儒城観光特区(유성 관광특구)
 
大田広域市(儒城区) ,
大田(テジョン)は最先端科学技術のメッカで大徳(テドク)研究開発特区をはじめ有数のベンチャー企業がある韓国を代表する科学技術都市で、アメリカのシリコンバレーともよく比較されます。 大田広域市内にある儒城(ユソン)観光特区は、大田ではもちろんのこと韓国国内でも温泉や観光資源が豊かな観光休養地区として知られています。 儒城観光特区内に温泉の源泉があり、源泉の水量は常に豊富で、加水・沸かし直しなしの良質な温泉となっています。 儒城観光特区付近には、エキスポ科学公園をはじめ科学に関連した各種博物館や展示館が数多くあり、子ども連れの家族旅行で訪れる人々が多くなっています。 三国時代の首都であった公州市(コンジュシ)と接しており、百済文化遺跡の見学も可能です。 *儒城観光特区施設現況 儒城温泉、大徳研究団地、エキスポ科学公園、美術館、博物館、総合遊園施設など

【江華ナドゥルキル第5コース】コビ峠キル  [강화 나들길 제5코스] 고비고개길
 
仁川(江華郡) ,
【歴史と文化が息づく江華ナドゥルキル】 江華ナドゥルキルは海岸に沿って1.3kmごとにある墩台と、江華山城を結ぶ道です。そして、高麗王陵を張り巡らすように造られた道を指します。また、山と野原、海と文化財を楽しみながら歩く道です。 江華島は島の全体が博物館と言えるほど多くの遺跡があります。支石墓や、青銅器、モンゴルの侵略に対抗するために江華島に移ってきた高麗の跡が見られる高麗宮址や高麗王陵が残っています。また、江華山城と海岸に設置された朝鮮時代の遺跡もたくさん残っています。そして、西海岸の美しい夕日や干潟、摩尼山、高麗山、のどかな農村の風景などを各コースで楽しめるようになっています。 江華ナドゥルキルの背景には、江華島の地域の由来と風景、人物などを歌にした江華島のソンビ(学者)である高在亨(1846-1916)が記した「沁都紀行(シムドキヘン)」という詩集があります。沁都紀行は高在亨が1906年桃の花が咲き乱れる春の日に、故郷のドゥドゥミ村(現 仏恩面 斗雲里)を出発し江華島全域の約100の村を旅行しながら書き記した紀行詩が綴られた詩集です。高在亨が大韓帝国の 暗鬱の時代に急速に消えていく風俗を嘆き、自分が生まれ育った故郷で歩いた道を約100年過ぎた今、江華郡が生態文化探訪路として新しく誕生させたのです。江華ナドゥルキルは高在亨が故郷を思い詠った詩の道であり、歴史と文化の跡が残っている道です。 【江華ナドゥルキル第5コース】 コビ峠キルは、江華バスターミナルから外浦旅客ターミナルまで20.2㎞を結ぶ区間で、昔の人たちが江華市場に行く前に通っていた道を復元した道で、森林浴も同時に楽しめます。 江華島を東西に結んでいた道で、古川里から木こり達が重い荷物を背負ってコビ峠を越え江華市場へと歩いた道と、2つの貯水池の風景、運が良ければ小ぢんまりと開かれる田舎の市場を見ることも出来ます。徳山森林浴場と外浦市場の見どころは徒歩での旅行の醍醐味が感じられるでしょう。

慶州皇理団キル(경주 황리단길)
 
慶尚北道(慶州市 ) ,
慶州(キョンジュ)皇理団(ファンニダン)キルは、慶尚北道(キョンサンプクド)慶州市皇南洞(ファンナムドン)鮑石路(ポソンノ)一帯の「皇南クンキル(大通り)」と呼ばれる通りで、伝統韓屋の構えのカフェや食堂、写真館などが数多く軒を連ね、常に若者たちであふれています。 皇理団という名称は、ソウル・梨泰院(イテウォン)にある若者に人気の通り・経理団(キョンニダン)キルにあやかってつけられたものです。 皇理団キルには1960年代から70年代に建てられたレトロな建物などがそのまま残されており、ひと昔前の韓国の雰囲気を感じることができます。 近くには瞻星台(チョムソンデ)、大陵苑(テルンウォン)など史跡も多く、慶州の観光名所のひとつとして脚光を浴びている場所です。 <出典:慶州文化観光>  

江陵文化芸術館(강릉문화예술관)
 
江原道(江陵市) ,
「江陵文化芸術館」は、江原道江陵市にある複合文化施設です。1992年1月30日、地域の文化芸術の発展と住民の文化へのふれあいを目的に江陵市が設立しました。大ホール、小ホール、展示館、野外展示コーナーなどの施設が完備されており、演劇や音楽、舞踊などの公演イベントをはじめ、多種多様な展示会や教育プログラムが実施されています。

影島灯台(영도 등대)
 
釜山広域市(影島区) ,
釜山市影島区太宗台にある影島灯台は、1906年12月に設置されて以来、数百年の間、釜山港の航路に玲瓏たる光を照らしてきましたが、施設の老朽により、2004年に新しい灯台と交換され釜山地域の海洋観光名所として浮上しました。 新しく建設された影島灯台は、灯台施設、芸術作品の展示室、自然史博物館などがあります。灯台の施設は、円形で白く、鉄筋コンクリ-ト造りになっており、高さは35m、灯台の灯りは40km先まで届きます。影島灯台の展示室は、市民と訪問客のために美術作品を紹介する場所として活用されており、自然史博物館は灯台の真横にあるシンソン岩などから発見された恐竜の足跡や白亜紀の恐竜たちの生息地であったと推測されるこの地を記念する恐竜の化石などを展示しています。影島灯台に来た際には、灯台と海、天恵の絶景、そして合わせて海洋ギャラリーでは、美術作品も鑑賞することができる、親しみのある海洋文化空間としての役割も果たしています。

江華シーサイドリゾート リュージュ(강화씨사이드리조트 루지)
 
仁川(江華郡)
ソウル首都圏西部エリア唯一のリュージュ、そしてゴンドラ、フードコート、テーマ散策路などを完備した、楽しさ、幸せ、愛があふれる江華(カンファ)シーサイドリゾート リュージュ! 人ごみであふれる大都会から近く、山と海が出会い、こじんまりとした自然の趣を感じされる江華島(カンファド)! 森の香りが漂う中、ゴンドラに乗って頂上まで上ると、夕暮れ時には展望台から美しい江華島の海岸線の風景を眺めることができます。 東洋最大の長さを誇る江華シーサイドリゾートリュージュは、ご家族皆さんでお楽しみいただけるよう様々な趣向が凝らされた全長1.8kmのトラックをダイナミックに一気に滑り降りるコースとなっています。

国立光州科学館(국립광주과학관)
 
光州広域市(北区) ,
国立光州科学館は韓国政府の2003年科学館育成計画に基づき推進・設立された科学館です。光州先端産業団地に開館した光州科学館は光と科学、そして芸術に特化した科学館で、宇宙船の形をした建物の外観に未来への夢や希望を表現しています。体験中心展示物で主に構成され、観覧客が五感で体験しながら想像力や創意力、そして未来志向的な考えを養い、科学に対する理解と好奇心を満たすことができる科学館となっています。* 開館日 2013年10月15日

【江華ナドゥルキル第8コース】渡り鳥キル  [강화 나들길 제8코스] 철새 보러 가는 길
 
仁川(江華郡) ,
【歴史と文化が息づく江華ナドゥルキル】 江華ナドゥルキルは海岸に沿って1.3kmごとにある墩台と、江華山城を結ぶ道です。そして、高麗王陵を張り巡らすように造られた道を指します。また、山と野原、海と文化財を楽しみながら歩く道です。 江華島は島の全体が博物館と言えるほど多くの遺跡があります。支石墓や、青銅器、モンゴルの侵略に対抗するために江華島に移ってきた高麗の跡が見られる高麗宮址や高麗王陵が残っています。また、江華山城と海岸に設置された朝鮮時代の遺跡もたくさん残っています。そして、西海岸の美しい夕日や干潟、摩尼山、高麗山、のどかな農村の風景などを各コースで楽しめるようになっています。 江華ナドゥルキルの背景には、江華島の地域の由来と風景、人物などを歌にした江華島のソンビ(学者)である高在亨(1846-1916)が記した「沁都紀行(シムドキヘン)」という詩集があります。沁都紀行は高在亨が1906年桃の花が咲き乱れる春の日に、故郷のドゥドゥミ村(現 仏恩面 斗雲里)を出発し江華島全域の約100の村を旅行しながら書き記した紀行詩が綴られた詩集です。高在亨が大韓帝国の 暗鬱の時代に急速に消えていく風俗を嘆き、自分が生まれ育った故郷で歩いた道を約100年過ぎた今、江華郡が生態文化探訪路として新しく誕生させたのです。江華ナドゥルキルは高在亨が故郷を思い詠った詩の道であり、歴史と文化の跡が残っている道です。 【江華ナドゥルキル第8コース】渡り鳥キルは、草芝鎮~分五里墩台(17.2㎞)の区間で、美しい江華島南端の海岸コースです。草芝鎮から黄山島魚市場を過ぎ、黄山島を回る散策路と、すがすがしい風の吹く堤防の道、そして干潟の渓谷と広々とした干潟があります。夏には爽やかな風景、冬には渡り鳥の渡来地である東検島周辺でマナヅルを見ることが出来ます。

ソウル 延世大学校スティムソン館(서울 연세대학교 스팀슨관)
 
ソウル(西大門区)
延世大学校で最初に建てられた建物で、1919年着工、1920年に竣工した石造2階建ての建物です。 延世大学校の前身である延禧専門学校設立者アンダーウッド(韓国名・元杜尤/ウォン・ドゥウ)牧師が故郷・米国へ帰国し恒久的な学校建築のためアメリカロサンゼルスに居住していたチャールズ・スティムソンの寄付を得ましたがその後逝去、後任の校長エビソンがその意志を引き継ぎ、その寄付金を元に建設しました。 建設開始時には未亡人となったアンダーウッドの妻が礎石を置き、当時の化学科教授・ミラーが工事の監督を行ないました。 設計は未詳とされていますが当時の米国人建築家らが来韓し設計及び基本計画を作成したといわれています。外観は南北に細長い形をした切妻屋根のゴシック様式の建物となっています。