黄鶴亭
 
ソウル(鍾路区)
「黄鶴亭(ファンハクチョン)」は1898年、高宗の御命によって慶熙宮の会祥殿北側に設けられた弓術練習のための射亭です。慶煕宮が1913年に取り壊され、1922年にはその跡地に朝鮮総督府専売局官舎が建てられ、黄鶴亭はその際、登科亭跡地である現在の場所に移されました。登科亭は、玉洞の登竜亭、三清洞の雲竜亭、社稷洞の大松亭、楼上洞の風嘯亭とともに弼雲洞の登科亭として西村五射亭と呼ばれていましたが、五射亭をはじめとし、ソウルにあった名のある弓場は日本強占期に伝統武術が禁止されたことで徐々に消えていきました。 黄鶴亭の弓場は全国的にも有名で、光復(国権回復)後も使われていましたが、韓国戦争(朝鮮戦争)により建物が被害を受けました。しかし、その後、修造されて現在では弓術に関する行事なども開かれています。

禅雲山 兜率渓谷
 
全羅北道(高敞郡 ) ,
禅雲山(ソヌンサン)兜率渓谷(トソルゲゴク)は、高敞郡禅雲山の中にある渓谷です。禅雲山は兜率山とも呼ばれ、森が鬱蒼と茂りさまざまな形の岩が多いところとして有名です。渓谷に沿って真興窟、竜門窟、落照台、天馬峰などのすばらしい風景を見ることもでき、また兜率渓谷は深さでも有名で、山と水が互いに包むように太極模様を描いています。夏には緑の樹木の茂る様子が美しく、秋には真っ赤な紅葉が山を覆い、冬の雪景色もその美しいことで有名で四季折々の美しさが楽しめる場所となっています。

大邱コーロン野外音楽堂
 
大邱広域市(達西区) ,
2000年9月29日に開館した大邱コーロン野外音楽堂は公演場としては国内最大の規模で頭流公園内に位置しており、立地がよいため市民達に親しまれている名所です。野外音楽堂は10,000坪あまりの広い芝生公園に27,000名を収容することができ、音楽会を始め演劇、ミュージカル、オペラなど様々なジャンルの舞台や公演も可能です。開放感のある野外で休憩しながら公演を鑑賞することができ、多くの人達に様々な文化的経験を提供する大邱コーロン野外音楽堂は地方文化の発展と成長に大きく貢献するものと期待され、市民に一歩近づいた開けた文化空間としての役割を果たしています。 

金剛窟
 
江原道(束草市)
雪岳山の中腹・海抜600m地点の岩壁の中央にある金剛窟(クムガングル)は、傾斜が急で洞窟までは浮き橋やコンクリートの階段を利用しなければ行くことができません。洞窟の大きさは約7坪で、洞窟の中にある土器や石佛坐像から、高僧が悟りを磨いていた所と想定することができます。 雪岳洞から金剛窟まで続く登山コースは3.6kmで、約1時間40分を所要します。束草市内から雪岳洞までは、市内バスを利用すると約30分を所要します。

全州ワールドカップスタジアム
 
全羅北道(全州市 ) ,
2002年にワールドカップが開催されたこのスタジアムは、全州(チョンジュ)の伝統特産品である合竹扇(竹で作った扇子)のイメージをもとにデザインされました。韓国の伝統美が取り入れられているこのスタジアムは敷地面積562,929㎡、地下1階地上6階、42,477席の規模で、2001年10月に完成しました。観客席からグラウンドが近いためグランドと一体となって試合を観戦できます。

国立海洋文化財研究所
 
全羅南道(木浦市 ) ,
韓国で唯一の海洋遺物展示館、国立海洋文化財研修所 木浦市のカッパウィ文化通りにある「国立海洋文化財研究所(クンニプヘヤンムンファジェヨングソ)」は、文化財庁の所属機関で、大切な海洋文化遺産を紹介する国内唯一の国立海洋博物館です。2009年4月27日に国立海洋遺物展示館から国立海洋文化財研究所に名称が変わりました。 建物延べ面積4,076㎡、敷地面積3万2,357㎡の敷地に展示館は地下1階、地上2階建ての建物で構成されており、所蔵品は全2,000点におよびます。 展示室は第1~第4展示室と、野外展示室および特別展示室があり、海に沈んでいた昔の海に関連する様々な文化財や、海辺の村に暮らす人々の生活と文化、韓国の船の歴史などをテーマに展示がされています。また、外の海岸には水上展示館が作られており、祖先たちの海洋文化に関する文化財を見ながら彼らがどのように海を利用し開拓してきたのかを感じることができます。 国立海洋文化財研究所の歴史 1994年12月14日にオープンし、1999年12月26日に社会教育観と所蔵庫を新しく建てました。展示館を管理・運営する木浦海洋遺物保存処理所は1981年8月25日に国立文化財研究所に属する木浦保存処理場としてはじまり、1990年1月3日に国立海洋遺物展示館として、2009年4月27日に国立海洋文化財研究所に名称を変えました。

Johyun Gallery
 
釜山広域市(海雲台区)
「Johyun Gallery(チョヒョン画廊)」は1990年、チョヒョン代表が釜山広安里アートタウンにオープンした「ギャラリーワールド」から出発し、1999年に海雲台パラダイスホテル前に移転、2007年には海雲台タルマジの丘に新たな建物を作って移転、現在に至ります。 1・2階の展示館と、釜山市立美術館1階でアートショップを運営している他、ソウル分店を運営しており、釜山とソウルの「Johyun Gallery」は、より拡張された美術世界の中で、国際美術界とコミュニケーションし、世界のギャラリーとなることをめざしています。

湫岩燭台岩
 
江原道(東海市)
江原道東海市の名所の一つである湫岩燭台岩(チュアム・チョッテバウィ)は空を突き刺すように高くそびえ立つ奇岩怪石で、その形が燭台に似ていることから、その名前が付けられました。東海の海を背景に燭台岩ととも10余りの奇岩怪石が調和をなす景観には感嘆してしまうほどです。周辺の奇岩怪石群は形によって亀岩、夫婦岩、兄弟岩などと呼ばれています。特に、太陽が燭台岩にかかる姿は壮観をなし、日の出の名所としても脚光を浴びています。また、燭台岩の日の出はテレビで放送される韓国の国歌の背景に登場するほどです。*燭台岩の伝説湫岩に住んでいたある男が妾(めかけ)を得た後、本妻と妾との間では喧嘩が絶えませんでした。それを見ていた天の神は怒って雷を落とし、男1人だけが残りました。男は二人の女を想いながらその場に立ち続け、石になったと言われています。

吾羅カントリークラブ
 
済州道(済州市 )
観光ホテルの済州グランドホテルが一緒に運営している吾羅(オラ)カントリークラブは、済州国際空港と10分の距離の新済州地域に位置しており、交通が便利です。吾羅カントリークラブは国際水準の36ホールコースを備え、365日年中無休で青い芝生の上でラウンドができます。

皇龍寺址
 
慶尚北道(慶州市 ) ,
皇龍寺址(ファンヨンサジ)は慶州市九黄(クファン)洞に位置しており、芬皇寺の前に広がる広大な敷地に残されている遺跡です。ここは新羅最大の寺院であり、護国の大寺刹として古新羅の仏教文化の精髄が見られる由緒深い寺刹址です。善徳女王がこの地に塔を建ててから23年後、新羅は三国統一し、このことから多くの人々が「新羅の三国統一はこの塔の霊験である」と歴史書に記録しています。かつて新羅三宝と呼ばれる宝物のうちの2つである金堂三尊丈六像、九層木塔が皇龍寺に所蔵されており、また新羅最大の鐘も置かれていましたが、蒙古軍の侵攻によって失ってしまいました。皇龍寺は慈蔵や元曉などの新羅時代の最高の高僧たちが説法を説いた場所で、真興、真平、善徳、憲康、真聖女王などの帝王たちが自ら彼らの説法を聞くために訪れました。1969年7月にこの地を発掘調査した際、金堂、講堂、塔地が発掘されたことをはじめとし、1976年3月から8年間に渡る発掘作業により独特の配置を持つ一塔三金堂式だったことが明らかになり、4万点余りの遺物が出土しました。この際、建物の基礎となる土台をはじめとする下部構造は確認されましたが、建物の上部家具材は正確に考証することができないため、建物全体の復元には至っておらず、土台部分だけが復元されました。発掘された遺跡地から現れた寺院の総面積は8,800坪に至り、これは仏国寺の約8倍の広さに相当します。現在、皇龍寺址は史跡第6号に指定されています。