全羅南道(羅州市 )

栄山川の流れを始め、周辺の美しい自然景観を誇る羅州映像テーマパークは、35週連続視聴率1位という驚くべき記録を残した人気の韓国ドラマ「朱蒙」のロケ地です。また、高句麗の伝統歴史文化体験場として、高句麗の歴史文化展示や乗馬体験など高句麗人の伝統と歴史を体験することができます。 特に、テーマパークの周辺を囲む霊山川辺が楽しめる 「黄布帆船体験」もお忘れなく!


慶尚北道(青松郡 )

周王山(チュワンサン、720.6m)は、数多くの岩峰や深く秀麗な渓谷が美しい景観を織り成している韓国の3大岩山のうちのひとつです。1972年5月30日に観光地に指定されて以降、1976年3月30日には12番目の国立公園に指定されました。公園の総面積は105.582㎢で、行政区域上では慶尚北道 青松郡と盈徳郡の2つの郡および5つの面に渡っており、北には雪岳山や五台山、南には慶州、西には俗離山や徳裕山などの国立公園が広がっています。数百メートルにもなる大きな石がまるで屏風のようにそびえ立っていることから、新羅の時代には石屏山と呼ばれていましたが、統一新羅末からは周王山と呼ばれるようになりました。周王山には4つの瀑布の他に洞窟、大典寺およびその付属の庵が散在しており、天恵の観光資源が豊富です。*達基薬水湯(タルギヤクスタン)青松邑から東に3km程のところにある達基薬水湯には、下湯、中湯、上湯、新湯をはじめとする約10ヶ所の薬水が湧き出るスポットが整備されています。薬水の味は糖分を抜いた炭酸飲料のような味で、胃腸の病気や神経痛、貧血に効果があるとされており、多くの人がここの薬水を求めてやって来ます。*達基瀑布(タルギポッポ)達基薬水湯から約3kmほど上って行ったところに高さ11mの立派な瀑布があります。周王山第1瀑布を女性的であると例えるならば、この達基瀑布は男性的であるといえます。*周王山瀑布(シュワンサンポッポ)周王山の鶴巣台のすぐ上にある3つの瀑布で、第1瀑布は四方が屏風のような岩に囲まれており、その中を清らかな水が上から下へと打ち付けています。第1瀑布の上部に特に景観が美しい第2瀑布があり、その左500mのところには2段構造になっている第3瀑布があります。*チョルゴル渓谷周王山の南東部にある内周王渓谷付近にある静かな場所で、清らかな水が流れているだけでなく、そびえ立つ奇岩怪石と青々とした木々に囲まれていることからまるで別天地のような雰囲気が漂っています。


慶尚南道(金海市 )

伽倻の成立と展開を解明するのに最も適した遺跡、大成洞古墳群 大成洞遺跡は伽倻の建国説話が込められた亀旨峰と金海貝塚で有名な会峴里貝塚の中央に位置し、東方には金首露王陵が隣接しています。公設運動場の北後方にある標高22.6mの「ウェッコジ」と呼ばれる丘陵を中心に形成されています。この遺跡は慶星大学博物館で1990年から1992年まで3度にわたる発掘調査をした結果、金官伽倻支配者集団の共用墓地であったことが判明しました。立地条件がいい丘陵の稜線部には王の墓とこれに相応する支配者の墓があり、傾斜面には身分が低い者の墓が形成されていました。   大成洞古墳の歴史的意味 調査された墓は全136基で、種類は木棺墓、木槨墓、甕棺墓、石槨墓、橫穴橫口式の石室墓です。この中で木棺墓が墓祭の主流でした。丘陵の稜線部に形成された大型の木槨墓は埋葬主体部の大きさと副葬された遺物の量と質から見て、3世紀後半~5世紀前半にかけて形成された金官伽倻支配者たちの墓であると推測され、特にこの遺跡の大型木槨墓の調査を通して重要な事実が明らかになりました。3世紀末に初めて人と馬を殉葬し武器を副葬する習慣とともに、騎馬用の鉄製の鎧と兜、北方遊牧民族的な墓祭、馬具類、陶質土器、銅復など北方遊牧民族の習慣が反映された遺物が多く出土されたという事実です。それと、筒形銅器、巴形銅器、各種碧玉製の石製品など古代日本との交流の実態を究明することができる物が出土されたことです。このようなことから、大成洞遺跡は伽倻の成立と展開、性格、政治や社会構造を解明するのに最も適した遺跡だと言えます。  


済州道(西帰浦市) , 서귀포

山房山は済州島西南部の平野地帯に高くそびえ立っていて、どこからでも見ることができるつつりがねの形をした鐘状火山です。溶岩南側の崖の高さ150~300mの所には風化してできた色々な形や大きさの穴や落ちてきた岩石がたまってできた崖錐があり、海抜150m程のところに長さ約10m、幅・高さが約5mの山房窟と呼ばれる海食洞窟が海に向かって特色ある景観をつくりあげ瀛洲十景の一つになっています。山房山の入口の左手には山房寺、右手には普門寺寂滅寶宮という二つのお寺があり、その間にある石畳の階段に沿ってずっと上がって行くと山房窟寺が見えてきます。山房山前の道ばたには薪を焚き煙を上げることによって合図を送るのろしの台が立てられています。朝鮮世宗19年(1437)、倭寇の侵入に備えて作られたものと考えられていますが、1950年の韓国戦争の際に消えてしまい土台とみられる石だけが残っています。山房山は山自体の高さが高く海岸沿いにあるため山の斜面では平地とはまったく違う気候特性をもっています。このような山の特性の影響を受けて植生には変わった特徴が見られ、植物学的に重要な保護地域となっています。山頂にはコウボクの木やクスノキ科の海辺に生える常緑樹林が鬱蒼と茂っており、また特に岸壁に生えている植物が珍しく、天然記念物182号~5号に指定され、山房山で調査された植物は79科、186属、201種、33変種、1亜種の全255種類です。


忠清南道(牙山市 )

孟氏杏檀(メンシヘンダン)は高麗時代末から朝鮮時代初期にかけての宰相で、公正な官吏として知られる孟思誠(メン・サソン1360-1438)が暮らした家です。韓国の民家の中で最も古く、もともとは高麗時代末の崔瑩(チェ・ヨン)将軍の家でしたが、将軍の孫娘と結婚した彼に譲られたといわれています。公正な官吏として有名な彼らしく質素なつくりで、庭には樹齢600年の銀杏の木が2本あり、そこから杏檀と呼ばれるようになったといわれています。本来杏檀とは孔子が銀杏の木の上で教えたという故事に由来することばで学問に励むことを象徴しますが、その故事を知る孟思誠が草の茂るところに銀杏を植え後学を指導したのだといわれています。現在この2本の銀杏の木は私たちに涼やかな木陰と、たくさんのぎんなんをプレゼントしてくれます。


京畿道(竜仁市) , 龍仁

法輪寺は文殊山の麓にある観音聖地です。現在、大雄殿を始め、極楽宝殿、観音殿、比丘尼禅院、三聖閣、祖始殿、梵鐘閣、寮舎などがあります。威厳のある130坪の大雄殿は、南方仏教様式をしており、白頭山に自生する朝鮮松で建築されました。本尊仏として53トンの石造釈迦牟尼が、その左右に33トンの石造の文殊、普賢菩薩像が置かれています。また、京畿道の文化財資料第145号である三層石塔を保有しています。


慶尚北道(鬱陵郡)

<杏南海岸プロムナード>は、鬱陵島を訪れるほとんどの旅行客がまず訪れる最初のコースで、鬱陵島の多彩な神秘さを感じることができます。 自然洞窟と渓谷がつながっている橋の下に広がる美しい海岸の絶景を観賞でき、海岸散策路は「杏南マウル」につながっています。海岸の終わりは低い山道につながっており、この山道は鬱陵島の植物生態環境を体験できるトレッキングコースです。 散策路の先には、杏南灯台があります。灯台の片側につながっている展望台に行くと、苧洞港の絶景が一目に入ってきます。また、色とりどりの苧洞マウル、日没の名所である湫岩、観音島、北苧岩、竹島まで見渡せます。 周辺の観光地は、道洞薬水公園、独島展望台、海上遊覧船、聖人峰、竹島南西日沒展望台、道洞港などがあります。    


慶尚北道(安東市 )


忠清南道(公州市 )

東鶴寺(トンハクサ)は公州(コンジュ)市中心部からおよそ25キロメートル、大田から8キロメートルほど離れた公州市鶴峰里に位置しています。724年に創建されましたが新羅(紀元前57-935年)滅亡後の937年にその始祖を祀るべく名を東鶴寺と変え拡張されたと伝えられています。1950年に韓国戦争により焼失しましたが、1960年以降少しずつ再建がなされました。韓国最古の尼寺でもあり、女性僧侶のための大学でもあります。現在150名以上の女性僧侶が修行や教育を受けまた布教にはげむ大変由緒ある寺院です。東鶴寺は公州市に位置してはいますが大田広域市との境界付近にあり、大田市からのアクセスが便利です。時間的にも大田市から向かうほうが速くいけるうえ、バスもより多く出ています。


江原道(春川市) , 春川

南春川駅は韓国鉄道公社京春線の駅です。もともと、京春線の終点だった春川駅が2005年10月から京春線複線電鉄化工事で営業を臨時で中断し、京春川線複線電鉄化が完了するまで京春線のすべての列車の始発駅、終着駅となりました。