大邱樹木園
 
大邱広域市(達西区) ,
1986年から1990年まで約74,000坪の敷地に410万トンのゴミが埋め立てられた場所で、環境問題を解決するために樹木園が造成されました。大邱樹木園は針葉樹園、広葉樹園、花木園、野生草花園、薬用植物園、染料園など21種類の様々な庭園があり、そこには約400種6万本の木や、1,100個の花壇に約800種13万株の草花類、40種300点の盆栽、200種2,000点のサボテンなどが展示されています。 また、大邱樹木園ではこどもや学生を対象とした体験教室も行われています。こども自然学校は夏休みの間に開かれ、学生のためのグリーンスクールは小中高生を対象に行われるプログラムです。この他に、造園教育指導者の教育などのイベントも行われます。

銀水寺
 
全羅北道(鎮安郡 ) ,
現在、銀水寺は曹渓宗団に属していますが朝鮮時代初期は上院寺と呼ばれ、朝鮮19代目王の粛宗の時に上院寺は無くなり寺址だけが残っていましたが、その後誰かが庵を建て正明庵と名づけました。正明庵が荒廃し無くなった後の1920年に再建され、この時に銀水寺と命名されました。銀水寺の名前の由来は、朝鮮1代目王の太祖がここを流れる水を飲んだ際に、水がまるで銀のように清くきれいであると言ったことから付けられたと言われています。 銀水寺には国内最大の法鼓(1982年作成)が所蔵されています。また、朝鮮初期に作成されたものと推測される石像の三神ハルモニ像が上院寺址から出土しました。さらに、銀水寺の境内には天然記念物の馬耳山ツルマサキ群落(天然記念物380号)と、銀水寺青実梨の木(天然記念物386号)の2つの天然記念物があります。梨の木の中でも特に味の良い実がなるという青実梨の木ですが、改良梨の流通により最近ではあまり見かけられなくなりました。 逆向きにできる氷柱は馬耳山の至るところで見られる光景ですが、特に銀水寺付近で際立っています。

鎮海内水面環境生態公園
 
慶尚南道(昌原市 ) ,
鎮海内水面環境生態公園は、様々な種類の樹木と花が息づく優れた自然環境と、湿地を維持管理する南部内水面研究所内の遊水地周辺の83.897㎥を環境にやさしい生態公園として造成し、自然学習体験と市民文化休息空間として活用しています。生態公園には約65種の様々な植物が生息しています。

智異山国立公園(河東)(지리산국립공원
 
慶尚南道(河東郡 ) ,
全羅北道、全羅南道、慶尚南道の3つの道にまたがっている智異山国立公園は、韓国で1番最初に国立公園として指定された名山です。また、周囲には見逃せない観光名所も多く、慶尚南道地域には双渓寺、七仏寺などの寺をはじめとし、仏日瀑布、花開渓谷、青鶴洞、道人村など観光資源が豊富です。

昌慶宮 弘化門
 
ソウル(鍾路区) ,
弘化門は昌慶宮の正門に正面3間、側面2間の重層寄棟屋根で多包式で作られています。石造の基壇の上に、原型の礎石を置いており、門楼下層は両開きの板門が設置され、出入りできるようにし、上層は板床の楼が設置されています。大韓民国の宝物第384号に指定されています。当初1484年に建てられましたが文禄・慶長の役の際に焼失し、1616年に再建されました。

映画「シルミド」撮影地
 
仁川(中区) ,
実尾島(シルミド)は映画「シルミド/SILMIDO」で有名になったところ。 現在映画に使われたセットは壊されましたが、映画を見て一度自分の目で直接見たいという人々が訪れるようになりました。 干潮の時にしか島を見学できないうえ、島内に特に見所があるわけではありませんが、周辺の景色や干潟を歩いて渡る楽しみ、そして何より映画の舞台を訪れるといった意義のあるスポット。この「シルミド/SILMIDO」という映画は、南北分断の現実の中で歴史上隠されていた真実に基づいて作られた作品で、韓国映画史上初めて観客動員数1000万人を突破した作品です。  

馬山午東洞アグチム通り
 
慶尚南道(昌原市 ) ,
アグチム(アンコウの蒸し物)は馬山発祥の料理として全国的に広く愛されています。 1960年代初めに馬山市午東洞で食堂をしていたおばあさんが、アンコウにテンジャン、コチュジャン、モヤシ、セリ、ネギなどを加えて蒸した料理を出し、これが漁師の間で評判となって広く知られるようになりました。こうして午東洞で自然とアグチムを食べさせるお店が増え、今では午東洞一帯に約20件の店が軒を連ね、「アグチム通り」が形成されました。

益山双陵
 
全羅北道(益山市 ) ,
益山双陵(イクサンサンヌン)は全羅北道益山市に位置する墓で、史跡第87号に指定されています。2基の墓が南北に約150mの間を空けて位置しており、双陵と呼ばれています。規模が大きく、北側にある陵は「末通大王陵」または「大王墓」と呼ばれており、少し小さめの陵は「小王墓」と呼ばれています。ここに葬られているのは百済の王であった武王とその妃である善花姫であると推測されています。 <双陵の規模> 発掘当時は高さ3.1mでしたが、現在は補修され、大王墓は高さ5m・直径30m、小王墓は高さ3.5m・直径24mとなっています。

東部洞五層塼塔
 
慶尚北道(安東市 ) ,
東部洞五層塼塔(トンブドン・オチュン・ジョンタプ)は高さ8.35mの統一新羅時代(AD654-935)の塼塔で、長さ27.5cm、幅12.5cm、厚さ6cmの無地のレンガを重ねて造られた5層の塔です。 本来は7層で、壬辰倭乱(豊臣軍の侵略)の際に金銅製の相輪部が失われ、韓国戦争の際一部が壊されましたが、1962年に現在の姿に復元されました。かつて法林寺があったと伝えられる場所にあり、塔の西側5mのところにはかつてのお堂の支柱があります。各層ごとに仏像を納める場所である龕室がありますが、これは屋根の上の瓦と同様塼塔が広まる以前に多く造られた木造の塔の名残りと思われます。2層目の南側には仁王像が2体彫られた花崗岩の石版が置かれていて塔の美しさを引き立てています。安東駅を背に駅前広場の左隅(駐車場)にあるのですぐに見つけられます。1963年1月21日に宝物第56号に指定されました。