い砂が特徴です。この砂は神経痛と肥満に良いとされており、毎年夏になると暑い砂を体にかけて砂風呂を体験する観光客達の姿が見られます。


光州広域市(光山区)

光州駅から14㎞離れた所にある鉄道交通の要地で、圏内には河南洞や素村公団があります。龍山駅、木浦駅から出発するKTXを含む湖南線、慶全線全便が停車します。また、光州都市鉄道1号線と市外バスのバス停があり、乗換えなども便利です。


済州道(済州市 ) , 済州西部

14コースは楮旨村会館から始まります。オシロクホン農路、ムミョンチョン散策路、韓国最大のサボテンの群落地である月令サボテン自生地、海女豆生息地(海岸沿い)、瓮浦浦口を過ぎて翰林港、飛揚島、渡船船着場に続く約19kmにもおよぶ長いコースです。コースが比較的長くて一部、林道および小石道を通ります。


江原道(華川郡)

プンオ島は、江原道華川郡華川邑下里にあり、春川ダムにより作られた小さな島です。環境に優しく、1年を通して楽しめるエコ体験休養地として造成され、釣りスポットとして、また休息空間として愛されています。また、サイクリングロードが整備されているため、サイクリングを楽しむこともできます。毎年1月中旬には、浪川氷祭りが、6月には碑木文化祭が、10月には龍華祝典などの祭りが開催され、 周辺には七星楼、華川郷校、弥勒岩、華川江などの観光スポットがあります。


慶尚南道(統営市 )

400年の伝統を受け継いできた螺鈿漆器の本場・慶尚南道統営にある「漆美術館(Ottchil Art Museum/トンヨンオッチルミスルグァン)」。 先史時代以降、数千年の間、受け継がれてきた千年の神秘「彩画漆器」と「螺鈿漆器」は、この地に深く根付いた伝統芸術です。世界的に広く知られる高麗時代の国宝級の螺鈿漆器は民族芸術へと昇華し、朝鮮時代に民衆芸術として発達しました。漆美術館は漆を主な材料として制作された生活工芸品、芸術作品である現代漆芸作品や漆造形作品などを展示している他、作品鑑賞を通じて韓国の独特な美を再発見し、差別化された楽しさを感じられるよう、教育の場としても活用されています。


5.0/3
ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

金仙寺(クムソンサ)は、北岳山の麓にあるお寺で、自然環境が良く、またソウルの都心部に位置しているためアクセスが良いのも特徴です。 金仙寺ではテンプルステイプログラムも運営しており、休息型、仏教文化体験型、テンプルライフの3種類があります。テンプルステイを通して、静かに自分自身を見つめ、隠された自分を発見することができます。  


江原道(平昌郡)

山, 海, 温泉、 湖 等すべての事前環境を具備した雪岳山所載の雪岳(ソラク)パークホテルはオンドル18室, オンドルベッド 18室, ツイン64室, トリプル及びデラックスツインルーム12室, スウィートルーム9室等 総121室を保有しています。このホテルのカジノである雪岳パークホテルカジノは、バカラ, ブラックジャック, ダイサイ, ルーレット, ビックウィール、スロットマシーン等が具備されており、167坪規模の国際的カジノです。このカジノは外国人専用です。


全羅南道(木浦市 )

木浦文化芸術会館は全羅南道木浦市龍海洞にある文化空間です。ここは1997年7月に開館し、敷地面積は44,100平方メートル、総面積8,704平方メートルです。展示棟、公演棟に分かれており、7つの展示室、2つの特別室、698席の公演会場があります。


忠清南道(公州市 )

国立公州博物館(クンニプ・コンジュバンムルグァン)は、忠南の北部地域から発掘された文化財を保管・管理している博物館で、1971年発見された百済時代の武寧王(501~523)と王妃の墓である武寧王陵から出土した文化財を特別管理しています。この博物館では、武寧王陵から出土した遺物のほとんどを観覧することができ、現在の博物館の建物はその文化財を展示するために新しく建てられたものです。武寧王陵以外にも多くの遺跡や遺物を発掘してきたこの博物館は、2つの展示室があり、現在は国宝19点と宝物4点などを含む、約1000点の遺物が展示されています。2階にある第1展示室では、武寧王陵から出土した遺物が展示されており、金でできたベルトや腕輪、青銅の鏡や、実物大の武寧王陵の墓の模型が展示されており、王陵内部も見ることができます。また第2展示室では、忠南地域から出土した遺物が時代別に展示されています。本館の前にある庭園には、むかし水を盛るために使われていた大きな2つの石の器があり、その他にも公州一帯から出土した多くの石の遺物も見ることができます。


慶尚南道(晋州市 )

晋州城 (チンジュソン) は文禄の役と関係の深いところです。晋州城は三国時代には居列城 (コヨルソン) 、高麗時代には矗石城 (チョクソクソン) と呼ばれていましたが、朝鮮時代に入ってから晋州城と改称されました。石垣造りの城の周りが約1,760メートル、高さは約5~8mあり、城内に井戸と泉がそれぞれ3つずつあり、当時は軍倉もあったといいます。これよりも先立って 『東国輿地勝覧』に掲載されている河崙 (ハリュン 1347-1416年) の『城門記』によれば城の跡だけ残っているため、いつ築かれたのか分からないが、倭寇の侵入が頻繁だった高麗の禑王 (ウワン) 5年 (1379年) に晋州牧使 (※1) に石垣造りにさせたとあります。この時、城の周りは800歩 (※2) で、城の高さはおよそ30尺を越え、義正門 (ウィジョンムン 西側) 、知済門 (チジェムン 北側) 、礼化門 (イェファムン 南側) があり、城外は西側に青川 (チョンチョン) が、南側には長い川 (南江 ナムガン) が流れ、北側には池があり、城と池の間にはお堀があったとあります。このように高麗末期に倭寇の攻撃を防御するための砦に築き直したこの城は、朝鮮先祖25年 (1592) に文禄の役が起きた時、湖南 (ホナム) に進出しようとする外敵を防ぐ関門となりました。城内にはいくつかの楼閣や祠、国立晋州博物館、野外公演会場などがあります。※1 牧使 ‘牧’とは地方行政の単位のことで、これを治めた文官。※2 歩 距離を測る単位。周尺で約6尺。