ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

朝鮮時代末期の高宗(コジョン・在位:1863~1907年)の時代、英国人ブラウンが造成した現代式公園で、公園内にある円覚寺(ウォンガクサ)十層石塔からパゴダ公園あるいは塔洞公園(タプトンコンウォン)とも呼ばれ、同時に八角亭も建てられました。皇室公園として帝室の音楽演奏の場所としても使われ、1913年からは一般に公開されました。1919年3・1運動当時、学生らと市民がこの前に集まり、学生代表の独立宣言文朗読に続き、大韓民国万歳を叫びデモ行進を行った場所として有名です。 日帝強占期には市民が塞ぎこんだ心情を紛らわすため多くの人がここを訪れたといいます。


ソウル(松坡区) , 蚕室(ロッテワールド)

ロッテワールドは冒険と神秘をテーマにした室内テーマ公園・ロッテワールドアドベンチャー、湖水公園・マジックアイランド、ショッピングモール、民俗博物館、アイスリンク、ホテル、百貨店などからなり、観光・レジャー・ショッピング・文化をここ一ヶ所で楽しめる大規模複合生活スペースです。ロッテワールド ガーデンステージはロッテワールドで行われる公演のメインステージで、さまざまなシーズンミュージカルショー、公開放送などの多彩なイベントが行われています。


ソウル(江西区) , ソウル西部

ソウル植物園は世界12都市の植物と植物文化を紹介し、都市における自然と生態に対する向き合い方を高めるためソウルに残る最後の開発地域・麻谷(マゴク)地域に造成されました。ソウル植物園は植物園と公園があるいわば「ボタニックパーク」で、その面積はサッカー場70面分の広さに及びます。 絶滅危惧種に指定された野生植物の生息地を拡大し繁殖が難しい種の増殖研究、品種開発など植物の育成という植物研究保全機関の本来の役割はもちろんのこと、都市の庭園文化拡大の最前線基地として、そして生涯教育機関としての役割も担っています。 ソウル植物園は、開かれた森、テーマ園、湖水園、湿地園の4つのエリアに分かれ、中でもその中心となっているのが植物文化センターや野外テーマ庭園、麻谷文化館があるテーマ園です。


釜山広域市(海雲台区) , 海雲台

海雲台タルマジの丘に従って松亭方向に行くと右下に見えるのが「青沙浦(チョンサンポ)」です。 青沙浦は良質のワカメが生産されることで有名なほか、日の出が美しいことでも定評があります。また、近くには飲食店や刺身屋があり新鮮な海の幸を味わうことができます。


仁川(南区)

ミネラルが豊富な地下456mの天然岩盤水を汲み上げ、お肌の美容によいph6.3~7.0、硬度20~40の水質を常に維持すべく「イオンウォータージェネレーターシステム」を稼動、万全の水質管理体制で毎日きれいな水を供給しているのがここ、SPASIS(スパシス)。 3階の屋外にある超大型クヌギ薪火窯では自然を実感、自然の素材を利用した済州ソンイ石(火山岩)サウナ、チョングァン石超大型ヒマラヤ岩塩、黄土ゲルマニウムオンドル房など健康維持にもってこいのサウナ・チムジルバンがあります。 5階全体がキッズローム及び休憩スペースとなっており、特にチムジルバンでビールやフライドチキンが楽しめるので大変好評を博しているスパです。


全羅南道(谷城郡 )

韓国の始祖として知られる檀君は、天帝である桓因の孫で、桓雄の息子です。桓雄は、人間になりたいと哀願するクマとトラにニンニクとヨモギを与え、「100日日光を避ければ人間になれる」と言ったといいます。トラは耐えられず人間になれませんでしたが、クマは100日耐え、人間の女性となりました。こうして女性となったクマと桓雄のあいだに産まれたのが壇君王倹だという神話があります。 「谷城檀君殿(コクソンタングンジョン)」は韓国の始祖・檀君王倹の遺影を奉安した祠堂で、3・1運動当時、谷城で万歳運動を主導した白堂・申泰允が後学の民族意識を鼓吹するために建立したものです。日帝統治下にあっても開天節に国民がここに集まって祭祀を執り行ない、国の独立を祈ったといいます。 境内には3・1運動記念碑や白堂記念館もあります。また、毎年10月3日開天節と3月15日御天節には祭祀が行われています。


京畿道(楊平郡) , 楊平

「楊平(ヤンピョン)レールバイク」は澄んだ水ときれいな空気、山と川が調和した楊平の龍門~元徳まで3.2キロメートルを時速15キロで楽しむレールバイクです。春は生命が芽生える暖かい日差しとやさしい緑の自然を満喫することができ、夏は涼しい水音、秋は韓国の名山である龍門山を彩る紅葉、冬は白くまぶしい雪花など季節ごとに違った風景を楽しめます。 オープン日 2010年5月3日


仁川(中区) , 仁川市街地

仁川郵逓局(現・仁川中洞郵逓局[郵便局])は仁川広域市中区港洞(ハンドン)にある日帝強占期の建物。1982年3月2日仁川広域市有形文化財第8号に指定されました。日帝強占期の1924年、郵便業務を担当するため建てられた近代式の建物で、当時の官庁としては大きな規模です。建設当時の名称は仁川郵便局でしたが、1949年8月に仁川郵逓局と改称しました。 この当時流行した折衷主義の建築様式を単純化した建物で、総面積1,787平方メートル(約540坪)です。正面入口は建物本体から張り出される形で造られ両側に大きな柱を配置、その正面玄関上部の建物本体2階部分からは柱の上部にある屋根などの上部建造物の重さを和らげ装飾が施されている柱頭がない数本の柱で建物を支えています。 当時、行政官庁の建物は上部にドームの形をした塔屋を造るのが一般的でしたが、この建物はこの部分を省略するなど平面構造や外観の細部が基本的な形式からやや外れています。 全体的な構造は煉瓦造りですが、床はコンクリートで施工されています。外部の仕上げは外壁の下部にのみ花崗岩を二段積みにしその上の部分にはモルタルで処理し石造の模様を表現しています。 韓国戦争(1950~1953年)当時の市街戦などにより一部が破損、屋根がスラブ材からスレート葺きに改修されるなどし1957年復旧工事が完了しました。


京畿道(高陽市) , 一山

1950年6月25日北韓共産傀儡集団による不法奇襲南進時、フィリピン軍は韓国の安全と自由守護のため1950年9月19日を期して参戦、数多くの戦果を挙げました。これを称え、亡くなった英霊を鎮魂し後世にその意味を伝えるため1974年10月2日、韓国国防部により建立しました。


釜山広域市(西区)

* 夜景が綺麗な場所、中央公園(大庁公園)* 中央公園(チュンアンコンウォン)は旧・大庁公園(テチョンコンウォン)と旧・大新(テシン)公園を含む亀峰山(クボンサン)一帯の名称で、国家や民族のため犠牲となった英霊の崇高な志を後世まで広く伝えるため忠魂塔、4.19慰霊塔、光復記念館、各種記念碑などがある釜山を代表する史蹟公園です。 6.25動乱(韓国戦争/1950-53)時、バラック村となった大庁山を公園に造成した中央公園ですが、釜山港が一望できる夜景の美しい名所として有名なところでもあります。 公園内には釜山・慶尚南道出身戦没将兵の英霊9,279柱を祀る高さ70mの忠魂塔や海軍戦勝碑、市民憲章碑、中央公園碑及び大韓民国臨時政府の国務委員であった張建相(チャン・ゴンサン)銅像があります。 中央(大庁)公園には一年を通じていつでも花を観賞できる花の丘があり、またさまざまな彫刻が野外展示され、彫刻公園としても市民に知られています。 この他、中央公園の敷地内にはゲートボール場、バドミントン場などがあり、誰でも簡単にスポーツが楽しめます。早朝には主に中高年層を対象にした気功やエアロビクスなども行われ、市民の生活の中に息づいた公園となっています。釜山市都市計画公園造成の変更決定により、1986年12月2日付で名称が中央公園に変更されました。