ソウル(永登浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

仙遊島公園は漢江にあるは仙遊貯水池施設を改造して作った韓国初のリサイクル生態公園です。仙人が遊び歩くという意味を持つこの島は、1978年から2000年までソウル西南部に水道水を供給する浄水場として使われ、2002年4月に生態公園として生まれ変わりました。漢江歴史館では漢江流域の地質や生態系、漢江沿いの文化遺跡などが展示されており、水生植物園では水生植物と浄化過程を見ることもできます。特にこの公園では四季が感じられるように多くの樹木や花が植えられ自然美と造形美が完璧な調和を成し、また穏やかな雰囲気が訪れる人々を和ませています。 また夜にはアーチ型の橋が華やかにライトアップされ、ソウルの美しい夜景のうちの1つに数えられています。


ソウル(鍾路区)

ソウル歴史博物館(ヨクサ・パンムルグァン)ソウルは、ソウルの歴史や伝統文化を紹介する歴史博物館。先史時代から現代に至るまでのソウルの歴史や市民から寄贈されたさまざまな朝鮮時代の文化財が展示されており、ソウルの文化を体験しながらこの街についての理解と知識を高めることができます。 17年前に設立され2002年5月にリニューアルオープンし、更に充実した展示内容と施設になり、常設展示室や企画展示室、寄贈遺物展示室などで、朝鮮時代の首都だったソウルの姿や現在のソウルの人々の生活・文化などを見ることができます。 他にも荷物を預けるクロークや託児所なども整えられ、訪れる人がゆっくりと観賞できる配慮も嬉しいところ。ソウル関連のグッズを開発・販売するミュージアムショップや落ち着いた雰囲気のカフェもありゆっくりと時間を取って訪れたいところです。


ソウル(江南区) , 江南・三成(COEX)

宣靖陵(ソンジョンルン)は、朝鮮時代の成宗と中宗の墓がある場所。ここにはその規模がほぼ等しい宣陵と靖陵、またこれらより少し小さめの王妃陵の3つの陵があります。 宣陵と靖陵の作りは入口には、まずここから先が神聖な場所だという意味を表す紅門があり、その先には高さによって神が通る道と人間が通る道が分けられた石畳の2本の道、そしてその先には祭祀を執り行う丁字閣と続いています。丁字閣には雑像と呼ばれる動物の形をした石像が並んでいますが、これは悪い気を追い払う役目をし、墓の周りにある羊と虎の形をした石像もまた王の墓を守る守護神。特に「望柱石」といわれる石柱は亡くなった王の霊魂が自分の墓の場所がちゃんと分かるようにするためのものといわれています。 一方王妃陵は丁字閣や秘閣がなく、宣陵と靖陵に比べて簡素な造りとなっています。 遊歩道やベンチもあり、昼休みを過ごす会社員や散歩を楽しむカップルの姿も多く見られます。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

雲峴宮(ウンヒョングン)は正式な宮殿ではなく、王族の親族である興宣大院君・李昰應(1820~1898)の一家が居住し生活していた空間だった所です。ここに12歳まで住んでいた高宗(1863~1907)が王位に就いた後、大幅に拡張・新築し、宮に昇格したという経緯があり、この時から雲峴宮は4つの大門を持った雄壮な宮闕ほど雄壮な家に変貌しました。しかし日帝強占期と韓国戦争で被害を受け現在の規模となりました。 雲峴宮正門を入ると、右側に長く建った守直舍という瓦屋がありますが、これは宮の管理と警備、雑用の担当者たちが主に住んでいた所。守直舍を過ぎると大門があり、興宣大院君が息を引き取った老安堂という建物があります。この老安堂を過ぎると還暦や宴など各種家内行事が行われた老楽堂があります。1866年高宗と明成皇后(1851~1895)との家礼もここで開かれ、明成皇后が王妃修業を受けた所としても有名。毎年4月と10月には高宗と明成皇后の結婚式を再現する行事が行われ数多くの人で賑わいます。


ソウル(瑞草区) , 江南・三成(COEX)

セビッソム(some sevit)は、漢江盤浦大橋南端の水上に花をイメージして造成された人工の島です。「漢江の花」をテーマにした互いに異なる機能をもつ、ビスタ(Vista)、ビバ(Viva)、テラ(Terra)の3つの島から成っており、9,209平方メートルの規模を誇ります。3つの島の中央にある、最も大きい第1島ビスタは、「満開になった花」をイメージしたもので、公演や国際コンファレンス、展示会の誘致が可能な多機能総合文化施設からなっており、第2島ビバは、「蕾」をイメージしたもので、若さと祭りをテーマにしたさまざまな文化体験ゾーンや多彩なイベント空間、若さの森、3Dを利用したテーマ食堂などが出来る予定です。そして、第3島のテラは、「種」をイメージしたもので、漢江の水上レジャースポーツや漢江が展望できる野外庭園が整備される予定です。また、セビッソム(some sevit)の周りに発光ダイオード(LED)を設置し、「霧の中で咲く灯火」をイメージした夜間景観が演出される予定です。各種芸術公演や展示が開かれるセビッソム(some sevit)は、盤浦虹噴水や潜水橋の歩行広場とともに漢江のランドマークとなるでしょう。


ソウル(鍾路区) , 東大門

東大門(トンデムン)は宝物第1号であり、正式名称は「興仁之門(フンインジムン)」でソウル城郭の東側の門です。1396年に創建され、1453年に改修されました。現在の門楼は1869年に再建されたものです。「興仁之門」と呼ぶようになったのは世祖(在位1455-1468)のときからだといわれています。 東大門の最大の特徴は、門の外を「甕城」が取り巻いているという点です。「甕城」は門を囲んでいる半円形の城壁のことを言います。低地なので外敵からの攻撃を受けやすいため、このような城壁で防御していました。今は甕城の石がさまざまな色を帯びていますが、これは補修工事をする際に変化したものです。 石を積んだ中央には虹霓門を据え、その上に正面5つ、側面2つの重層門楼を建て、屋根は隅ジン閣(ウジンガク)です。軒上には厄除けの意味で動物の像があります。東大門は細部の技法が脆弱で、装飾重視になっており、朝鮮後期の典型的な様式をよく現しています。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

2015年4月21日にソウル市仁寺洞にキムチ、キムジャン文化を五感で体感できる博物館「ミュージアムキムチ間(カン)」が開館しました。 1986年に開館して以来30年もの間、国内外の観覧客数百万人にキムチ・キムジャンの文化を伝え、体験できる空間を提供してきたプルムウォンのキムチ博物館の第2世代の博物館です。BBC、NHK、CCTV、CNN、ニューヨークタイムズなど、海外のメディアにも取り上げられ、海外でも広く知られているこの博物館は、2015年3月にアメリカのCNNが選定した世界11大の食べ物関連の博物館にも選ばれました。 ミュージアムキムチ間(カン)には、KBS「料理人類」チームが制作した、特徴のある地方のキムチや、朝鮮時代の時代別の宮廷のキムチに関するキムチドキュメンタリーを観ることができます。その他に、キムチや、キムチのように野菜を漬けてできる海外の料理の実物を比較・展示した冷蔵展示室があり、キムチを味見して評価することのできる試食コーナーも設けられています また、キムチの乳酸菌を研究する「化学者の部屋」、世界的なニューメディアグループ「キムチ&チップス」の「キムチ美笑展」、甕器の匠によって特別に制作された「空から見たチャンドク台」、デジタルキムチプレイなど、ユニークで新しいコンテンツがあります。 特に、キムチを漬けて、味見をし、持って帰ることのできるキムチ体験プログラムをはじめとして、外国人専用プログラム、こどもプログラムなど様々な体験プログラムが準備されています。 外国人は、日本語、英語、中国語の音声ガイドを利用して展示館の観覧ができるおうになっており、指定された時間にはガイドによる説明も受けられます。


ソウル(中区) , 乙支路・忠武路・南山

コリアハウス(韓国の家)は1981年にオープンした韓国伝統文化と生活風習を紹介するための韓国家屋の建物です。朝鮮時代(1392~1910)の王宮である景福宮慈慶殿を手本に建てられたもので、伝統様式の瓦屋としては韓国内でも唯一の建物となっています。  コリアハウスは本館である海隣館、民俗劇場、3軒の別館建物 (聞香樓、緑吟亭、聽雨亭)となっていて、海隣館には伝統音楽を聴きながらお茶が飲める嘉楽堂と、伝統料理を味わうことのできる韶華堂があります。特に嘉楽堂の中庭では伝統的な結婚式や民俗遊戯が行われ、土日に訪れると見学できるかもしれません。  また100人余りが収容できる民俗劇場では毎日午後に、人間文化財や国立国楽院団員、国立舞踊団団員がシナウィ(巫楽)や扇子の舞、サルプリ(巫楽)、パンソリ、太鼓踊り、鳳山仮面劇など韓国固有の音楽と踊りの公演を行っており、それぞれ英語や日本語でも説明をしてくれます。  他にも文化商品館では韓国の代表的な伝統工芸作家たちが作った各種工芸品の甕器や陶磁器、金属工芸品、組紐、刺繍など20の分野の専門家たちが作った作品500点余りが展示され販売もされています。


5.0/1
ソウル(中区) , 南大門・ソウル駅

セブンラックカジノ(ヒルトン店)は広い空間と洗練されたインテリアで、特別な風格と安らぎを備えたカジノです。バカラやブラックジャック、ルーレット、スロットマシーンなど多様な最新ゲームを完備しており、利用客の好みに合わせて自由にゲームを楽しむことができます。また、周辺に多くの有名ホテルや観光地などがあるのも特徴の一つです。 >>> SEVEN LUCK CASINO COUPON​



※閉店
ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

史跡第271号である慶熙宮(キョンヒグン)は、セムナン大闕、または西側の宮闕であることから西闕とも呼ばれました。朝鮮時代後期の離宮(有事の際に王が避難したところ)であった慶熙宮は、朝鮮時代の仁祖から哲宗に及ぶ10代の王が居住していたところ。低い山の傾斜の地形を利用して建てられ、伝統美と歴史的由緒を誇る宮廷です。当時は徳寿宮とつながる歩道橋があり、政殿である崇政殿をはじめ資政殿、寝殿である隆福殿、会祥殿など約100棟に及ぶ大小の建物がありましたが、日帝強占期に日本人学校である京城中学校(現在のソウル高等学校)が建てられたため、ほとんどの宮廷が壊され移転したという経緯があります。1987年にソウル高校が江南に移転した後、公園になりました。公園内にはソウル市立美術館、散策路などがあり、新羅ホテルの正門として使用されていた興化門は元の場所に戻され、崇政殿の復元は1994年11月に終わりました。