一字山自然公園(일자산자연공원)
 
ソウル(江東区) ,
一字山は江東区と京畿道河南市の間に聳える江東区では最高峰を誇る山です。 遁村・李集先生の詩碑が置かれており、市民の憩いの場として広く愛されています。

碧峰韓国装身具博物館(벽봉한국장신구박물관)
 
京畿道(坡州市 )
碧峰韓国装身具博物館は、京畿道無形文化財18号玉石(装身具)の匠・碧峰(ピョッポン)金泳煕(キム・ヨンヒ)先生のスペースです。 朝鮮時代の王室や民家で使われた装身具を五礼(吉礼, 嘉礼、殯礼、軍礼、凶礼)に分類し、装身具の意味と用途及びその使用方法について展示・解説し、韓国の装身具の中で最も多くが伝えられているされている朝鮮時代の装身具について展示を行っています。 また毎年装身具と関連した興味深い企画展示を実施展示、見学に訪れた人々とコミュニケーションすることで伝統装身具に対する親近感を持ってもらうことがこの博物館の目的です。 また、王室の礼儀作法に密接に関連する装身具を通じて、韓国の伝統文化の素晴らしさを実感していただけるのがこの博物館です。

高麗大学校博物館(고려대학교박물관)
 
ソウル(城北区) ,
高麗大学校博物館は韓国国内の大学博物館の草分け的存在で、歴史、考古、民俗、美術に至るまでさまざまな所蔵品10万点あまりを所蔵している総合博物館です。 高麗大学の歴史に関する展示がある100年史展示室、第1展示室(歴史/民俗展示室)、第2展示室(古美術展示室)、そして第3展示室(現代美術展示室)があり、その他寄贈者記念展示t室、企画展示室もあります。

良才川生態公園(양재천 생태공원)
 
ソウル(瑞草区) ,
良才川(ヤンジェチョン)は元来、漢江に直接注ぐ1次支流でしたが漢江沿岸開発事業や周辺一帯の開発により直線化され、炭川(タンチョン)へ流入する流域変更及び流路変更が人為的に行われた河川です。

小毎勿島(소매물도)
 
慶尚南道(統営市 ) ,
統営8景「小毎勿島(ソメムルド)から見渡す灯台島の奇岩怪石と叢石断崖が特に絶景で引き潮の時は、この2点が繋がり渡れるようになります。龍の岩、釈迦の岩、亀の岩、燭台の岩は大自然の傑作品です。見どころを挙げると、灯台島から小毎勿島を見渡すと奇岩怪石としてなっている岩全体が巨大な恐竜が座った形象もあります。 昔の近隣や部落ではそば(メムル)を多く生産していたと呼ばれた地名(1934年刊行の統営郡誌では「メミド」となっています)でしたが、そばの側にある小さい島という意味で「小毎勿島」となりました。1904年金海金氏が島に行き、飢えないという言葉を聞き、ここに移住し定住し、村を開拓しました。島の形が素晴らしく、毎年観光客の足が絶えません。 ※ 文化観光部主管 行きたい島示範事業 * 島構成 : 本島1、付属島2 * 面積 : 330,000㎡(付属島を含めた面積) * 人口 : 37人

沃川 陸英修生家(옥천 육영수 생가)
 
忠清北道(沃川郡 ) ,
忠北沃川郡沃川邑には、ヒャンス100里キルの最後の場所「陸英修生家」があります。陸英修女史が幼少時代を過ごした家が崩れかけたまま残されていたのを改修し、2011年5月、一般に公開しました。この家は1600年代の官僚金氏が建てた家で、その後2人の官僚が暮らしたとし「三宰相の家」と呼ばれていました。 陸英修女史が生まれる前の1918年、陸鍾寬氏がこの家を買い取り、暮らすようになりました。朝鮮後期の典型的な忠清道両班家の家屋と言えます。

甫吉島(보길도)
 
全羅南道(莞島郡 ) ,
甫吉島(ポギルド)は莞島国際港から12kmのところにある島です。孤山(こさん)尹善道(ユン・ソンド)が船で済州島に行く途中、激しい台風から逃れるためたどり着きました。美しい山水に魅了され、ここの地名を芙蓉洞と命名して滞在することを決めた場所です。10数年間、ここでの生活を楽しみながら洗然亭や楽書斎など25の建物を建てました。彼の有名な作品「漁父四時詞」はこの場所で誕生しました。この島には海水浴場が3ヶ所あり、夏の避暑地として人気です。その中でも島の南側にある礼松里(イェソンリ)海水浴場は砂浜ではなくて小石の浜辺は1.4kmほど続いており、天然記念物第40号である礼松里常緑樹林と調和して美しい景色を作り出しています。大小の島々の間を甫吉島を訪れる船が青い海を進む姿は絶景です。

ソウル 郵征総局(서울 우정총국)
 
ソウル(鍾路区) ,
安国洞(アングクドン)交差点から鐘閣(チョンガク)方面に南北に走る郵征局路(ウジョングンノ)を南へと歩いていくと、すぐ右手に民家と軒を連ねている小さな建物が見えてきます。それが郵征総局(ウジョンチョングク)の建物です。 この郵征総局は朝鮮時代末期、郵政業務を行っていた官庁です。日本とアメリカを視察した洪英植(ホン・ヨンシク)の建議により、従来の駅伝法を改正し近代式の郵便制度を創設、1884(高宗21)年3月27日(陰暦)、旧・典医監(チョニガム=朝鮮時代、宮中で使われる医薬の供給や下賜された医薬にかかわる業務を担った機関)の建物を改修する形で郵征総局を設置しました。 この郵征総局は韓国国内の郵便事務よりも、仁川(インチョン)、釜山(プサン)、元山(ウォンサン)などの港を経て発送・到着する国際書信の交流事務に力点を置いていました。郵征総局は韓国初の近代郵便制度が始まったところですが、従来の政治体制を変革しようと試みた甲申政変(カプシンチョンビョン)が起こった場所としても有名です。 清と閔氏一族の勢力が1882年壬牛軍乱(イモグルラン)を契機に徐々にその勢力を拡大すると、これに危機感を抱いた金玉均(キム・オッキュン)、朴泳孝(パク・ヨンホ)、徐載弼(ソ・ジェピル)などの改革派が政権奪取を目指し、郵征総局営業開始を祝う宴の当日の1884年12月4日(旧暦10月17日)に甲申政変を起こしました。 この当日、郵征総局の隣の民家に火を放ち、これを合図に保守派に対する攻撃を開始しました。 改革派が当時掲げた革新政綱には、両班(ヤンバン)中心の政治社会の支配秩序を打破し、民衆の平等と自由を実現する富国強兵の自主独立国家の建設を目指すことが書かれていました。 しかし、肝心の民衆の理解や関心を引き寄せることに失敗、加えて改革派を支援していた日本軍さえも清国軍に撃破され、政変は三日天下に終わってしまいました。 郵征総局の建物は何棟かあったものと思われますが、現在では現存の建物1棟のみが残っている状態です。郵征総局は韓国郵便事業の発祥地であり、また世界的に見ても古い部類に入る郵便業務を主管する官庁の一つに数えられています。  1884年12月に甲申政変により開業間もなく閉鎖された郵征総局でしたが、128年ぶりに郵便業務を再開、2012年再びオープンしました。再スタートを切った郵征総局ですが、現在、建物内部は郵政史料展示スペースと郵便業務スペースの二つに分かれています。現在の郵征総局の建物は史跡第213号に指定された建物のため、簡単な郵便業務のみを取り扱っています。 * 面積 - 2,588平方メートル

大清湖五百里キル(대청호오백리길)
 
大田広域市(大徳区) ,
大清湖五百里キルは、大田(東区、大徳区)と、忠清北道(清原、沃川、報恩)にかけて続く約220kmのウォーキングコースで、コース上には大清湖周辺の自然部落や、河川、登山路、林道などがあります。また、ソウルや釜山から大清湖までの距離が約五百里あるという意味もあります。特に、大清湖は海抜200~300mの低い山々や樹木にぐるりと囲まれているため景観が美しく各区間にみどころがあります。恋人同士でロマンを楽しめるデートコース、青い湖を眺めながら思いにふける思索コース、登山が可能なコース、農村体験や文化体験ができる家族旅行コース、自転車ドライブコースなど、見て、感じて、体験して楽しむことのできる様々なテーマのある道です。このような自然景観が認められUN-HABITATによりアジア都市景観賞が授与されました。また、大清湖五百里キル周辺には大清湖水文化館や大清湖彫刻公園、大清湖美術館、大清湖自然生体館などがあり、大清湖五百里キルと連携した体験や観覧施設の利用が可能です。清原には青南台、文義文化財団地、報恩には俗離山、沃川にはトゥンジュ峰、鄭芝溶生家、陸英修生家などの観光地もあります。

発明教育センター 創意発明体験館(발명교육센터 창의발명체험관)
 
大田広域市(儒城区) ,
2005年12月に開館した発明教育センターは、地下1階、地上3階、延べ面積1,200坪の規模を誇ります。館内には、創意発明体験室、創意発明体験館、講義室などの施設が備えられており、各地域で選抜された優秀な発明家の人材たちに発明に関する様々な教育を行っています。大徳研究団地の研究員や、特許庁の審査官、各方面の発明関連の教師など、経験豊富な専門家を講師に迎え、深化した発明教育を実施している他、学生達の創意性と挑戦精神を育てる実質的な発明の実習教育と体験教育も実施しています。 発明教育センター内の創意発明体験館では、学生達が遊びを通して発明について理解し、感じてみることができるように、「クリック、想像のアイコン」、「想像の力を見る」、「想像の実を結ぶ」、「創造が現実になる」という4つのテーマで体験プログラムが構成されています。