大邱広域市(寿城区)

2007年5月開館した「寿城(スソン)アートピア」は大邱を代表するアートセンターであり、公演・展示・芸術アカデミーの分野で専門空間を保有し、他の劇場と形式が異なる外観と内装で差別化を図っています。 寿城アートピアは建物がある舞鶴山のイメージを生かし、前面から見ると鶴が翼を広げ飛び立とうとする模様、側面からは以前現在の場所には大きな池があったことから船の形をしています。客席後方から舞台までの距離が21メートルもある超大型劇場であり、オペラ、ミュージカル、バレー、演劇、舞踊、音楽会、コンサートなど様々なジャンルの公演を自由に演出することが可能なアートセンターです。


大邱広域市(東区)

八公山(パルゴンサン)ケーブルカーは桐華(トンファ)集団施設地区から標高820mの山頂の間を往復しています。ケーブルカーから素晴らしい景色を見ることができ、遊園地の乗り物のようなスリルも味わうことができます。ケーブルカーで頂上に登ると、記念写真を撮るためのフォトゾーンや森の爽やかな空気を吸いながら森林浴が楽しめる散策路があります。


大邱広域市(達城郡)

1995年5月12日、大邱広域市文化財資料第29号に指定された「玄風郭氏十二旌閭閣」は、朝鮮中期、英祖在位中に建てられた旌閭閣です。宣祖31年(1598年)から英祖時代まで、郭氏一家に与えられた12の旌閭を一ヶ所に集めたもので、建物は前面が12、側面が2の空間に仕切られています。韓国戦争で建物の一部と碑石1基が完全に破壊されたものの、1963年に全て修復され、2つの碑石と12の扁額が置かれています。 旌閭は、忠臣、孝子、烈女などの徳行を表彰し与えられたたもので、1つの家門にこのように多くの旌閭が与えられたのは全国でもその例が非常に少ないことから重要な文化遺産として高く評価されています。


大邱広域市(中区)

2011年4月から2013年8月まで2年6ヶ月の工事期間を経て国際的な水準の音響施設を備えた専門コンサートホールとして生まれ変わりました。コンサートホール(1,284席)、チェンバーホール(248席)、展示室、練習室、近隣生活施設bなどで構成されています。特に、コンサートホールは、最適な音を響かせるための並行ショーボックス形態となっており、観客と演奏者の距離を縮め、視覚的、聴覚的な生動感を感じさせてくれる最高の音響施設を備えた国際的な水準です。


大邱広域市(達城郡)

琵瑟山(ピスルサン)自然休養林は琵瑟山南方の照華峰と大見峰の麓にある休養林で自然景観が美しいことで有名です。山の中腹にある珍しい形をした岩や絶壁が集まっているだけではなく、水の澄んだ渓谷や琵瑟山の登山道に沿って上がっていくと春に美しく咲き乱れるピンク色のツツジを楽しむことが出来ます。また、冬には氷の洞窟や氷の塔、ソリゲレンデ、ツララの丘などの見どころがたくさんあります。 休養林には渓谷の水を溜めて作った水遊び場、散策路、体力鍛錬施設などが備えられている他、宿泊施設やキャンプ場があります。


大邱広域市(東区)

大邱広域市東区屯山洞にあるオッコル村は、南側を除いた3面が山に囲まれており、へこんでいるように見えることから(この様子を韓国語でオモッカダと言う)オッコルと呼ばれてきたという説と、周辺の山と野原に漆の木(韓国語でオッナムと言う)が多いことからオッコルと呼ばれるようになったという二通りの説が存在します。「漆渓」との別名を持つことからすると、後者の説が正しいとする見方が強いようです。1616年(光海8年)朝鮮時代中期の学者、台岩崔東集がここに定着し、慶州崔氏の集成村を築いていくこととなりました。村に向かう途中、最初に出会うのは樹齢350年のケヤキの木。保護樹として指定されており、村の土地が周辺より高く琴湖江の支流が広々と見えることから、邪気が村に入ってくるのを防ぐため、村の前に林を造成したと言われていますが、今は面影が残されているるのみとなっています。池と木陰の下に作られた休憩所を過ぎると、本格的に村が始まります。村の入り口に立つと、やはり樹齢350年の巨大なエンジュの木が2本、訪問客を迎えてくれます。村が安らかで豊かになることを願って植えられたと言われており、高さは実に12mにも及びます。エンジュの木の後ろには漆の木を知らせる立て看板が見えます。大邱の都心から近いため、一部の住宅は現代式に改築されましたが、それでも残された古宅やかつての道、伝統様式の石垣は昔の両班家の暮らしぶりを目の前で見るには遜色がありません。慶州催氏の宗家である百弗古宅は村のもっとも奥に位置し、入郷祖である崔東集の孫が1694年に建てた古宅であり、大邱地域の家屋のうち最も古い住宅建物です。「百弗」は朝鮮正祖の時代の学者、百弗庵、崔興遠の号です。現在、大邱民俗資料第1号に指定されています。大門を入ると、舎廊棟と母屋が南側に建てられているのが見えます。建築した当時とは異なり、1918年に改築する際、舎廊棟も母屋と同じく瓦屋根の建物に変えられたと言われています。古宅の右側には報本堂が建っています。慶州崔氏宗家の祭祀のため1753年に建てられた建物で、祠堂と斎室、食べ物を用意するための空間で構成されています。報本堂は韓国戦争(朝鮮戦争)の際は臨時学校として使用されていたと言います。つい垣に沿って行くと見える旌閭閣は、百弗庵崔興遠の孝行心を称え、1789年に建てられたものとされ、中は正祖が授けた紅牌が飾られています。オッコル村は約2.5kmに渡るつい垣の道と石垣が残る美しい村です。石垣を過ぎたところに木があれば、木を切るのではなく木の下で垣を低くすることを純理とする先祖たちの知恵を垣間見ることができます。百弗古宅には正祖が百弗庵崔興遠の業績を称え授けた文書をはじめ、宗家に伝わる古書や号牌、退渓の聖学十図で作られた聖学十図屏風、祭祀に使う道具など多様な遺産が残されており、近くには天然記念物1号の「 疸城側柏樹林」、不老洞古墳群、八公山道立公園などがあります。


大邱広域市(達城郡)

南平文氏の中始祖として知られる三憂堂文益漸の子孫が大邱に入郷したのは500年前と伝えられており、ここ仁興に定着したのは彼の18代目にあたる仁山斎文敬鎬(1812~1874)の時です。彼は文一族の村を作る計画を立て、元来高麗の大刹である仁興寺があった場所に敷地を構え、今日の仁興村を新たに形成したと言われています。先祖代々からの居住地に最初に建てた建物は1820年前後に建てられた斎室、龍湖斎(ヨンホジェ)であり、現在の広居堂のある場所にあたります。邸宅として使用し始めたのは1800年代後半であり、最初は藁ぶき屋根でしたが、その後100年の年月をかけて今の居住地が形成されました。現在70軒あまりの瓦屋根の家が一ヶ所に整然と並ぶこの村は、建築年代は200年未満でありながら、伝統的な嶺南地方の両班家屋の型を守っており、世居地の構成や周囲の景観との調和は、他では見ることのできない村であると言えます。


大邱広域市(東区)

平和市場のタクトンチプ通りは1972年からの歴史があります。鶏肉だけを売っていると砂肝がたくさん余ってしまい、残った砂肝をどうしようかといつも悩んでいた社長がある日、砂肝を天ぷらにしサービスとして出し始めましたが、意外にもお客さんたちから大ヒット。おまけとして始めたタクトンチプ(砂肝)が安くて美味しいと口コミが広まりました。40年がたった今でも安くて美味しいタクトンチプ(砂肝)はたくさんの人から愛されています。        


大邱広域市(達城郡)

The ARCは幾何学的なアプローチの建築物兼芸術品で、Architecture of River Culture及びArtistry of River Cultureを意味しています。水という共通テーマで観覧客と複合演出空間がひとつの芸術作品として完成されるように構成された、モダンでありながらシンプルなデザインの内部はインテリアのコンセプトと調和した 地下1階の展示空間とアートギャラリー、1階と2階に設けられた水をテーマにした巨大なサークル映像劇場、周辺の自然環境を鑑賞できる3階建て展望台など見所がたくさんあります。


大邱広域市(南区)

大邱市南区にあるアプサン(前山)は海抜660m、 左右に山城山(653メートル)、大徳山(546メートル)があり、これら三つの峰の北側渓谷に造成された公園がアプ山公園です。1970年から公園として開発が始まり1981年からは10年計画で再開発された508万坪を有する大邱市で最も大きい都市自然公園です。頂上付近まで長さ790メートルのケーブルカーが運行され、山の麓には弓道長、乗馬場、プールがあり、詩吟作家イ・ホウが1979年に建てた洛東江勝利記念館もあります。深い峡谷などのある大徳山は家族旅行やデート コースとして人気を集めています。