仁川黔丹先史博物
 
仁川(西区)
黔丹地域では1999年から土地区間整理事業の一環として文化遺跡の発掘調査が行われています。調査結果、青銅器時代を中心に旧石器時代から朝鮮時代に至る多様な時期の遺跡と遺物が確認されました。このような発掘成果を土台に2008年11月27日に黔丹先史博物館が開館しました。黔丹先史博物館は先史時代の生活を時代別、地域別に展示しており、先史時代の文化を実際に体験することができる体験学習室も運営しています。

文殊サッカー競技場
 
慶尚南道() ,
メイン競技場の形は鶴のイメージで造られており、21世紀の環太平洋に向かって飛躍する産業の首都・蔚山を象徴しています。主な施設としてはサッカー専用競技場、補助競技場、展望広場、湖、プロムナード、噴水台、野外ステージがあります。

大川駅
 
忠清南道(保寧市 ) ,
大川には東洋最大で唯一の貝殻の海岸と干潟でとれる天然の泥で作られた美容用品、各種新鮮な海産物、元山島海水浴場、石炭博物館など四季折々観光客たちが多く訪れる観光特区地域です。特に2007年12月21日に新駅舎に移転したことによって地域の特色に合った形に建築されました。

百潭渓谷
 
江原道(麟蹄郡)
百潭渓谷は百潭寺から竜岱里に続く区間を指します。約8kmの区間には車道はありますが、一般車両の通行は禁止されています。百潭渓谷は雪岳洞側よりも静かで、渓谷の美しさが見る者を魅了します。この渓谷は雪岳の全ての渓谷の母親のような存在なのであり、「百潭」という名前の通り広くて深い沼が多くあります。雪岳山の最高峰である大青峰と馬等嶺を結ぶ稜線を中心に、西の地域は一般的に内雪岳と言われています。内雪岳は十二仙女湯渓谷、百潭、水簾洞、 伽倻洞、白雲洞などの渓谷を従えていて、その中でも百潭渓谷は小川のように幅が広く、長さも長いことが特徴です。きれいな岩盤と澄んだ水、周囲の鬱蒼とした森と柔らかな山肌が調和して、涼しげな百潭渓谷は百箇所の潭(水が溜まった深い所)があったとしてついた名称ですが、百潭渓谷の中心部にある百潭寺は 萬海・韓龍雲(1879-1944)の残っている寺として有名になりました。百潭渓谷上流につながる水簾洞渓谷も内雪岳を代表する美しい渓谷として有名です。大小の滝と沼が奇岩怪石と調和し絶景を織り成して、百潭渓谷~水簾洞~馬等嶺を越えて外雪岳につながる登山道はお勧めです。明け方に出発し、雪岳洞に到着したときの馬等嶺からの恐竜稜線は圧巻です。

興国寺(文化財資料第38号)(흥국사
 
全羅南道(麗水市 ) ,
興国寺という名前からもわかるように「国家が栄えればお寺も栄える」という言葉通りに国の繁栄を祈願するために建立されたお寺です。麗水国家産業団地の近くにある霊鷲山の深い森に1195年(高麗時代)に創建した興国寺境内には大雄殿をはじめとし、円通殿、捌相殿などの文化財があります。興国寺大雄殿(宝物第396号)はピッサル門をつけて全部開放することができるようにしたことが特徴で、大雄殿の後仏丁書は宝物第578号に指定されていて興国寺の入口にある虹橋の立派な姿は宝物(第563号)の価値を遺憾なく見せてくれます。それ以外にも興国寺盧舎那仏掛仏丁、水月観音図、十六羅漢図など3点の宝物があります。興国寺は壬辰倭乱の時、境内に約300名の僧兵海軍が訓練をした場所として有名です。毎年4月初め頃から1ヶ月間は、興国寺大雄殿の後ろの海抜439mの霊鷲峰と510mの進礼峰に続く尾根全体がツツジの花で真っ赤に染まります。この時期に「霊鷲山ツヅジ祭り」が開催されます。 

龍珠寺
 
京畿道(華城市)
隆健陵を出ると1.7キロメートル地点に森に囲まれた龍珠寺があります。行政区域上は台安邑松山里ですが、隆健陵のある華山の裏の東の麓にあります。ここには元々新羅文聖王16年(854)に廉居和尙の創建した葛陽寺がありました。高麗光宗21年(970)には韓国で初めて水陸齋を開設するなど名の高い道場でした。丙子胡乱の際消失し閉鎖されましたが、正祖が父荘祖の稜を華城に移し、寺を再び願堂としました。 落成式の夜に正祖が龍が如意珠をくわえて昇天する夢を見たことから龍珠寺と名づけたと伝えられています。正祖は龍珠寺を再建する際、父母恩重経を木版に刻み保存するよう命じ、当時最高の画家キム・ホンドに頼んで美しく飾るようにしました。50余りの木版とともに大雄殿横の芝には10に至る父母恩重経を刻んだ塔と石碑が高くそびえています。大雄殿の後仏幀画はキム・ホンドの指揮で描かれた傑作で、正祖大王が植えたという大雄殿前のチョウセンヒメツゲは、樹齢200年を越す天然記念物第264号です。龍珠寺梵鐘もやはり国宝第120号です。* 主要文化財1) 龍珠寺梵鐘 (国宝 第120号) 2) チョウセンヒメツゲ (天然記念物 제264호) 3) 金銅香炉(京畿道 有形文化財 第11号) 4) 青銅香炉 (京畿道 有形文化財 第12号) 5) 龍珠寺上樑文 (京畿道 有形文化財 第13号) 6) 典籍手写本 (京畿道 有形文化財 第14号) 7) 龍珠寺屛風 (京畿道 有形文化財 第15号) 8) 龍珠寺大雄殿後仏幀画 (京畿道 有形文化財 第16号) 9) 佛設父母恩重經板 (京畿道 有形文化財 第17号)

剛泉山郡立公園
 
全羅北道(淳昌郡 ) ,
剛泉山は1981年1月7日に全国で最初に郡立公園に指定されました。淳昌邑から10kmほどの距離にある高さ583.7mの剛泉山は、湖南の小金剛とも呼ばれるほど至る所に珍しい形の峰がそびえ立っており、大小の岩の間に滝ができており、渓谷と渓谷を覆うように青々とした森が広がっています。また、剛泉寺や剛泉山五重石塔、三印台などの文化遺跡も至るところに散在しています。 古寺の剛泉寺と三印台の間を通り、興化亭の横の道を歩いて行ったところに高さ50m、長さ75mの釣り橋が架かっているのが見えてきます。橋を渡り展望台に上がると秀麗な剛泉山の景色を一望することができます。流れる水の音や小鳥のさえずりを聞きながら3~4分ほど歩いて行き右に曲がると、8合目付近の高さ300mの地点に大きな貯水池があります。再び渓谷に沿って山を登っていくと400mの頂上に至ります。この渓谷に沿って植えられている紅葉の木は品種改良されたものではない天然の紅葉の木で葉が小さく色も美しく、また霜にも強く紅葉期間も長いため、冬に渓谷に沿って色づく紅葉はまさに壮観です。

西帰浦自然休養林
 
済州道(西帰浦市)
西帰浦自然休養林は、漢拏山の西側に広がり、済州市と西帰浦市中文観光団地を繋ぐ1100道路東側の観光スポットにあります。 暖帯、温帯、寒帯樹種が多種多様に生息する鬱蒼としたヒノキ林が山林浴場を形成しており、キジやノロジカなどの希少動物も生息しています。 また、最新設備が完備された休養林館や水遊び施設、山林浴が楽しめる散策路などが人気を集めています。 さらに、済州ワールドカップ競技場と済州国際コンベンションセンターをはじめ、3,562천㎡ほどの広さの中文観光団地が一望できる展望台もあります。

居昌捜勝台
 
慶尚南道(居昌郡 ) ,
慶尚南道居昌郡渭川面黄山里黄山集落の前の亀淵洞に位置する捜勝台は、三国時代には新羅と百済の国境地帯であり、朝鮮時代には安義県に属していましたが、日帝強占期に行政区域の改編により居昌郡に編入されて今日に至ります。捜勝台は三国時代の百済と新羅が対立していた頃、百済から新羅に行く使臣を送別した所であり、初めは戻って来られないのではないかと心配していたので、心配するという意味の「愁」、送るという意味の「送」の字を使って愁送台(スソンデ)と言いました。愁送台とは俗世間の気掛かりや心配を忘れるほどに景色が素晴らしい所という意味であり、仏教の名前に比喩されることもあります。その後、朝鮮中宗の時に楽水慎権が隠居して亀淵書堂をここに建立し、弟子たちを養成しました。台の形が亀のようであることから岩亀台といい、境内を亀淵洞といいました。今の名前は1543年に退渓李滉が安義県三洞を遊覧のために来た際に始まったものとされています。退渓李滉は馬利面迎勝里(マリミョン ヨンスンニ)に停まってその名の由来を聞きましたが、急務により帰還してここへ来ることはできず、名前が美しくないとして同じ音である「捜勝台」と直すことを勧める律詩を送り、楽水慎権が台の面に彫ったことから始まりました。境内には亀淵書院、祠宇、内三門、観水楼、典祠庁、楽水亭、涵養斉、旌閭、山高水長碑、遺跡碑、岩亀台などがあり、これらは儒林と居昌慎氏楽水一族が共同管理しています。松林と水と岩が調和して景色が素晴らしく、またチャゴ岩とその周辺には皐蘭草をはじめとする貴重植物が自生しています。