全羅南道(羅州市 )


全羅南道(麗水市 )

万聖里(マンソンニ)黒砂海岸(万聖里海水浴場)は、麗水駅から海岸道路を北に3kmほど行ったところにあるため、交通の便が便利です。長さ540m、幅25mほどの砂浜と平均水温が25℃とあたたかく、海水浴には最適な場所です。特に、ここの砂浜に広がる黒い砂は、遠赤外線の放射熱が毛細血管を広げ血液の循環を助け汗の分泌を促してくれるといいます。そのため、神経痛や各種婦人病に効果があると言われています。効能がピークに達する毎年旧暦4月20日(新暦5月下旬~6月上旬)には、黒い砂チムジルハンマダンが開かれます。海岸の周辺には各種便宜施設がよく備えられています。


全羅南道(求礼郡 )

春香伝の南原で高速道路のような19番国道に乗って、パムジェトンネルを過ぎるとそこが求礼です。求礼郡の山東面は、「山茱萸(ミズキ目ミズキ科の落葉小高木)の故郷」として広く知られてきました。韓国の山茱萸(実)生産量の67%を占めているほど山茱萸の木が多くあります。 山茱萸の木は、日較差が大きく、排水が良い海抜200~500mの盆地や山岸でよく育ちます。 こうした自然条件をまんべんなく持った山東面の桂川里、大坪里、位安里では山茱萸の高木が森のように生い茂っています。この中でも特に万福台(1433m)の西南側の麓に育った位安里山茱萸サンウィ村は最も代表的な山茱萸村として選ばれています。 村の裏側には雪を覆った智異山の峰が屏風のように囲んでいて、村の右側には小さな谷間があり、素晴らしく美しい自然環境を持っています。その上、この村はカエデの木の水が多く出ているところとして有名です。 さらに山茱萸村の下方には国内唯一のゲルマニウム温泉と呼ばれる智異山温泉団地があり、湯に浸かりながら疲労を取ることもできます。毎年少しずつ違いがありますが、大体山茱萸サンウィ村の花は、3月20日~31日の間が最も絶景だと言われています。 *求礼山茱萸の特性と効能 1)特性-果肉が多く、着色がよく、赤い実の色が眩しく光って全国で第一の品質として全国生産量の67%を占めています。 2)効能-心臓と骨髄を強くし、腰やひざの新陳代謝を助けて痛みを和らげてくれる効能があります。冷や汗、息切れ、腰痛にも効果があります。


全羅南道(珍島郡 )

上鳥島 礪尾里のトリ山頂上にある「トリ山展望台(トリサンチョンマンデ)」は、多島海(タドヘ、島が多い海)の壮観を一望することができる 鳥島(チョド)旅行のハイライトといえる場所です。 木で綺麗に建てられた展望台にあがると観梅島(クァンメド)、屛風島(ピョンプンド)、羅拜島(ナベド)、大馬島(テマド)、小馬島(ソマド)など鳥島周辺に群鳥のように散ばっている多くの島々を一望することができます。 また、島の間から昇り沈む日の出と日没の両方をこの展望台一ヶ所から見ることができ、海霧(海にかかる霧)がない日は、遠くの甫吉島(ポギルド)と済州島の漢拏山、楸子島(チュジャド)までも見ることができます。 上鳥島(サンチョド)から下鳥島(ハチョド)とつづている鳥島は、天恵の自然の美しさをそのまま大切にしています。多くの島々が海の上に浮かんでいる絶景を、一目で見渡せる上鳥島のトリ山(210m)展望台に引けをとらない展望ポイントとして、敦大峰(トンデボン、230m)と下鳥島の灯台があります。鳥島はゆったりとした小さな漁村の雰囲気があり、松林がある小さな海水浴場などが隠れています。


全羅南道(珍島郡 )

彭木港(ペンモッカン)は珍島(チンド)の関門の役割を担う港で、1996年12月に海洋水産部に沿岸港指定申請を出し、1998年2月に海洋水産部により沿岸港指定告示を受けました。以後、沿岸港として海洋水産部から管理を受け、珍島郡の港湾建設に画期的な契機が訪れました。 珍島郡はそれまで島にちょうどよい港がありませんでしたが、彭木港が沿岸港として指定され開発されながら港らしい港が整備されました。昔は木浦(モッポ)から済州島に行く船を連結する港でしたが現在は珍島の近海にある島、特に彭木と鳥島(チョド)をつなぐ航路の出発地の役割をしています。


全羅南道(海南郡 )

韓半島(朝鮮半島)の一番下にある松湖里葛頭部落は、北緯34度17分38秒の獅子峰の上にある展望台から見下ろす多島海が絶景です。特に天気が良い日は、はるかかなたに甫吉島などの南海の様々な島が見えます。展望台から韓半島の一番端であることを示す碑が立っている所まで歩いて約15分ほどです。全体を一周するには2時間程度かかります。


全羅南道(求礼郡 )

全羅南道文化財資料第35号に指定されている泉隠寺は統一新羅時代に創建された古寺として智異山の西南側に位置しており、大韓仏教曹渓宗 第19教区の本社である華厳寺の末寺として華厳寺、双渓寺とともに智異山3大寺刹の1つに選ばれています。泉隠寺は智異山の中でも特に明るく温かい場所にあり高く深い渓谷から流れ出る澄んだ水が寺の横を流れ、周りは雄大な山々に囲まれています。泉隠寺のもともとの名前は、興徳王3年(828年)にインドの僧侶と韓国の徳雲祖師が寺を創建した当時、境内に露のように冷たく澄んだ泉が湧いていることから甘露寺と呼んでいました。この泉の水を飲むと心(精神)が洗われるといい多くの僧侶たちが訪れたり、高麗の忠烈王の時には「南方第一寺刹」に昇格されたりしました。ところが、仁辰倭乱で寺が燃え改築した際、大きな蛇が泉によく現れ、捕まえて殺したところ泉の水が出なくなったといいます。そこから「泉が隠れた」という意味で名前を泉隠寺に変えましたが、その後も何度も火事と災難にみまわれ、村人たちは寺を守っていた蛇を殺したせいだと恐れました。この知らせを聞いた朝鮮4大名筆の1人である李匡師が、まるで水の流れるような書体で“智異山 泉隠寺”という文字を書き門に掛けたところ火事が起こらなくなったといいます。泉隠寺内には法堂である極楽殿(全羅南道有形文化財 第50号)と泉隠寺極楽殿、阿弥陀後仏幀画(宝物 第924号)があり、また李国師が文字を掛けた門を抜け、独特で趣あふれる垂虹楼を過ぎるなど、お寺を訪ね行く楽しみもあります。