全羅南道(麗水市 )

草島(チョド)は麗水(ヨス)から南西に77km、巨文島(コムンド)から北に18kmの地点に位置しており、周辺には大小の島が浮かんでいます。島に草が多いことから草島という名が付きました。島全体が山地となっており、中央には上山峰(サンサンボン)という山があります。大洞(テドン)、鎮幕(チンマク)、ウィソンの3つの村があり、島の北西側には大洞海水浴場、南西側には汀江(チョンガン)海水浴場があります。上山峰から眺める日の出や、鎮幕からモク島の間にできる海割れは、草島の自慢の観光スポットです。麗水から草島まで毎日1便の旅客船が運航しています。


仁川(甕津郡) , 仁川市街地

茅島のペミクミ海岸にあるペミクミ彫刻公園です。茅島が船の底にある穴(ペミックミ)の形をしていることから名づけられたそうです。彫刻家のイ・イロ氏が個人の作業空間として、庭の芝生に作品を展示するようになったのがきっかけで、彫刻公園になりました。海と作品が絶妙なハーモニーを奏でています。


全羅南道(求礼郡 )

全羅南道文化財資料第35号に指定されている泉隠寺は統一新羅時代に創建された古寺として智異山の西南側に位置しており、大韓仏教曹渓宗 第19教区の本社である華厳寺の末寺として華厳寺、双渓寺とともに智異山3大寺刹の1つに選ばれています。泉隠寺は智異山の中でも特に明るく温かい場所にあり高く深い渓谷から流れ出る澄んだ水が寺の横を流れ、周りは雄大な山々に囲まれています。泉隠寺のもともとの名前は、興徳王3年(828年)にインドの僧侶と韓国の徳雲祖師が寺を創建した当時、境内に露のように冷たく澄んだ泉が湧いていることから甘露寺と呼んでいました。この泉の水を飲むと心(精神)が洗われるといい多くの僧侶たちが訪れたり、高麗の忠烈王の時には「南方第一寺刹」に昇格されたりしました。ところが、仁辰倭乱で寺が燃え改築した際、大きな蛇が泉によく現れ、捕まえて殺したところ泉の水が出なくなったといいます。そこから「泉が隠れた」という意味で名前を泉隠寺に変えましたが、その後も何度も火事と災難にみまわれ、村人たちは寺を守っていた蛇を殺したせいだと恐れました。この知らせを聞いた朝鮮4大名筆の1人である李匡師が、まるで水の流れるような書体で“智異山 泉隠寺”という文字を書き門に掛けたところ火事が起こらなくなったといいます。泉隠寺内には法堂である極楽殿(全羅南道有形文化財 第50号)と泉隠寺極楽殿、阿弥陀後仏幀画(宝物 第924号)があり、また李国師が文字を掛けた門を抜け、独特で趣あふれる垂虹楼を過ぎるなど、お寺を訪ね行く楽しみもあります。


京畿道(烏山市 ) , 水原

烏山市にある「京畿道立ムルヒャンギ樹木園」は10万坪規模の樹木園で、16のテーマ公園と各種付帯施設、1,600種あまりの植物があります。家族、友達、恋人と一緒に気軽に散策するのにぴったりなムルヒャンギ樹木園は、ゆっくり見て回るのに2時間程所要します。駐車場からすぐ見えるトピアリー園や迷路園は、子どもたちに特に人気のテーマ公園です。この他にも松園、紅葉園、万景園、盆栽園、郷土芸術樹木園、湿地生態園、好湿性植物園、機能性植物園、ムグンファ園、昆虫生態園など全16のテーマ公園があります。ゆっくりテーマ公園を見て回りながら道を上っていくと、木で建てられた展望台が見えてきます。都心部にある樹木園であることから、展望台からはアパートや車が走る様子が遠くに見えます。目の前に広がる木々や花々と都会の風景という相反する風景が同時に楽しめるのもムルヒャンギ樹木園のまたひとつの楽しみのひとつです。※樹木園内には食堂やゴミ箱が設置されていません。環境のためにゴミは各自が持ち帰ることになっています。また、食堂はありませんが「森の中の休憩場」では持参したお弁当を食べることができます。


慶尚北道(鬱陵郡)

カルデラ盆地(カルデラとは、火口が崩れ落ち造られた噴火口のこと)である羅里盆地(ナリブンジ)は鬱陵道で最も大きい平野です。羅里盆地には、排水がよく肥沃な火山灰土が広がっています。鬱陵島の多くの住民は漁業に従事していますが、羅里盆地の住民は薬草を栽培をしています。 <travel tips> 羅里盆地の星空の美しさは有名です。また、道洞港から聖人峰を越え羅里盆地に降りていく途中の景色はこの世のものとは思えないほどです。


慶尚北道(高霊郡 )


江原道(江陵市) , 江陵

注文津(チュムンジン)香湖(ヒャンホ)海岸はBTSがアルバムジャケットを撮影したバス停フォトゾーンがあるところです(このバス停は実際に運営しているバス停ではありません)。 また随所にフォトゾーンがあり、海を背景に思い出に残る写真を撮ることもでき、国内外から多くの観光客が訪れる江陵のホットプレイスとなっています。  


京畿道(九里市) , 九里

東九陵(トングルン)は59万坪の林の中にある朝鮮朝の王たちの墓です。全部で9つの陵に17の幽宅がありますが、他の陵に比べ規模が大きく、林が茂り周辺の景色がとても美しいところです。9つの陵は朝鮮王朝の初代王である太祖・李成桂(在位1335〜1408)の陵である健元陵をはじめ、多くの王の陵墓がある。ここは陵全域に林が茂り、陵と林の間に小道があり散策するのにちょうどよいです。特に東九陵で有名なものは歴史が深いススキです。長く育ったススキは太祖・李成桂の故郷である咸興から移植されたものといわれています。600年の歴史を持つ朝鮮のように悠久な歴史を抱いています。


京畿道(漣川郡)

韓国の旧石器遺跡を代表するこの遺跡地は1978年米軍兵士によって偶然石器が発見され、世界的に注目される旧石器時代の遺跡地として知られるようになりました。1978年の石器発見以降現在まで11回にわたる発掘が行われ、3000点以上の遺物が採集されています。これら石器の発見は、東アジアとアフリカ、ヨーロッパで旧石器文化を二分していたモビウスの学説を変えるきっかけにもなりました。また東アジアの旧石器文化を新しい角度から理解しようとする試みが増え、これは韓国の旧石器研究だけではなく、全世界の旧石器研究を豊富にすることにもなりました。現在全谷里先史遺跡地内には旧石器遺跡館や資料館などの施設と、旧石器時代の生活が表現された野外造形物が自然環境と調和するように配置されて旧石器時代をわかりやすく理解できるように工夫されています。