慶尚南道(巨濟市 )

旧助羅海水浴場は周囲の美しい自然景観と水中まで透き通って見えるほどきれいな海だけでなく、交通の便もよい海水浴場です。韓国戦争後、捕虜収容所が巨済に設置され、米軍により海水浴場として利用され、1970年以降に全国的に広く知られるようになりました。白い砂浜の長さは1.1キロ、幅は30メートルで、砂がなめらかで、水深が浅く、水温も適度で海水浴を楽しむのにぴったりです。また、東に望山、西に水晶峯、沖に内島、西海にユンドル島があり、秀麗な景色を誇っています。内陸型海岸地帯で、湖のような静かな雰囲気を醸し出し、海からとれる新鮮な刺身が味わえ、カタクチイワシやワカメなどの特産物も購入することができます。そして、海水浴場の周辺にある朝鮮中期に築城された旧助羅聖地や内島、外島、海金剛など有名な名勝地を遊覧船を利用して観光することもできます。


京畿道(安城市)

安城市立男寺党バウドギ風物団は韓国で男寺党牌の発祥地として朝鮮時代最高の芸術家であり最初の芸能人として評価されている安城「バウドギ」の芸術魂を受け継ぎ、民俗大衆文化である男寺党ノリ(遊び)を保存し、世界化に向けて結成しました。 全国で最初に男寺党ノリ(遊び)を常設公演プログラムとして運営することで、韓国の民俗文化を現代社会に大衆化させることに寄与しており、さらに男寺党ノリ(遊び)を活用した多様な体験プログラムを開発し、男寺党の普及に努めています。また、プンムルノリ(農楽)など各機能別に体系的な教育プログラムを運営することで人材を養成し、世界各国を循環公演し韓国の文化を広めています。それと同時に毎年、バウドギ祭りを開催し、多様な公演や体験プログラムを運営することで、最も特色のある世界的な祭りを目指しています。


慶尚北道(金泉市 )

金泉駅から西側に12キロ離れた黃嶽山の麓にある直指寺は、新羅・訥祗王2年(418年)、阿道が建てた寺院です。周囲の古い松の木やきれいな渓谷の水、秋には紅葉が絶景をなし、周囲の景観と調和をなします。境内には大寂光殿があり、1000年になるクズの根とハギの柱の一柱門、朝鮮時代の代表的な建物である大雄殿、統一新羅時代の作品である高さ1.63メートルの石造藥師如來坐像(宝物319号)があります。また、5千人を収容できる国際仏教研修会館が1994年5月に完成しました。


慶尚南道(昌寧郡 )

昌寧郡、梨房面、遊漁面、大合面、大池面一帯には大小4つの沼がありますが、これらを合わせた名前が牛浦沼(ウポヌプ)。沼全体の広さが92万5千坪と、韓国最大の自然沼で、1mにもならない深さの底には長い歳月の堆積作用で1千種を超える生命体が住み、水生植物28種、湿生植物72種など、全部で100種余りの植物も住んでいると言われています。この沼は人類が地球上に住むようになるずっと以前の1億4千万年前から徐々に形成されたもの。軟弱な地盤が崩れ落ちて低い盆地に水が溜まり始め、1億年前には恐竜が住んでいた湖だった所。これが山地から流れ込む川水の長年の堆積物運搬によって埋まり沼が形成されました。この沼には蛍や星、ヤナギ樹林などの美しい景色が見られるますが、その中でもここの濃い霧は昼夜の気温差が10度以上になり風がなく天気が晴れた時に現れる自然現象で幻想的なその様子が訪れる人をひき付けてやみません。他にも8~9月はゲンジボタル、渡り鳥がやってくる秋には天然記念物の白鳥や大白鳥はもちろん、大雁、鴨、真鴨など33種の鳥を見ることができます。


全羅北道(扶安郡 )

彩石江(チェソッカン)は辺山半島格浦港一帯1.5キロの層岩絶壁と海を総称する名前です。名前だけ見ると川と間違えやすいですが、ここは川ではなく巨大な岩絶壁。彩石江という名前は中国の李太白が酒に酔って船遊びをしながら、川面に浮かんだ月を取ろうとして水に入ったという中国の彩石江とその姿が似ていることから彩石江と呼ぶようになったと言われています。いろいろな層の岩が堆積して作られた彩石江は、青い海と絶壁が絶妙なコントラストを成しています。長い歳月の間に自然が生んだ堆積芸術の傑作と言われるほど景色が優れており、ほかの堆積岩では見られない特異な構造が多く、堆積の過程が絶壁に立体的によく現れています。彩石江は一日二度の引き潮の時に入れますが、干潮の時は水が抜けた堆積岩層に付いている様々な海生物と海蝕洞穴の神秘的な姿が見られます。とくに干潮の時に海蝕洞窟から眺める日の入りと夕焼けは大変美しく、この地方の名所となっています。


江原道(平昌郡) , 平昌

韓国伝統飲食文化体験館は世界の中の韓国伝統飲食文化の価値及び優秀性を継承しこれを広く研究、普及、広報する目的で設立された文化院です。江原道平昌郡龍坪面白玉浦里に約3万平方メートルを越える敷地に展示館、調理体験室、教育研修院、発酵室、自然栽培団地など伝統飲食文化体験に必要なさまざまな施設を兼ね備えています。 外国人の皆様には特に配慮し、韓国最高の伝統飲食文化体験の場としてさまざまな韓国伝統飲食文化を体験・観光していただけるよう配慮がなされています。  


慶尚北道(慶州市 )

含月山の裾野に位置する骨窟寺は石灰岩盤に造られた韓国唯一の石窟寺院です。6世紀ごろインドから来た光有聖人の一行が自国の寺院様式を踏まえ創建したもので、岩石の上部に磨崖仏を作り周囲に12の石窟を掘り法塔を作りあげました。法塔は本来12個所すべてにありましたが、現在は7箇所の法塔のみ残っています。骨窟寺(コルグルサ)ではとりわけ磨崖如来坐像と観音窟が有名です。新羅仏の特徴がよくあらわれている磨崖如来坐像は岩に彫り込まれていて、その高さは4メートルほどあります。穏やかな微笑をたたえたこの仏像は、頭は髷を結び、目は細く、口は小さく、狭く長い鼻をしています。風雨などから守るべくガラスの覆いがかぶせられています。7個所の石窟のうち最も広い法堂を持つ観音窟は、観世音菩薩を主仏とし壁面には108観音菩薩像をまつっています。観音窟は窟の前面に壁があり瓦が葺いてある一般的な法堂の姿をしていますが、内部に入ると天井も壁もすべて石でできていることが分かります。骨窟寺は一般的な寺院とは印象が明らかに違います。寺院を見るためにはロッククライミングのようなスリルを受け入れなければなりません。事実、骨窟寺にはあちこちに手すりやロープが設置されており、長い階段と危険な岩を登り終えてはじめて観音窟、地蔵窟、薬師窟などの洞窟に作られた法塔を見ることができます。特に磨崖如来坐像はロープにつかまって登った後、さらに洞窟の形をした岩を越えてようやく辿りつくことができます。


大邱広域市(達城郡)

金忠善将軍の位牌を奉安して春と秋に祭享(国家で行う祭祀)する鹿洞書院は忠節保国(忠誠を誓って国を守る)の人生を送った金忠善将軍の偉業を称して1770年代末から三道儒林(儒学で3つの派)の意向で控訴して1794年に竣工、奉安したが1864年に大院君の書院撤廃令で撤回してしまいました。そして1885年に嶺南の儒林と金氏一族が合体して再建し、1971年建国の支援を受け、現在地に移されました。現在、鹿洞書院には鹿洞書と宗義堂及び向陽門、将軍の威力と功勲などを刻んだ遺跡碑と神道碑があります。


慶尚南道(巨濟市 )

陶蔵浦村(トジャンポマウル)は鶴洞(ハクトン)モントル海水浴場からハンモク海水浴場に行く途中にある突き出た岬にあります。小ぶりな家屋が海辺に集まっていて海上には遊覧船と数隻の船が見える静かで落ち着いた村です。 村にある丘は昔から海風が激しく吹きつけたため芝生が自生しています。 「風の丘」とか「マンルン芝公園」などと呼ばれていますが、いまだ正式な名前も付けられていない観光客にはあまり知られていない場所です。緑色の芝生が広がりその上には野の花が咲き乱れ、あるところではヤギがのんびりしています。 丘には散策路、小さい展望台、ベンチがあってゆっくりと海を眺めることができます。ドラマ<回転木馬>がここで撮影されたことから観光客が訪れ始めましたが、いまだそれほど知られてはおらず巨済島の隠れた宝物といえます。4-6月が最も美しい時期で、食べ物を持って訪れれば春のピクニックを楽しむことができるでしょう。  


慶尚北道(高霊郡 )

高霊大伽倻遺跡地(コリョン・テガヤユジョクチ)はソウルから約4時間のところにある高霊郡全域に広がっています。大伽倻は1世紀頃、韓半島の南側の落東江下流地方で生じ、520年間(A.D.42~562)繁榮して独自の文化を形成しました。しかし、その後6世紀以後に衰退し、一部は新羅(57 B.C.~A.D. 935)に、一部は 百済(18 B.C.~A.D. 660)に吸収されたため忘れられた部族国家となりました。新羅真興王(在位540~576)23年(AD562)に大伽倻郡となり、景德王(在位742~765)16年(AD757)に大伽倻郡から高霊郡へと名前が変わったということです。ここでは、韓国最古の殉葬墓(死んだ人のために多くの人を一緒に生き埋めにすること)である地山洞古墳群、大伽倻王陵展示館、先史時代の代表的な遺跡地である良田洞の岩刻画(宝物第605号)など、さまざまな文化財を見ることができます。