チャラ島
 
京畿道(加平郡)
チャラ島は、京畿道加平郡加平邑達田里1番地一帯に広がる島です。1943年に清平ダムが建設されたことにより北漢江にできたチャラ島は、南怡島と直線距離にして800m程離れたところにあります。チャラ(スッポン)のような形をした丘がある島ということで「チャラ島」と名づけられました。東島、西島、中島、南島の4つの島からなるチャラ島には、レジャー施設や生態公園が造成されています。オートキャンプ場がある西島の一帯には、ドラマ『アイリス』のロケ地があり、中島には直径100mを超える芝生広場が広がる生態公園、チャラ島キャンプ場の西側には自然生態テーマパークの「二和園」が造成されています。チャラ島はキャンプ地として有名ですが、2004年から開催されているチャラ島国際ジャズフェスティバルが開催される地としても知られています。

レッツランパーク済州(済州競馬公園)
 
済州道(済州市 )
済州地域本部は、天然記念物第347号に指定されている済州道特産の「済州馬」を保護・育成し、済州特別自治島の観光事業の発展に貢献しようと1990年に開場しました。ここでは、済州馬での競馬が行われており、週に5~6回ほどレースの中継が行われています。※済州馬の紹介:済州の山間地域で半野生の状態で生息し、長い歳月もの間済州島の環境に適応してきた小型の馬ですが、自然環境に対する優れた適応能力と持久力があり、よく済州島民にたとえられる済州島の象徴としてよく知られています。現在では、交通手段と農業機械の発達などにより、頭数が急激に減り、天然記念物第347号に指定されています。

三聖山聖地
 
ソウル(江南区)
三聖山聖地は己亥迫害(1839年)の時にセナムトから西洋人聖職者としては初めてカトリックに改宗したという理由で死刑を言い渡され、1839年9月21日(旧暦8月14日)に軍門獄門の極刑に、殉教したフランス宣教師の聖ラウレンシオエンベル全司教とサンピエトロ模倣私の新婦、聖ヤコブのシャスタン鄭神父の遺体が安置されているところです。

太宗台遊園地
 
釜山広域市(影島区)
釜山市の記念物として指定された太宗台(テジョンデ)は五六島と合わせて釜山を代表する岩石海岸として有名なスポット。海抜 250mの最高峰を中心として松を初めとする200種類の樹木が茂り、市民の憩いの場所となっています。太宗台は 新羅(韓半島の一部を支配した古代国家のひとつ BC57-AD 935)) 第29代 太宗 武烈王(604-661)が全国を見て回ったとき矢を放った所だということにちなんで「太宗台」と呼ばれています。またここの灯台には神仙が降りてきて住んだということから「神仙岩」と言われる岩があります。この岩には日本に捕虜として連れて行かれた夫を待ちわびて岩になったという女性の銅像・望夫石があります。太宗台は日照りになるたび祈雨祭が行われた所としても有名で陰暦5月10日に降る雨を「太宗雨」と呼んでいます。天気が良ければ展望台から対馬まで一目でみることができます。

十里桜街道
 
慶尚南道(河東郡 ) ,
花開市場から双渓寺に続く道は、10里に渡って、見事な桜並木が続くことから、十里桜街道と呼ばれるようになりました。華やかな桜のトンネルが広がる花開の桜は、求禮の山茱萸とともに、智異山に暖かな春の訪れを告げてくれます。3月~4月にかけては、双渓寺の傑出したお寺よりも目の前の通りに訪問客が集まるようになります。

龍興宮
 
仁川(江華郡)
朝鮮第25代目の王である哲宗(在位1849∼1863)が王位に就く前に住んでいた家で哲宗が王位に就くと江華留守の鄭基世が新しく建物を建て、龍興宮と名づけました。龍興宮は昌徳宮の演慶堂と楽善斎と同じように生活空間として造られたので素朴な感じのする建物です。境内には哲宗が住んでいた昔の家であるのを示す碑石と碑閣があります。

聞慶陶磁器展示館(聞慶陶磁器博物館)(문경도자기전시관
 
慶尚北道(聞慶市 ) ,
聞慶(ムンギョン)陶磁器の価値が年々注目を浴びてきています。それは陶芸家個人の技能ももちろんですが、その技能の底辺に聞慶陶磁器の特徴と言える歴史と伝統があるからです。聞慶には重要無形文化財「沙器匠(サギジャン)」と技能人最高の栄誉である陶芸部分の名匠がいます。聞慶は朝鮮王朝初期に粉青沙器という器の陶窯地として有名な場所でした。聞慶陶磁器にはいまだ昔の陶工たちの魂がそのままこもっており、民族の純朴な心が深く染みついていて色彩や形が自然で美しいと言われています。

原州韓紙テーマパーク
 
江原道(原州市)
原州市茂実洞にある原州韓紙テーマパークは原州韓紙の由来や歴史をはじめ、展示観覧及び教育、体験を通じ韓紙に関するあらゆることがわかるテーマ空間です。 テーマパーク1階には紙の発明と伝播の過程、韓紙の歴史、韓紙の由来と製造過程、韓紙関連遺物など韓紙の過去を知ることができる韓紙歴史室があります。 韓紙とともに歩んできた祖先の暮らしを省み、韓紙に対する理解を深めることが出来る場所です。 韓紙歴史質の一角に展示されている作家・羅瑞煥(ナ・ソファン)氏の「紙縄扇」、作・ソビン氏による「晩秋」、韓紙開発院で作られた「チュムチ鎧」などは韓紙の芸術的価値を感じることができる作品です。 特にチュムチ韓紙でつくられた「チュムチ鎧」は一枚の韓紙に水をかけ、その上に再び別の韓紙をのせて、その工程を繰り返し韓紙と韓紙がよくくっつき丈夫になるよう、昔、紙で袋(チュムチ/チュモニ)を作るときに使ったチュムチ技法を用いるため、一般の韓紙とは異なり表面がでこぼこして厚くなっています。 このチュムチ韓紙は軽く、空気の通りがいい韓紙の特性がありながら弓矢でも貫通できないほどの強度を誇り、その昔、鎧や防寒服の素材にも使われました。 韓紙映像室は韓紙に関する映画、ドキュメンタリーなどを上映し、韓紙のこれまでの歩みや原州韓紙の歴史などを紹介しています。 2階には韓紙及び韓国国内外の紙に関する企画展が開催されるスペースです。 歴史室や展示室を観覧した後はようやく本格的に体験プログラムに入ります。 原州韓紙テーマパークには韓紙を直接漉いてみる「韓紙漉き体験」や韓紙を使って様々な作品を作る「韓紙工芸体験」など大きく二つの体験プログラムが用意されています。  

光州空港
 
光州広域市(光山区) ,
1948年11月16日に光州の鶴洞に光州飛行場が開港し、翌年の1949年2月10日に民間航空機(DC-3)が初めて就航、1964年1月10日に現在の位置に移転しました。本格的な旅客輸送のため、ターミナルビル、誘導路、エプロンなどの施設を拡張し続け、1990年6月からは韓国空港公社が運営を引継いでいます。1994年度には年14万回の運航と400万人を処理できる旅客ターミナル、3.3万トンを処理できる貨物ターミナルと中型機7機が同時に駐機できるエプロン、933台の車が同時に駐車できる駐車場などができ、光州空港(クァンジュゴンハン)は韓半島(朝鮮半島)西南部の航空交通の重要な役割を果たしています。関連ページ:光州空港全羅道 光州-淳昌おすすめ旅行